『私の中での阪神大震災』15年の記憶を追ってブログに書いて見たいと思います。
普段は忘れているかに思えるあの忌まわしい大震災、この時期になると新聞やテレビでも報道されることもあり、ついこの間のように記憶がよみがえって来ます。
『平成7年1月17日(火)午前5時46分』関西では誰も予想しなかっただろう大惨事でした。
『ゴー~ドドドドッ!』というような音と地響きがして目が覚めた。
前夜・・というより、日付が替わって17日深夜までテレビを見ていた私は、お茶の間の炬燵の横に布団を敷いて遅い眠りにつきました。2~3時間しか眠ってなかったけれど、この激しい音に目覚めた・・というより寝ぼけていたような気がします。
あの轟音はまるでトラックか何かが近くでぶつかったと錯覚したほどでした。寝ぼけた脳裏に『ここは大通りではないし、何なのよッ!』と思わず声に出してしまいました。
『地震だ!!』と飛び起きるまでにはそんなに時間差はなかったと思いますが、真っ暗な部屋の押入れに電池が置いてあったのを思い出して手探りで押入れを開けました。
そのとき茶の間の畳に手を付いて、『痛いっ』と感じましたがその時はなぜかわかりませんでした。(あとで割れ物が飛び散っていたのがわかりましたが・・・)
まもなく夫が二階から『大丈夫かぁッ~!』と大声で叫びながら降りてきました。
『私は大丈夫よ!、○○君は?』長男のことが気になって二階の部屋をのぞいて見ると、高めのベッドに本棚など2つが倒れ掛かっていました。幸いこの日に限って息子は逆に向いて寝ていたようで棚は足元の方に倒れ掛かっていました。
何が幸いするか紙一重です。夫もベッドの頭元に小型のテレビを置いてあったものがポンと飛んでベッドまで落ちてきていたのだけれど身体には当たらなかったのです。
運が悪かったら頭の上に・・と想像しただけでゾッとしました。
大きな余震は続いていましたが、外が白々と明けてきたので表に出るとご近所さんも出ていて『大きな地震でしたねぇ』と挨拶方々言葉を交わしました。
このあたりは倒壊している家はなかったけれど瓦が落ちたり雨戸が壊れたりしていました。まさか、あれ程の惨事だとは周辺を見渡す限りでは想像もしませんでした。
停電でテレビは見えないので夫が携帯ラジオをつけたところ、ニュースでいちばんに耳に入ったのが『三宮の北上ホテル倒壊、宿泊客が閉じ込められているらしい』というニュースだった。
このビジネスホテルには以前スナック経営していた頃、電車がなくなって帰れないお客さまをこのホテルまで案内したことがよくあったので吃驚したと同時にホテルの倒壊と言うことはもしかして『姉の家はかなり老朽化していたが大丈夫だろうか・・?』と心配になりました。
夫に『ちょっと見に行ってきます』言うと危険だからと夫が自転車で行きました。
我が家は当時阪急芦屋川駅に近く、姉の家は国道2号線から100メートルぐらい南にありました。
夫が帰ってきて姉の家は勿論、周辺は倒壊全滅だったが母子3人とも無事だったとの報告を受けてとりあえずホッとしました。(続きはまた)