愛しています

すべての方が、笑顔で
あたたかく優しい 愛ある日々を
生きられることを願って・・・

真実の幸福な人生に 必ずあるもの

2008年12月19日 13時37分33秒 | 願望成就
 
今日、Yちゃんが
私の引越しに 必要なダンボールを届けてくれた時
一緒に コーヒーを飲みました。

自然栽培のコーヒー豆???
美味しい!!!と 私の入れたコーヒーを とても 喜んでくれました。



以前、Yちゃんと一緒に 整体に 行きました。
新幹線で 施術に訪れる患者さんもいらっしゃる 有名な整体院
そこには、施術前に 自分で作って飲む 飲み物がありました。

Yちゃんは、「自分が作ったものは、とても苦い。
ryuruちゃんが 作ったものは、とても まろやか。
どうして こんなに 味が違うの??? 」と驚いていました。



作る人が違うと
同じ事をしても 出来上がったものは 味が変わります。

作る人が同じでも
その時の心の状態により 出来上がったものは 味が変わります。



整体院で、出来上がった味が違ったのは 作った人が違うから

いつもと同じ豆を使ったのに、今日 コーヒーの味が違ったのは
私の心が 昨日までの私よりも 大きく変化しているから



色々なFCが、世に存在します。
同じ商品を扱っても、成功する店もあれば
撤退する店もあるでしょう。

色々な理由は、あるでしょう。
けれども、一番の要因は 心ではないでしょうか?

同じものを販売している店
私なら、行ってよかった。出逢えてよかった という
気持ちよい接客をして下さる方が いらっしゃる店に 行きます。


                                      


奇跡のリンゴ「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則さん

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』にも登場
無農薬リンゴを 栽培することに成功した 壮絶な人生



東京白金台にある 隠れ家レストラン『シェ・イグチ』
その看板メニューが「木村さんのりんごのスープ」

シェフの井口久和さんは
「腐らないんですよね。生産者の魂がこもっているのか」と言われます。

井口さんの厨房で 二年前から保存されていた 二つに割ったリンゴは腐らず
枯れたように小さくしぼみ、お菓子のような 甘い香りを 放っていた。



私たちが 食べている リンゴの ほとんどすべては
農薬が 使われるようになってから 開発された品種
農薬を 前提で 品種改良された品種

その結果として、現代のリンゴは コーカサス山脈の野生種とは
比べ物にならない 巨大で 甘い果物になった。

その引き換えとして、リンゴは 野生の力を失い
農薬の助けなしには 病害虫と 戦うことの出来ない
極めて 弱い植物に なってしまった。

農薬が、発明されなければ リンゴ畑は とっくの昔に
日本から 青森県から 姿を消していたに違いない。



木村さんは、すべてのリンゴ畑を 無農薬にした。
3年が過ぎ 4年目になっても
リンゴの花は まったく咲く気配を 見せなかった。

貯えは底をつき、義父の郵便局の退職金も 使い果たした。
3人の娘と 妻の両親と 一家7人が 貧乏のどん底にいた。

トラクター、自家用車、2トントラック も売った。
税金の滞納が続いて、リンゴの木に 赤紙が貼られ
銀行、消費者金融、実家、親戚から 借金をした。

電話は、とっくの昔に通じなくなっていた。
健康保険料が払えず、健康保険証も 取り上げられ
子供のPTA会費も 払えない。

娘たちの服どころか 学用品すら まともに買えない。
木村家の耐乏生活は、近所の人々の目には 悲惨というより
むしろ 奇異なものに 映っていた。



リンゴ以外の作物なら、無農薬栽培は それほど難しくない。
しかし、リンゴの無農薬栽培だけは とてつもなく難しかった。

しかし、不可能なはずはない。
今は、害虫と病気に置かされてるけれど、自分なら きっと この問題を解決して
リンゴの木に 実をならせる方法を 見つけられるはずだ。

それが、いつしか木村さんの信念に なっていた。
ある意味では、その信念が木村さんの最大の障害だった。

無農薬で、リンゴを栽培することは 木村さんにとっては 夢でも
他の農家には 狂気の沙汰の 空想でしかなかった。



ついに気が狂ったと思われた。
木村さんは、リンゴの木に声をかけていたから・・・

リンゴの木は、リンゴの木だけで 生きているわけではない。
周りの自然の中で、生かされている生き物

人間も そうなんだ。
人間は そのことを忘れてしまって、自分独りで 生きていると思っている。

リンゴの木は、リンゴという果実を生産する機械ではない
リンゴの木もまた、この世に受けたひとつの命

このように、木村さんは、リンゴの木に 感謝していた。



そして、8年目に 奇跡が起こった。
1991年秋 青森県に台風が直撃し、リンゴ畑が 壊滅的な被害を受けた。

リンゴが 落果しただけではなく、リンゴの木 そのものが風で倒れるという
被害まで被り、県内のリンゴの被害額が 742億円にものぼった。

ところが、木村さんの畑の被害は 極めて軽かった。
なんと8割以上のリンゴの果実が 枝に残っていた。

リンゴの木は 揺るぎもしなかった。
根が 普通のリンゴの木の何倍も長く 密に張っていただけではなく
木村さんのリンゴは 実と枝をつなぐ軸が 他のものより
ずっと太くて 丈夫に育っていたのだった。



