あおぞら文化村便り =フォト俳句 エッセイ 野菜作りと今日の一品 縄文のこと=   

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No.34 シカ管理専門員と歩く 奥日光 2023.06.10

2023-07-02 22:29:26 | 

No.34 シカ管理専門員と歩く 奥日光 2023.06.10

 

 普段、一般の人が立ち入ることのできないエリアを含む「シカ侵入防止柵」に沿って歩いてきました。奥日光ビジターセンターのイベントです。

「どうするシカ問題」という何やら難しそうなタイトル。にもかかわらず、総勢12人、内専門員が4人なのでほぼマンツーマンに近い密度の濃い観察会となりました。

 

 今までごく当たり前に自然と接触してきた私たち、山に入れば「自然っていいね」 とか 「うわーきれいっ」 とか 「素敵!」とか、自分にとって居心地のいい場所に身を置き、安らぎや癒しや思考など、非日常的なかけがえのない時を享受してきました。

 今回の観察会は、そこから一歩踏み込んで 「この自然大丈夫?」 「いつまでこの景色見られるの?」 「この先どうなってくの?」 という視点で足元を見つめてみようという試みでした。

 ビジターセンターが主催するイベントには、これまで随分と参加して楽しい時を過ごしてきました。その中にあって今回の “シカ柵問題イベント” は、従来とはかなり違った雰囲気を同行したメンバーから感じ取りました。それは、専門員との質疑応答、参加者同士の会話の内容、どれも専門性の高い内容を含んでいて、しかも活発に行われていたことです。

 自然環境に対する意識が、徐々に一般の人たちにも高い関心をもって受け止められるようになったのだなと、あらためて思いました。

 

 さて、肝心のシカ問題ですが、これはこのブログで紹介できるような簡単な内容ではありません。たくさんの論文が全国の関係部署や大学の研究として公開されています。

とはいえ、奥日光におけるシカ問題、そのアウトラインだけでも押さえておくために、以下、自分なりに箇条書きにして整理しました。(主に「奥日光のシカにまつわる話」ビジターセンター資料より)

 

①奥日光のシカの動き

冬:限られた餌を求めて、比較的雪の少ない足尾や男体山、女峰山,太郎山な どの南面に。

夏:温暖化の影響もあり、生息域は尾瀬からさらには新潟県内にまで。

春~初夏、秋:奥日光はもちろん、生息域は栃木、群馬の両圏域にまたがって。

②いつ頃から増えた?

1980年代後半から増えて1990年代以降急速に増加

理由:1984年の大雪で大量のシカが死亡したが、生き残ったシカは、

その後の積雪量の減少などにより、エサも豊富になり、繁殖旺盛、急速に 増加 

③どうして増えた?

・地球温暖化により積雪量が減少したことや、狩猟者の減少。

・シカの高い繁殖力

・なわばりを持たないため、エサを求めてどこへでも進出する

・天敵オオカミの絶滅のため、捕食動物の不在

・緑化事業や植林により、エサとなる植物の増加   などなど

 

④シカが増えすぎるとどうなるの?

・シカの嗜好性植物は減少し、反面、不嗜好性植物は増加。植生の偏りや植物を利用する昆虫にも大きな影響を及ぼす

・樹皮剝ぎによる枯れ死、幼木も食害に遭い育たない

・下層植物が無くなり裸地化が進行、土壌の流出、土砂くずれ などなど

 

 ちなみに 日光白根山といえば あの花 「シラネアオイ」

1科1属1種の日本固有種ですが、シカの採食により消失しているとのことで、

いま、山を歩いていてこの花をみることはほぼ皆無。

秘密の場所で、保護育種されているようです。

 私のお気に入りのハルニレの木も、シカの採食により一定の高さ以上に成長できないという報告もあります。

 奥日光では、シカの忌避植物としてカニコウモリ、ヤブレガサ、シロヨメナなどのキク科植物が挙げられていて、茨城県北で見受けられるヤマタイミンガサもキク科であることから、好んで食べるものではないとの見方もあるようです。ですが、国内の他の地域(丹沢山周辺)では、シカの採食によりヤマタイミンガサが減少して、かわりにオオモミジガサが増大しているとの報告もあり、正確なところ、何が忌避植物で何が嗜好性なのかは、よく分かりません。

 今のところ、シカ害に関してそれほど問題視されていない(と思っていますが)茨城県にあって、いざシカ侵入となったとき、温暖で雪もなく、植生豊かな地域だけに穏やかな気分では居られません。

 移住して定着生活にうってつけの場所 “茨城県” シカにとっても同じこと!

