広島県福山市の鞆の浦沖で幕末に、衝突事故により沈没した坂本龍馬率いる海援隊の商船「いろは丸」(160トン)とみられる船体の第4次調査で、海中から引き揚げられた遺物が11日、保存処理作業にあたっていた京都市埋蔵文化財研究所から福山市教委に返還された。これまでの調査では、積み荷とされた銃の部品などは見つかっておらず「交渉を有利にするための龍馬のはったり」との見方も出ている。
平成17年に行われた第4次調査では、船体後部から遺物を収集しており、船体前部で収集を行った昭和63~平成元年にかけての3回にわたる調査の結果とあわせて全体の遺物をほぼ網羅したことになる。
今回、返還されたのは約220点で、ドアノブなどの内装品や船具、積み荷の水銀朱を入れた木箱、刀の柄などに用いられた鮫皮(エイの皮)を保管するための台座などのほか、履き込まれた革靴の靴底などが含まれている。
紀州藩の軍艦「明光丸」(887トン)と衝突、沈没したいろは丸をめぐっては、龍馬が船体のほか、積み荷の最新式銃などの補償をめぐって紀州藩と交渉。巨額の賠償金の獲得に成功しているが、これまでの調査では銃の部品はまったく見つかっていない。
このため、調査にあたった水中考古学研究所の吉崎伸理事(水中考古学)は「積み荷に銃があったとしたのは、補償交渉を有利に運ぶための龍馬のはったりだったのでは」と話している。
4月12日 産経新聞
平成17年に行われた第4次調査では、船体後部から遺物を収集しており、船体前部で収集を行った昭和63~平成元年にかけての3回にわたる調査の結果とあわせて全体の遺物をほぼ網羅したことになる。
今回、返還されたのは約220点で、ドアノブなどの内装品や船具、積み荷の水銀朱を入れた木箱、刀の柄などに用いられた鮫皮(エイの皮)を保管するための台座などのほか、履き込まれた革靴の靴底などが含まれている。
紀州藩の軍艦「明光丸」(887トン)と衝突、沈没したいろは丸をめぐっては、龍馬が船体のほか、積み荷の最新式銃などの補償をめぐって紀州藩と交渉。巨額の賠償金の獲得に成功しているが、これまでの調査では銃の部品はまったく見つかっていない。
このため、調査にあたった水中考古学研究所の吉崎伸理事(水中考古学)は「積み荷に銃があったとしたのは、補償交渉を有利に運ぶための龍馬のはったりだったのでは」と話している。
4月12日 産経新聞