佐賀藩出身で、明治政府の初代司法卿として近代法制度の成立に尽力した江藤新平(1834~1874年)をしのぶ「江藤新平卿銅像まつり」が14日、佐賀市の神野公園にある江藤の銅像前で行われた。
銅像が建立された翌年の1977年から毎年、佐賀観光協会が命日(4月13日)の翌日に営んでおり、32回目。今年は約100人が参列し、同協会の音成日佐男会長や、江藤のひ孫の江藤兵部さん(68)(埼玉県春日部市)らが玉ぐしをささげた。
明治維新史の研究で知られる毛利敏彦・大阪市立大名誉教授が特別講演し、「江藤は人権の父。長生きしていれば、もっと多くの功績を残しただろう」と述べた。江藤が首謀者として処刑された佐賀の乱(1874年)については、「学問としてきちんと研究されていない」と指摘。薩摩藩出身の大久保利通が江藤を抹殺するために仕掛けた謀略だったとの説を展開した。
兵部さんは「没後100年以上がたち、曽祖父が権力闘争の犠牲者だったことが分かった。本人も草葉の陰で喜んでいるだろう」と謝辞を述べた。
(2008年4月15日 読売新聞)
銅像が建立された翌年の1977年から毎年、佐賀観光協会が命日(4月13日)の翌日に営んでおり、32回目。今年は約100人が参列し、同協会の音成日佐男会長や、江藤のひ孫の江藤兵部さん(68)(埼玉県春日部市)らが玉ぐしをささげた。
明治維新史の研究で知られる毛利敏彦・大阪市立大名誉教授が特別講演し、「江藤は人権の父。長生きしていれば、もっと多くの功績を残しただろう」と述べた。江藤が首謀者として処刑された佐賀の乱(1874年)については、「学問としてきちんと研究されていない」と指摘。薩摩藩出身の大久保利通が江藤を抹殺するために仕掛けた謀略だったとの説を展開した。
兵部さんは「没後100年以上がたち、曽祖父が権力闘争の犠牲者だったことが分かった。本人も草葉の陰で喜んでいるだろう」と謝辞を述べた。
(2008年4月15日 読売新聞)