 一方、今は、我が物顔でテリトリーを独り占めしているイノシシにとっては、さて、安泰でいられるかどうか?

 

縄文人とシカ

 縄文人がどのような哺乳類(陸生)を捕っていたかというと、種の数としては70種を超えるそうです。そのうちイノシシとシカ(ニホンジカ、エゾシカ、ニホンカモシカ)がその主体を占めていて、特に東北や北陸などの積雪の多い地帯では、シカの比重が高いとのこと(イノシシは短足なので積雪量の多いところでは生息しにくい)。

 狩猟の方法としては、イノシシもシカも主に弓矢。硬くて弾力のあるカシ材やイヌガヤ、マユミなどを使い、長い弓では150㎝前後,短いもので80㎝位。矢先には黒曜石やサヌカイト、頁岩など鋭利な石鏃を使用。

 北海道キウス遺跡では、エゾシカを捕獲するためのわな猟の一種、誘導柵が発掘されています。 

 捕獲した獲物は、食用とするほか、毛皮は衣服、骨や角は道具類(釣り針、縫い針、鹿角斧、漁で使うヤスなどなど生活実用品、装身具としての髪飾りなどなど)、とにかく多様な使われ方をしていた、無くてはならない必需品。

 縄文時代、量的にはどれほどのシカが生息していたかは分かりませんが、人口密度に比して相当数の頭数が生存していたのではないでしょうか?

 ちなみに縄文中期(おおざっぱに約5,000年前)、人口密度が一番高かったとされている関東では95,400人(2.98人/1平方キロメートル)、東北では46,700人(0.70人/1平方キロメートル)なので、縄文人が生活するには十分な頭数を確保できたのではないでしょうか。

  ま、そんなこんなでいろいろな意味で、今回、様々な問題点を考えさせられた「シカ柵問題」イベントでした。

 これからの自然環境を見つめる、その意味でとても重要な試みのイベントだったと思います。

 またしても長文になってしまいました!  

 今日は日曜、そろそろ日没  

       さあ シャワーを浴びてビールでも... ういっ !

 

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No.33 北八ケ岳 苔の森に埋もれて 2023.06.18-19

2023-06-24 06:38:58 | 

No.33 北八ケ岳 苔の森に埋もれて 2023.06.18-19

 これまで何度この森に足を踏み入れたことか。ほかの山塊とは全然違う、特別な雰囲気の漂う森。2,000mを超える高山ではあるのだが、コメツガやトウヒが天空を覆い、岩や木々の樹肌や根元にはコケ類が鬱蒼と密生している。梅雨時の今、ことさらに高い湿度。だが、逃避したくなるような空気感では決してない。しっとりと身体を包むような潤いは、むしろ安らぎすら感じる。そこは樹木と苔と野鳥や小動物たち、そして自分だけの世界。

 山に埋もれている時こそが、もっとも自分らしく居られる時間と思っている自分。

 

 梅雨のさなか、急に思い立ってここまで来たのには実は訳があったのです。

 天気予報をチェックして、この二日間が梅雨の合間の晴れの日と判断し、車を走らせてやってきました。

 その訳とは、

 所属する美術集団「ノン・ブラック」、今年のノン・ブラック展(2023.7.26-31 旧茨城県立文化センター 現在の名称はヒロサワシティ...なんだっけ?)のタイトル提出は6月11日。にもかかわらずその当日まで何を出品するか(写真部門)全然決めていなかったのです。

とにかくタイトルだけ出しておくことにして、「森に入る(もりにいる)」と書いて提出してしまいました。

いざとなれば過去の写真から適当なやつを揃えればいいかななどと、急きょの場合を想定していたものの、やはり新作を出さねばという思いが強く、今回の山行となった次第なのでした。

 

往路は,今さらながら高速道路のメリットに驚きでした。自宅最寄りの水戸ICから、国道299号の麦草峠に登る入口となる長野県佐久穂町まで、なんとすべて高速道路上。一般道路に下りません。標高35mの我が家から目的地の麦草峠標高約2,000mまで約250km、所要4時間半で到着しました。圧巻です。ですが、私的には必ずしも快適というわけではありませんでした。高速道路上では、他車に気を使うばかりで上信越の山並みを眺めたり,沿道の景観を見ることができません。ひたすら前方後方左右とスピードメーターを見つめ、時折休憩するPAでの一時。

無事、駐車場に車を納め、さてこれから二日間はじっくり山中生活を楽しむことに!

