凄く 凄くきれいな海だった。
・・・ でも、私は もう沖縄には 多分・・・ 行けない。
60数年たっても
天国に 戻れていない方たちが たくさん いらっしゃって
肉体が なくなっても
地上に残っていらっしゃる その方々に
意識を向けないで 過ごそうとしても・・・無理だった。
・・・ 涙が あふれて ・・・ 止まらなかった ・・・
戦地の夫に届かなかった手紙
2009年7月20日(月)11:00 (中国新聞)
戦地の夫に届かなかった手紙(中国新聞) - goo ニュース
光市民ホール館長の岡村晃治さん(69)=光市中央=が
太平洋戦争中後期、トラック諸島に 赴いた父に
母が したためた手紙を 市内の実家で 見つけた。
幼い岡村さん兄弟の写真も 同封されていた。
戦況の悪化などで 届かなかった とみられる手紙。
安否を気遣い、家族の近況を 伝えたい という思いが伝わる。
見つかったのは、母よし子さん=1992年に75歳で死亡=が
夫八十(やそ)さん=当時(35)=にあてた10通。
6月下旬、岡村さんが実家の倉庫を整理中、黒い革のかばんから
戦地での無事を祈る「千人針」と 一緒に出てきた。
5通は 未開封だった。
このうち44年9月29日に書いたとみられる 1通には
当時5歳の 岡村さんと
3歳だった 弟捷汎(かつひろ)さん=昨年2月、65歳で死亡=
の写真が 同封されていた。
「お父ちゃん お元気で 御奉公して いらっしゃいますか」
手紙は まだ文章が書けない兄弟の気持ちになって
よし子さんが書いたとみられ
兄弟の近況の他、寂しい気持ちも 綴っている。
「もう少し 早く見つけていれば、母や父の面影も知らなかった弟と
思い出話が できたのに」と岡村さんは 悔やむ。
岡村さんによると、八十さんは 敗戦が色濃くなった44年1月に召集され
旧海軍警備隊の一員として トラック諸島のメレヨン島に 派遣された。
島には 食料の補給もなく
八十さんは 終戦約3カ月前の45年5月5日に 亡くなった。
鞄から見つかった よし子さんのメモによると
45年7月末まで出した手紙は 32通。
このうちの一部が 戻ってきたとみられる。
今まで ・・・ 人類に
どれだけ、悲しい別れが あったことでしょう。
どれだけ、辛い人生を 送られた方が いらっしゃったことでしょう。
どれだけ、苦労して 子供を育てられた方が いらっしゃったことでしょう。
このような悲しい戦争を
現在 只今のこととして 経験することのない国 日本
でも・・・世界に目を向けたら
中国には、報道の自由がない。
ウイグル自治区での暴動で、中国側の発表は 死者百数十人でしたが
国外の ウイグル人の発表によると、死者3,000人
台湾は、馬英九総統になって 中国と親和的になっている。
ヒトラーが、元々同じ民族だからとオーストリア併合をしたように
台湾も 併合される可能性がある。
その次は、沖縄
中国は、沖縄を 固有の領土 と言ってくる可能性もある。
北朝鮮のミサイルが、日本に向けられているのと同様
中国も・・・東風21号等の 核弾頭搭載の弾道ミサイル 100基以上を
日本の主要都市に向けて 照準を合わせている。
と・・・いうことを ご存知でしょうか?
人類の歴史は 戦争の歴史?
もう、そんな悲しい歴史を作るのは 止めませんか
人と人が殺しあい その結果
いなくなった夫を想い 涙し
いなくなった子供を想い 涙し
いなくなった恋人を想い 涙し
そんな悲しい別れ 誰も 経験したくないはずです。
どうしたら、悲しいことが 地球から無くなるのでしょう。
北朝鮮も 中国も
日本 主要都市に 向けたミサイルを 発射しないことを 心から 願います。