評論家の川本三郎氏が朝日新聞(2022.12.21)に寄稿した記事の抜粋です。
タイトルは「思い出していきること」
妻に先立たれて14年、悲しみやさみしさは消えずに共にある。
日常の中でよくどこかで家内が見守ってくれている思いは強い。
78歳ともなれば、日々の暮らしの中で死を考えないことはない。
そんなとき家内のことが身近に感じられる。
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一人くらしになって、一番困るのはやはり食事。
はじめの頃は、なんとかやってみようと料理に挑戦したことはあったが、料理好きだった家内にかなうはずもなく、最近はすっかりあきらめて外食ばかり。
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家内は私の着るものにも気を使ってくれた。
ひとり暮らしになり、洒落た服とは縁がなくなった。
もっぱらユニクロや無印良品で済ませている。
ひとつだけ家内のアドバイスは守っている。
日本の年寄りはどうしても着るものが地味になってしまう。
だからインナーは赤系統にしたほうがいいと、上着は地味でもシャツは赤い色を選ぶようにしている。
少し気持ちが若返る。
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78歳になる今、亡き家内とともに一緒に暮らしていたあの穏やかな日々を思い出している。
思い出は老いの身の宝物である。
と締めくくっています。
川本氏の投稿を読み、私の思いのほどや考えることが同じであることに、ある面ほっとするのと、面識もないのに同輩のような親近感がわく。
私も、妻があちらに行ってから今日で8年になる。
妻に先立たれた夫は長生きが出来ないなどとよく言われる。
ご多分に漏れず2年ほど喪失感に打ちのめされた。
それを、知人友人をはじめ多くの人に支えられ救われた。
時間がたち、妻を知る人たちの記憶から、少しずつ遠のいていくのを感じる。
そんなとき無性に妻のことを人に話したくなる。
記憶から薄れて行くのは仕方がないことだが、せめて私が生きてるあいだは、妻の面影を消したくない。
そんな思いが強くなった。
あからさまに妻のことを話すのはなかなか出来ないものだ。
だが、話す機会が少しでもあれば、ある日のことを持ち出して話したい。
今日の命日、川本三郎氏の新聞投稿記事を、古新聞の中から探し出して再読しながら、46年間連れ添った妻との強い絆をあらためて感じている。
私の今があることを妻に感謝し、そして私に出来ることは「思い出していきること」なんだと。