読書はもっぱら欧米の歴史、評伝、自伝と、政治・経済・社会の評論、それに音楽に関するもので。
フィクションはあまり読まなくなってから久しいのだけれど、それでも時折り、何かのきっかけで、何かの作品を読みたくなるときがある。
三浦しをん「風が強く吹いている」を手にとったのは何故だったのか。
走ることが、生きることで、その意味を考え、迷い、逡巡し、それでも突き進んでいく若ものたちの話、みたいだったが。
今の自分の中に、或いはこの先死ぬまでの10年か20年かの間に、燃焼するものがあるのか
という自問が、また頭をもたげていたからではないか。
この2日夢中で読んでいた。三浦さんの創造した多彩なキャラの10人が、各々問題を抱え、悩み、葛藤しながら、走るという行為に自分を燃焼させていく。
彼らのその姿に引き込まれた。
ぼく自身の過去、現在のいつくかの場面を脳裏に浮かべ、ああしていたら、こうしていたら、と思いを巡らせてもいた。
臨場感に富む駅伝のレース展開や、彼らの心の動きが、素晴らしい想像力、表現力で描かれ、ぼくをとらえて離さなかったのだが。
解説で紹介されていた三浦さんのこの言葉を読んで、心にずっしりと残った理由がわかった。
ぼくらには小説が必要なんだ。
「私自身、報われなかったのは頑張らなかったからだという考えには納得がいかないからです.......。
できる、できないという基準ではない価値を築けるかどうかを、小説を通じて考えてみたかった。
報われなかったからといって、絶望する必要はないんじゃないか、と」