<オホーツクラインから新千歳空港へ>
宗谷丘陵
発電用の風車が並んでいる。 広大な肉牛牧場が広がっている。
宗谷丘陵は日本離れした風景だ。
宗谷岬
平成21年7月7日と記されている。
1983年・大韓航空機撃墜事件犠牲者の慰霊と世界平和を願うモニュメント。鶴が天に向かって両翼を広げている姿です。
天北酪農「あけぼの像」--酪農の夜明けを記念している。
オホーツクライン
バスはオホーツクラインをひた走る。
道の駅さるふつ公園---ここで「ほたて定食」千円をたべた。
道路を挟んで下記の記念碑があった。村人たちは総出でびしょ濡れになって、座礁したロシア船員を助けたとのこと。真冬の吹雪の中でですよ!自分の命など考えずに、暗い海の中に飛び込んで行ったのですよ!
<利尻・礼文3日間の旅>(2)--千歳空港から稚内まで、オロロンラインを走る で書いた記事を読み返してもらいたい。
樺太からの引揚船をこっそり潜水艦で狙い撃ちした旧ソ連のやり方と対比してもらいたい。ここオホーツクの人も、千葉・御宿の人も、(たとえ、外国人であろうと)自らの命をも省みず救出するという、まさにこれが日本民族なのだ。ロシア人とは比べものにはならない。
リンク→猿払村 公式ホームページへようこそ!-インディギルカ号遭難者慰霊碑
猿払原野
このような景色が延々と続く。
美深
オホーツク沿岸を離れると、景色は一変する。小麦やジャガイモ畑となる。
【最後に補足】
<クラブツーリズム>
旅行の直前にツーリズムの係り[添乗員]から電話があった。現地の気温や持ち物などの注意である。そのなかで、寝巻きを持っていったほうがいい、と言われた。「え、無いんですか?」--「クリーニング等の関係で用意できるかどうか分かりません。だから持参してください。」
こんなの初めてだ。宿への電話一本で済むことではないか。寝巻きをザックに入れるのと入れないのとでは、えらい違い。
止むを得ず、自分で利尻島の宿に長距離電話をした。「寝巻きのことで電話しました。業者が分からないと言うので---」
返ってきた言葉は、「えっ、信じら--れない。ありますよ、バスタオルもちゃんと用意してあります。」
この10分くらい後に係りから電話がかかって来た。宿のほうで呆れて、クラブツーリズムに電話したのだろう。「寝巻きの件ですが---」---「もう私のほうで電話をしました。むこうは『信じられない』と言ってましたよ」
実施前からこんな頼りない状態だ。本番が心配になってきた。
<宿>
両方とも、食事はまあ、合格だろう。だが、設備が悪い。
ホテルサハリンの風呂は「大浴場」と言いながら、2名しか入れず。よって、ユニットバスで我慢した。最北亭は温泉で浴槽は6名くらい入れる大きさであったので、合格。だが、粗末な畳の部屋には勿論トイレ・洗面は無し。私の部屋の前が共同トイレで、夜中に、廊下を歩く足音やドアの開け閉めで、一晩中ドタンバタンの音で飛び起き寝られなかった。これで、一流旅館並みの宿泊料をとるのだろうか。
因みに、今回の旅行は一室2名、朝・夕食事付きで、一人62,800円であった。 [完]