大阪龍馬会

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「龍馬は神」海援隊士の書 佐柳高次の遺品公開へ

2010-07-06 00:01:00 | 龍馬ニュース
 江戸幕府の軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」の水夫で渡米し、後に海援隊士として坂本龍馬と行動をともにした佐柳(さなぎ)高次(1835~91)の書などの遺品が、ふるさとの香川県多度津町の町立資料館で今秋、初公開される。龍馬や隊士を弔う書には「坂本龍馬神宮」とあり、龍馬を慕う思いや、隊士たちとの強い結びつきがうかがえる。

 佐柳は、瀬戸内海の塩飽(しわく)諸島の佐柳島(多度津町)で育った。島々は古くから海運で栄え、咸臨丸の水夫50人のうち35人は同諸島の出身。佐柳は1855年、幕府の長崎海軍伝習所に水夫として採用され、咸臨丸に乗船した。

 その後、勝海舟の紹介で、龍馬と出会い、海援隊に参加。67年に龍馬が暗殺されると、山口県下関市にいた妻・お龍(りょう)に伝えに行ったとされる。幕末の動乱を生き抜き、69年に帰郷した。

 書は、滋賀県湖南市に住む玄孫(やしゃご)・鮫島和子さん(62)が保管。縦120センチ、横30センチで、「坂本龍馬神宮」と力強い字体で記し、海援隊の近藤長次郎、池内蔵太ら隊士14人の名も添えている。鮫島さんは父から「高次は朝晩この書を掲げ、龍馬を神として拝み、仲間の冥福を祈った」と教えられた。

 公開は10月1日~11月28日。咸臨丸渡米から150年に合わせ、町立資料館が企画した。佐柳がサンフランシスコで購入したとされる、ダンスを楽しむ若い男女をあしらった陶製の絵皿なども展示される。

 霊山(りょうぜん)歴史館(京都市東山区)の木村幸比古(さちひこ)学芸課長は「海援隊の人間関係を示す珍しい資料。亡くなった海援隊士の名も記していることから、海援隊が龍馬を中心に結束していたことがわかる」と話している。

7/4 読売新聞

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