 

「青苔荘」

この北八ッにピッタリの名前の山小屋。ここの主は苔の専門家 山浦清さん 70歳代でしょうか「北八ケ岳苔の会」の会長さんです。白駒荘、高見石小屋、麦草ヒュッテとともに定期的に観察会を主催しています。

日曜日の晩ということもあってか宿泊客は私一人、貸し切りです! 壁には、「吉永小百合」 「秋篠宮ご夫妻」 「秩父宮妃殿下」 その他知らないけど有名らしき人の記念写真や色紙が、セピア色になって張られていました。みなさん良い思い出を作られたことでしょう。

 

テント場をチェックしました。

「これならばいけるな」と、納得しました。麦草峠のパーキングから徒歩登り約15分の距離、荷物搬入も問題なし。テントを設営する地面もフラットに整備されているし、底上げされたボードが張られている場所もあり、雨でもこれならば問題なし。水場もトイレも清潔、炊事など火の使用はテント脇でOK.

 

そんなこんな、次回の偵察も兼ねてとにかくゆったりとした二日間を満喫してきました。

 

高貴【後期】な高齢者ではありますが、毎日がサンデー、というわけにはいきません。なにせ家庭菜園をやっていると水やり、草取り、収穫、特にキュウリにあっては、あっという間にお化けになってしまいます。でも遊び時間の捻出のためには少々の労苦は付きもの、3日4日の遠出であれば、まあ、野菜も何とかもってくれるでしょう。

 

そしてもうひとつ、高速道路利用もいいのですが、できることなら一日二日多めに計画を立てて、

京都出身の中古車ではありますが、かわいい我が日産マーチとともに、「走るバンガロウ」 「国道マーチング」 ということで、ちんたら旅もいいのではと思っています。

気が向いた場所で車を止めて、通過する沿道を楽しんだり、いい山があれば地図を広げて名前を探したり、その土地の野菜や果物、味噌など買い込んで...

 

次は、いつ出かけようか、梅雨明け早々にどこか、秋にはやっぱり尾瀬だろうなどと、頭の中はすでにそっちに飛んでいました!!

 

 

 

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No.32 御前山(茨城県)ビオトープ ひと汗流して2023.06.07

2023-06-09 12:05:06 | 

No.32 御前山(茨城県)ビオトープ ひと汗流して2023.06.07

御前山ダム周辺の環境整備に参加して、いい汗を流してきました。

 

このビオトープは、ダムが完成する2008年までに水没予定地の希少な動植物を移す目的で、2004年から「お引越し」が開始されました。20年近くの歴史あるビオトープです。場所は、常陸大宮市檜山地区、もう少し西に進めば其処はもう栃木県茂木市です。地元の人々や今は廃校になってしまった伊勢畑小学校の子供たちで維持されてきました。それは今でもしっかりと受け継がれていて、地元の小学校の行事として定期的に集落の人たちとともに維持されています。

 

私は今回初めて参加したのですが、集まってきた車のナンバーを見て驚きました。都内、埼玉県、茨城県ではつくば市、土浦市など遠方からもたくさん来ていたのです。3人から5人のグループ単位で企業からの参加者が多く見受けられました。総勢50人くらいだったでしょうか。リーダーの支持のもと、それぞれ与えられたエリアに分かれ、小川の整備、離れた場所にあるハイキングロードの整備、希少種周りの草取りなど、もくもくと約2時間の作業でした。

 

気温も27度ほどで、青空の下、少々きつい作業とはなりましたが、皆、けがもなく、リーダーの終了の合図をもって、ベンチで休憩とお昼です。お昼には地元の仕出し屋さん?の炊き込みご飯とペットポトルのお茶が提供され、樹木の下で長椅子に腰をかけ、木々の緑を眺めながら美味しく、それは美味しく頂きました。

 

秋には今年2回目の活動があるようなので、是非にも参加したいと思いました。

 十数年前のことになってしまいましたが、この地で「森林インストラクター茨城会」の観察会を、元御前山村長だった故長山さんと私で企画し実施したことが、懐かしい思い出として蘇ります。あらためてダム建設に奔走し、ビオトープという貴重なエリアを確保された長山さんに感謝です。ありがとうございました。

 

 帰途、ご褒美にお安いチリワインと発泡酒を仕入れ、ルンルン気分で家に戻りました。

 収穫したばかりのジャガイモで作るロシュティ 香ばしい香りが何とも最高!

