No.42 オジロワシと縄文人 2023.12.10
山梨県立考古博物館では、シリーズものの講義として「館長講座」を年に4回開催しています。今年の第3回講義が12月9日にありました。オンラインで受講できるので甲府市の現地まで出向くこともなく、自宅の勉強机に座りPCを開きます。PCの音声は少し小さいので、ブルーツース機能を使って単体のスピーカーに接続して聞きます。さらに臨場感をもたせるために画面を大きくして見たいので、PCとTVをコード接続して画像転送します。講義資料はあらかじめ送付されたメールの添付資料をプリントアウトして手元に用意しておきます。そしてゆったり気分で、脇にコーヒーカップを置いて90分の講義を楽しんでいます。
今回のテーマは、「金正遺跡と石棒儀礼」
金正遺跡(きんせいいせき)は北杜市にある国指定の縄文後期(4,400年前~)から晩期(3,000年前~2,700年)にかけての、特に祭祀を行った遺跡として高い価値をもっています。
配石遺構と言われる石を用いた石棺墓や住居群、石棒(男性器を表現した遺物)、大量のイノシシの殺戮(供犠)があったことを思わせる骨の出土など、縄文時代の儀式を探るうえで貴重な遺物が見つかっています。
講義資料の中に、興味ある部分がありました。供犠に使われたと思われるトリです。出土場所はなんと私の住んでいる水戸市の隣り町、ひたちなか市の「三反田しい(虫辺に見るという字)塚貝塚」
オジロワシの全身骨格を実測した図です。
講義終了後、ひょっとしたらということで、「ひたちなか市埋蔵文化財調査センター」にオジロワシの遺物の情報を聴くべく電話したところ、なんとケースに入って展示されているとのこと。
さっそく翌日(10日の日曜日)出向きました。自宅からはおおむね15キロメートル、車で30分程度の距離です。
ありました、ありました。靴を脱いでスリッパに履き替え通路をまっすぐ進んだその先にガラスのケースに入った「オジロワシ」の骨格が! 感激です。
このオジロワシ、住居址の人骨と近い距離に埋葬された形で発掘されたようです。ただし大きな特徴として頭部がありません。
このことは、金正遺跡や千葉県茂原市の下太田貝塚などの「イノシシ」の供犠に見られる頭部を切り取っているのと共通点があります。
ここ三反田しい塚貝塚でも、供犠としてトリが供されたことが想定されます。
11時過ぎに当調査センターを訪れたのですが、他に来訪者は私ひとり。そのため学芸員の女性の方から様々なお話、情報をたくさん得ることができました。さらにはオジロワシが発掘されたときの報告書のコピーもいただくことができました。ありがとうございました。
この調査センターは、「虎塚古墳」の壁画が見つかったことでも重要な場所で、さらには今年「十五郎穴(じゅうごろうあな)横穴群」が国指定の史跡になることが決まりました。
前方後円墳の虎塚古墳の内部石室には、色鮮やかな彩色が施されています。
また、7世紀初めの古墳時代末期に作られた十五郎穴横穴群の一つ一つの穴は、身分の高い人の墓です。墓からは正倉院宝物にある太刀と同形のものなどが出土しているとのことです。
調査センターや十五郎穴の周りは、畑あり藪あり、のどかな風景です。すぐ近くには北関東自動車道路が海側に見えます。
東側およそ1キロメートル先は、広大な太平洋。遺跡の有るところは標高差20メートル程度の台地上です。周囲の一段低いところには谷地が広がっています。貝輪などの装飾品も多数出土していて、豊かな縄文の生活が垣間見えます。
日溜まりのベンチに腰を下ろし、ここに来る途中で買ったサンドイッチを頬張りながら、遺跡を独り占めしている今の自分。「幸せだなあ」と加山雄三よろしく鼻の下をこすりながら大空を仰いでいました。
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