大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

京都御苑、明治期 門番所新しく

2008-04-11 13:23:06 | 幕末ニュース
 京都御苑(京都市上京区)で、幕末の動乱の舞台になった堺町御門の保存改修工事が完了し、明治期にはあったとみられる門番所が新しくなった=写真。

 門の東西両側には木造平屋建て約110平方メートルの門番所が設けられていたが、老朽化が激しく、近年使われていなかった。環境省京都御苑管理事務所が昨秋から、土壁や屋根瓦を新調し、古い木材を補強した。

 堺町御門では1863(文久3)年、長州藩が門の警備役から追放される政変があった。5月の葵祭では、装いを新たにした門を通って、行列が市街地へと進む。

4月10日 京都新聞

ジョン万登用 経緯の書状山内家資料館

2008-04-11 13:18:51 | 幕末ニュース
老中が容堂公にあて

 幕末、日米修好に活躍することになるジョン万次郎(中浜万次郎、1827~98年)を幕臣に登用した幕府の老中・阿部正弘が、土佐藩主山内豊信(とよしげ)(容堂)にあてた書状が高知市鷹匠町の土佐山内家宝物資料館で見つかり、今月から公開されている。「中濱萬次郎」を「切米二十俵二人扶持(ぶち)」で召し抱えたことなどが記されている。幕末史を彩った3人の名がそろい踏みした書状は珍しく、同館は「ファンにはたまらない資料」としている。

 同館が山内家から寄贈された約3万点の古文書の中から3年前に見つけ、調査していた。

 現在の土佐清水市の漁師だった万次郎は、14歳で出漁中に遭難し、アメリカの捕鯨船に救助されて渡米。航海、造船の技術などを学び、帰国後は土佐藩士に取り立てられた。1853年、ペリー来航に慌てた幕府は、アメリカの事情に詳しい万次郎を土佐藩から引き抜いた。

 書状は、万次郎登用の礼状をあてた容堂に対する返事で、1854年1月付。幕府の役人の中では下級といえる「御普請役格」として召し抱えたことや、「礼状は老中一同で見た」という内容が記されている。万次郎の名は文中にあり、「阿部伊勢守 正弘」、「松平土佐守」(容堂)の名が最後に記されている。

 万次郎について、容堂や阿部ら政治のトップが直接言及した文書は珍しく、渡部淳館長(日本近世史)は「一介の漁師だった万次郎が、幕府に召し抱えられた経緯の最後の一幕がわかる資料」と評価。「幕末資料はまだまだ整理中で、今後も新しい発見があるかもしれない」としている。

(2008年4月10日 読売新聞)