 メールチェックをしていると、なんと、

     「あなたのブログにコメントがとどきました」とのアナウンス!

 懐かしい高校時代の同期生からです。

 嬉しかったですね 何という一日、素晴らしいフィナーレです。

 ところが、その方のメルアドや現住所など探しては見たものの、残念ながら😿です。

 メール或いはハガキ一枚、ポーンとお知らせいただけないかななどと..淡い期待を抱きつつ、

 その晩はぐっすり爆睡ではありました。

 

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No.31 筑波山 薬王院ルートで山頂へ 2021.04.16

2021-04-19 20:19:48 | 

筑波山薬王院ルート2021.04.16

                                       

筑波山 薬王院ルート 2021-04-16 / ミトノミミズクさんのハイキングの活動日記 | YAMAP / ヤマップ                              

筑波山は、私にとって子供の頃から身近にある存在であり、小学校や中学校の校歌には当然のこととして登場します。水戸市からは50キロメートルほど離れていても、その秀麗な姿は関東平野にすくっと聳えています。

 一時期茨城県を離れましたが、30歳にして偶然にも仕事で筑波研究学園都市の住人になりました。昭和52年(1977年)のことです。まだまだ未開の地に降り立ったという気持ちだったこと、自分たちのことを開拓民と言っていたことを思い出します。職場では三種の神器というのがあり、何かというと「こん棒」「懐中電灯」「長靴」です。街灯のない夜は職場の敷地内でも、暗いし野犬がウロチョロ、雨でも降ればぬかるみと水溜りです。

 女体山の山頂から当時の職場が見えます。石の上に腰を降ろして、その方向を眺めていると次から次に思い出が浮かんできます。

 それにしても、今回の薬王院ルートは久々に本格登山をした感触でした。標高差はまさに筑波山の標高そのもの! 約800メートルです。水戸線岩瀬駅からコミュニティバス「やまざくらGO」に乗り換え(一律200円超お得!)、約40分、旧酒寄駅跡で下車です。この辺りはミカンの北限と言われていて、秋になるとミカン園が賑わいます。小ぶりでおいしいです。

 バス停からゆるゆると登り集落の中を抜けていきます。そして古刹薬王院、鬱蒼とした椎の樹木は圧巻です。さあ、ここから先は、どうぞ直接、行ってみてください。南側とは全く違った静かな登山道が男体山直下まで続きます。ニリンソウやカタクリの群落、樹木ではリョウブ、オオモミジ、アオハダモミジ、椎、山頂近くはブナ、など植生も豊かです。

 下りには、今回、ケーブルカーを利用しました。そして筑波山口というバスターミナルのすぐ近くにある、筑波では知る人ぞ知る「松屋製麺所」ここのラーメンはシンプルかつ絶品!(とは、私他認める人多数)

 そんなこんなで、初夏のひとときを楽しんできました。

 

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No,30 晩秋の尾瀬 2020.10.13-10.15

2020-10-19 19:57:06 | 

No,30尾瀬晩秋

  2020年・令和2年という年は、早々のコロナ騒動から始まり、今もって、その脅威納まらず、収束の見通しすら見えてきません。山では、いや、山に限らず人家の多い農村部や町中でも “クマ” の出没が騒がれ、襲われたニュースが毎日のように報道されています。

 1013日から15日、秋の尾瀬を歩いてきました。不安定な天候の中、雲が低く立ち込めるも比較的明るく、時に太陽が顔を覗かせるまずまずの3日間でした。ここもいたるところに「クマ出没 注意」の表示が掲げられていました。聞くと、至仏山荘など小屋の直ぐそばまで、ためらいもなく寄ってくるそうです。

 鈴と、以前スイス・ルツエルンの農機具屋で買った本物のカウベルと、ストラップに付けたホイッスルの三点セット、これが私のクマ対策! 行き交うハイカーがほとんどいない今年の尾瀬、登りで喘いでいるときには意識から離れているクマの幻影も、緩やかな歩きになると幻影があちこちに見え始め、周囲を見渡し、耳をそば立てつつ進むことに! クマか それとも この美しい自然か 結局は、自然に包まれた中に入る自分を選ぶことになるのです。クマとの共存です。  

 あと何回、この美しい自然に会いに来ることができるのか、

三平峠から大清水に下るなか、

これまで感じたこともなかったことが頭をよぎりました。

 

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