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阪神大震災から15年~終章

2010年01月19日 | Weblog
震災の想い出は延々と限りなく続く・・この辺で打ち切りにしよう。

一瞬にして廃墟と化した神戸の街、報道などではだいたい想像していましたが、生まれ故郷より長く住み働いてきた場所をこの目で確かめたくて数日後出かけました。

神戸までの交通機関はバスのみで行列が出来るほど混んでいました。
JR芦屋駅も、想像を絶する状態でした。三宮までバスと徒歩で往復2時間以上かけて行ったように思いますがよく歩いたことは確かだけれど何所から何所までバスに乗ったのかはよく覚えていません。

19歳で姉を頼って神戸に出て結婚後芦屋に落ち着くまで35年以上を元町から六甲・芦屋と馴染んできた街の姿はすっかりかたちを変えてしまっていました。
頑丈なはずのビルでさえも3~4階あたりが折れつぶれて、また仕事上知人数名勤務されていたビルが見事に横転してしまったり・・・

震災前に働いていたあたりや、よく行っていたお店などを涙しながら広範囲を歩いてまわり、この目にしっかり焼き付けて来たものでした。
それでも、「これは本当の出来事ではない、映画かテレビドラマの中のことで今度来た時は元通りになっているのだ」などとひとりつぶやきながら~本当に信じられない気分でした。

そういえば我が家でも同じような錯覚をしたのでした。
大地震のあと外の明かりが部屋に差し込んだとき、家の中の状態を見て吃驚しました。「あぁ、、これは夢の続きだなんだよ、明日になれば元通り片付いているだろう!」でも現実でした。
応接間、茶の間、キッチン全ての棚にあったものが飛び出して足の踏み場もないほどに散乱しているのです。
応接間のボードにあったウイスキーやブランディーが割れ落ちてジュータンがアルコール漬けになってしまっていたのです。部屋中がその匂いでぷんぷんして酔っ払いそうでした。

夫が海外から帰国の度に数本ずつ買い貯めてきた高級ウイスキー・ブランディーの大部分が駄目になってしまって、かなりショックのようでした。でも我が家はその程度で済んだのだからマシな方です。
長田区の倒壊から大火災や、そのほか瓦礫の下敷きで多大な犠牲者が出た地区とは比較にならないです・・命に別状がなかっただけでも幸運なこととだと思います。

我が家のあたりも3月初旬にはガス・水道が復旧して普通の生活に戻りつつありましたが、精神的な苦痛はまだまだ癒えることはなく、ご近所のまだ若い新婚の奥様が心労の為なくなられてお気の毒でした。
私も、ストレスや度々の水運びなどで3月20日、医大に入院して手術を受けました。
病名そのものはたいした病名ではなく、度々起きる「自然気胸」という病気も両方の肺に一度に起きると良くないとのことで手術を決意したのでした。

こお3月20日も忘れることの出来ない事件がありましたね。『オウムの地下鉄サリン事件』です。
(東京都の地下鉄で カルト新興宗教団体のオウム真理教が起こした化学兵器を使用した無差別テロ事件である 。 神経ガスのサリンが散布されて死者を含む多数の被害者を出した事件である。)当時の記事より。

病院で入院手続きを済ませて病室に入ったとき、ざわざわとした雰囲気なので何事だろうと思っていたらこの事件を隣ベットの患者さんに教えられ吃驚しましたね。
これも忘れられない事件でした。
 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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万樹さん いつも有難う♪ (ryo)
2010-01-25 12:20:14
地下鉄サリン事件は
今でも苦しんでいる方が多いでしょうね。
名称を変えてもまた同じように
宗教活動しているのでしょうね。
返信する
こんにちは (万樹)
2010-01-24 12:35:43
震災後の教訓で貴重な割れ物は下の方へ。
宗教の持つ怖さが事件を正しいものと信じ
こませます、今外国の自爆事件元は
日本の特攻隊のようなものです。
又 サリンの裁判も長期過ぎます。
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