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『なぜ論語は「善」なのに儒教は「悪」なのか-日本と中韓「道徳格差」の核心—』
(石 平著 PHP新書)
- 何故『「儒教」と「論語」の違いを知る必要性』があるのか(はじめに)
2017.6.27の本欄でご紹介した『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(ケント・ギルバード著)で、『「儒教」に対し抱いている日本人の「倫理・道徳規範」的イメージと、「特亜三国(中・韓・北鮮)」の非常識の源泉となっている「儒教」との乖離』と記しています。ここでは、「儒教」が二つの意味を含んでいます。善の「儒教」と悪の「儒教」です。
石 平は今回の紹介本を通して、『善の「儒教」』は「論語」、『悪の「儒教」』は前・後漢時代の「儒教」と南宋時代以降の「朱子学」であるとし、『悪の「儒教」』の理論的準備の役割を果たしたのが孟子・荀子の「儒学」と位置づけ、「論語」⇒「儒学」⇒「儒教」⇒「朱子学〈「新儒学」「新儒教」〉」の道筋を明らかにしています。
石 平は紹介本の中で、『前漢に成立した「儒教」は、南宋時代に「朱子学」という新しい教学を生み出し、それを理論的中核にして「新儒教」としての「礼教」が成立した。中国伝統の「礼教」と「礼教」のつくり出した社会は、「論語」の心の暖かい「礼(“仁”=“愛”にもとづく礼儀)」と「和(思いやり)」とは無縁な世界であり、過酷さと残忍さを基調とする世界であった。』と述べ「論語」との大きな隔たりを指摘しています。
私達にとり、隣国「特亜三国」の支配的文明・文化「儒教」・「新儒教(朱子学)」と日本文化に深い影響を与えている「論語」との違いを深く理解しておくことは、関連する様々な経営的判断をする上で必要な事と思います。このことを次項『初めて知る「論語」・「儒学」・「儒教」・「朱子学(新儒学・新儒教)」』で深堀してみたいと思います。
- 初めて知る「論語」・「儒学」・「儒教」・「朱子学(新儒学・新儒教)」
【「論語」・「儒学」・「儒教」・「朱子学」を明確に区分・把握してみよう】
石 平は、「論語」と「儒学」・「儒教」・「朱子学」は全く別物と強調します。「論語」は、聖人でも理想の教師でもない、しかし人生の達人・知恵者である孔子が、賢明な生き方・学び方・物の見方を弟子たちに諄々と語り教えた、それが「論語」(孔子の死後弟子たちにより編集された言行録・人生の指南書)という書物のすべてであるとします。
更に石 平は、一般的には儒家という括りで一緒になっている孔子(BC552~479)・孟子(BC372~289)・荀子(BC315~235)について、『中国思想史上、儒学がその始祖とすべきは儒学の学問的体系化をした戦国時代の孟子(「性善説」「徳治主義の王道政治」)・荀子(「性悪説」「礼治(政治)主義」)であり、春秋時代の孔子ではない。「王道主義」にしても「礼治主義」にしても「為政者が万民を導く」必要性を説くものであり、前漢・後漢以降の中央集権国家における支配的イデオロギーの理論的準備と言えるもので、過ぎ去った古き良き春秋時代・封建社会の政治文化に傾倒した孔子の考えとは全く別物である』『孔子「論語」の考え方は、孟子・荀子の「儒学思想」や、後世(前漢・後漢以降)の「儒教思想」とは正反対のもの』と主張します。
勿論、孔子も「論語;為政編」で「為政以徳〈政治を行うのに道徳・人徳をもってすれば、上手く民衆を治められるだろう〉」など政治に触れる部分がありますが、それは孔子の言行であって、孟子・荀子の様に治政を体系化・思想化したものではないというのが石 平の主張で、論語⇒儒学⇒儒教への流れを説明する点では納得できるものであると思います。
それでは、前漢時代に成立する「儒教」と南宋時代に成立した「朱子学」についての石平説を見てみましょう。
「儒教」「朱子学」の共通点は、皇帝(前・後漢、魏晋南北朝、隋、唐、五代十国、北宋、南宋、明、清)の地位と絶対的な権力を正当化するための思想・理論、御用教学・国教であることです。さらに、これらの思想・理論を試験科目とする「挙考簾(前・後漢⇒魏晋南北朝)」・「科挙(隋⇒清末期)」制度を通じて、国家権力を支える官僚組織に「儒教」「朱子学」が浸透して行ったのです。
「儒教」「朱子学」の相違点について次で見てみましょう。
まず、「儒教」は前漢の武帝(BC141~87)の時代の董仲舒によって創成されました。董仲舒は、『天人相関説(【注1】を参照)』により、皇帝の地位の絶対化を図る装置を打ち立てました。さらに、この儒学者たちにより「儒教」の経典として「五経(『詩経』『書経』『易経』『礼教』『春秋』)」が作られました。経典に「論語」が入っていないことに注目してください。
その後、前・後漢後の魏晋南北朝、隋、唐、五代十国、北宋の時代は仏教・道教が重用されましたが、儒教の御用・支配教学の地位は維持されていました。北宋王朝が女真族(ツングース系民族/後の満州民族/清)の金王朝により滅ぼされ、南に逃れ南宋王朝(BC1127~)を創建します。その三年後、儒教史上最も影響の大きい朱子が生まれ、成人して「朱子学」を打ち立てました。
