「石垣山」は本来「笠懸山(かさがけやま)」と呼ばれていたが
1590年豊臣秀吉が小田原北条氏の小田原城を攻めた際
その本陣として総石垣の城を築いたことから
「石垣山」と呼ばれるようになった
関東で最初に造られた総石垣の城
秀吉が築城にあたり
山頂の林の中に堀や櫓(やぐら)の骨組みを造り
白紙を貼って白壁のように見せかけ
一夜のうちに周囲の樹木を切り倒し
一夜のうちに城を出現させたように見せ
それを見た小田原城中の将兵が驚愕し 士気が低下したという伝承から
この城が世に「石垣一夜城」と呼ばれるようになった
しかし 実際には延べ4万人が動員され
80日間を費やしていたそうだ
「二の丸」は「本丸と並んで最も広い曲輪(くるわ)
更に大きな石がゴツゴツした坂を登って行くと
広々した「本丸」(本城曲輪)
この両サイドに私と主人が写っているのでカットした
遠くに相模湾が見える
残念な事に2ヵ所の展望台は修理中
小田原城を見下ろすことは出来なかった
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