木村さんの人生を本にされた方は このように表現されました。

リンゴの外見は 普通
それほど 大きくなく 形は 歪んでいて 小さな傷もある。

そのリンゴに 初めてかじりついたとき、不覚にも 涙を こぼしそうになった。
もちろん 先入観があったことは 認めよう。
木村さんが 30年間にわたって 経験しなければならなかった
数限りない苦労のことを 思い出していたのは事実

けれど、そのリンゴは 信じられないほど 美味しかったのだ。
あまりに 美味しいものを食べると、人は 涙を流すのだということを
その時 初めて知った。

一口 頬張った瞬間に、大袈裟ではなく
自分の全身の細胞が 喜んでいるような気がした。

「これだ!これだ!これだ!」細胞という細胞が そう叫んでいるような気がした。

母親と引き裂かれて育った赤ん坊が、初めて母の胸に抱かれた時
一体 どんな顔をするんだろうか。

きっと 泣くんじゃないかと思う
泣きながら、夢中で 母親の胸に顔を 埋めるんじゃないか

リンゴを 食べながら、そんなことを 考えていた。
ふと気がつくと、手の中に残っていたのは、リンゴの種だけだった。
リンゴの芯まで 食べていた。
そのことに 気づかぬほど、芯まで美味しい リンゴだった。



木村さんは、頼まれれば どこへでも出かけて行って話をする。

あれだけ苦労して辿りついた リンゴの栽培法にしても
求められれば 誰にでも 惜しげもなく教えている。

それを、自分の専売特許にしようなどとは 夢にも考えていない。

あれだけ苦労をしたのだから、少しぐらい その苦労から利益を得ようとしても
ちっとも悪くないと思うのだけど、木村さんはそういうことには
まったく興味を抱かない。

家の襖も ずっと張り替えていない。
そんなことよりも ずっと大切なことがあると 知っているからだ。

ここまで、自分の信念を貫き、道を究めることができるだろうか
木村さんの笑顔は求道者の顔ではない。純粋な子どものような笑顔だ。


                                      




世界中で、一番幸福な人間とは感謝の出来る人である。
             ダスキン創業者 鈴木清一

命をかけるというほどの思いがあって初めて
いかなる困難にも対処していく力が湧いてくる。
                松下 幸之助



「感謝と信念」が、真実の幸福な人生を切り拓くもの 私は そう思います。

永遠の見解の中で、感謝を 日々 深める努力をしながら生きられ
命をかけられる以上の存在の彼がいる私は とても とても幸せです。
 

自分自身になる

2008年12月19日 10時22分59秒 | 願望成就
 
ユダヤ教法学者ラビ・ズーシャさんが、このように言われました。

天国に行くと
「どうして、モーゼのようになれなかったのかね?」
とは聞かれずに
「ズーシャよ。どうして自分自身になれなかったのかね?」
と言われることだろう。と



自分と同じ人間は、この宇宙に一人として存在しない。

もっと 自分を 褒めてあげませんか?
もっと 自分を 愛しませんか?
もっと 自分を 許しませんか?
もっと 自分の 価値を認めませんか?
もっと 自分を 大切にしませんか?

そうすると、自分自身になれるのに・・・と、私は 思います。



私の生き方

理解出来ないと よく言われます。
でも、うらやましいと よく言われます。

ryuruのように 夢を追いかけて 生きられないと 人は言います。
でも、夢を追いかけて生きる人が 私の周りに現れ続け
私と共に歩き続け 自分自身を生きられています。

私と共に生きる人が増えた理由は
私の夢が 現実化し続けて 目で確認し認める事が出来たから。
結果が見えたからです。



そのように
心に描く 未来の姿が、実現し続けてきた集積が現在の私です。

人の本質は、意志
肉体という衣装をまとっているだけ
一瞬一瞬 考えていることが、その人そのもの
人は、自分で 出来ないことは考えられない

だから、私が 心に念うことは 全て実現してきました。
だから、私の人生は 全て 考えている通りに なってきました。

でも、それは 私だけではなく 全ての人が そうです。
その事実に、多くの人が 気付いていない。
気付いていないから、その事実を 認めることが出来ない。



私には、兄弟がいます。

その兄弟は、私の人生を
「波乱万丈って・・・そんな言葉では語れない。度を越している。」
と少し迷惑そうに言います。

私が、どんな環境の中でも、幸せって 笑っているから
怪しい・・・日々 怪しさが増し続けている・・・と思っていることでしょう。

・・・兄弟は、気が付いていない・・・

天国から生まれる前に 自分で自分の人生計画をしてくるということに
だから、人のせいではなく全て 自己責任ということを

受け入れなくてもいいことを 受け入れて
受け入れるべきことを 受け入れられない
そのような思考が、自分本来の姿を隠しているということを・・・



マダガスカルのことわざに
家を暖めてくれるのは、熱い暖炉より寧ろ夫婦間の深い理解である。
とあります。



今年も 冬が到来し、寒くなりました。
人生 結婚が全てではないけれど、兄弟も独身

長い間付き合い続けている ミスユニバース日本代表の年上の彼女
ずっと ミスのまま・・・オールドミス・・・
と 私は 何度 残念に思ったことでしょう。



私が 結婚したら 兄弟が結婚できると思います。

理由は・・・理由なき直感
直感(インスピレーション)ほど、確かなものは 私の人生には存在しなかった。
その直感は、ラビ・ズーシャさんが表現された「自分自身」だから