「朱子学」の特徴は、前・後漢時代の「儒教」を否定し、『理気二元論(【注2】を参照)』と『性即理説(【注3】を参照)』の二つを基本的理論・思想とし、更に、朱子学の正統性を創るため、五経の内の「礼経」の注釈書である「礼記」から「大学」「中庸」を抜き出し、それに「論語」と「孟子」を加え「四書」とし朱子学の基本経典としての『「四書」「五経」(朱熹独自の解釈書も創り上げる)』を制定した。こうして朱子は、新儒学(朱熹による「孟子」の独自解釈+荀子の「性悪説」は継承しない)・新儒教(漢代の「儒教」を否定)としての朱子学を打ち立てたのです。
この二つの理論・思想から帰結する朱子学のスローガンは『在天理、滅人欲(天理を存し、人欲を滅ぼす)』です。その為の「格物致知」「持敬」が出来るのは一部エリート層のみで、それが出来ない一般民衆には導きが必要であり、導きの手段として社会全体と一般民衆を「朱子学」によって統制していくべきと考えます。
そこで朱子学が統制のために提唱するのが「礼経社会」の実現です。「礼」即ち礼節と道徳規範を以って庶民を「教化」し、社会・一般民衆の心を「本然の性」に目覚めさせ立ち返らせることが朱子学の唱える「礼教」の役割だとします。こうして朱子学は、元、明、清王朝の体制教学として「礼教」にもとづく国家体制作りに利用される思想になっていくのです。朱子学と礼教と政治権力が絡み無言・有言の圧力の下で、強制力のある社会規範をもって、人間性と人間的欲望を抑圧してきたと指摘します。
【注1】『天人相関説』;
すべてを支配する『天』の意思により『「天子」=「皇帝」』を通じて、
『天』は『天下万民』を支配するという思想・理論。
【注2】『理気二元論』;
宇宙生成から自然現象までの全てが、形而上の「理(天地万物を主宰する法則性)」
と形而下の「気(万物を構成する要素)」から成り立っている。
両者は、「不離不即」の関係で、「気」が運動性をもち「理」は道理にかなった
法則で、「理」は根本的実在として「気」の運動に対して秩序を与えるとする存在論。
【注3】『性即理説』;
朱子学の実践倫理・実践理論。人間にあって「気」は肉 体、「理」は精神を意味し、
その精神を構成する人間の心は「性」と「情」から成り立つ。
「性」とは心が静かな状態であり、この「性」が気によって動くと「情」になり、
さらに激しく動きバランスを崩すと「欲」となる。「欲」にまで行くと心は悪となる。
よって、たえず「情」を統御し「性」に 戻す努力である
『格物致知(万物を観察・研究しその中に宿す「理」を極 め・発見)』と
『持敬(心の静止状態を保つ修養法、仏教=禅宗の二番煎じ)』
が必要と説く。
この「性」にのみ「理」を認める(=性即理)。
【「朱子学」に支配された中・韓にたいし、「朱子学」を捨て「論語」に「愛」を求めた日本】
石 平は最後に次の様に主張します。『中国と朝鮮が儒教と朱子学によって支配されたのに対し、日本人は昔から自分たちの好みで「論語」を愛読し、「論語」の精神を心得ている。そして、まさにその重要な違いから、日本人と中国人・韓国人との「道徳格差」生じて来たのであろう。「論語」に親しんできた日本人が道徳観の根底に置くのは、「愛」であり、思いやりとしての「恕(じょ)」であった。だが、人間性抑圧と欺瞞を基本とする儒教イデオロギー(「儒教」と「朱子学」に共通する絶対的権力を正当化する思想、朱子学の礼教による人間性抑圧を正当化する思想)に支配されてきた中国社会や韓国社会はそうではなかった。』と。
「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」でケント・ギルバードは、次の様に指摘します。『この「儒教」文化(石 平のいう「儒教」と「朱子学」)が「中華思想」となり、漢民族、朝鮮民族に受け入れられた。「中華思想」を維持する漢民族は、自分たちを周辺国より絶対的上位にあると位置付ける、選民思想を患わっている民族である。朝鮮民族は、中国にすり寄ることで、他の周辺国に対し、ナンバー2の優位性を保ち、自らを「小中華」と称し、上位にある世界の中心に座す中国には媚び、距離的に下位にある日本などに対しては、一方的な優越感を持ち、高圧的な姿勢を取るようになっている。』と。
また、2015.11.24の本欄でご紹介した『文明の衝突』(サミュエル・ハチントン著)で、ハチントンは、現在世界には、西欧文明(含むアメリカ)、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明、イスラム文明、中国文明(中華・儒教文化)、ヒンドゥー文明(インド)、東方正教会文明(ロシア、カザフスタン、ウクライナなど)、仏教文明(ミヤンマー、タイ、ラオス、カンボジア、モンゴルなど)、日本文明の9つの文明があるとします。中国文明(中華・儒教文化)を既述のように理解することで、『文明の衝突』を深読みすることが出来るのではないでしょうか。
- 文明・文化を知ることの意義(むすび)
紹介本を通じ、中国で青年時代を経験した著者の正確・客観的な「儒教」観を知る事ができました。
いずれにしても「儒学」「儒教」「朱子学」と「論語」を混同することからは逃れる事が出来たのではないでしょうか。
ここで大切なことは、『彼を知り己を知れば、百戦して殆からず』と同時に、『小異を残して大同につく(一般的には「小異を捨てて大同につく」)』の格言に従い、「儒学」「儒教」「朱子学」と「論語」がどの様な思想かを理解し、経営の場で判断材料として活用すると同時に、お互いが「共通のアイデンティティー(ビジョン)」を共有し、それに向かって進んでいく前向きな姿勢も大切にしたいものです。
【酒井 闊プロフィール】
10年以上に亘り企業経営者(メガバンク関係会社社長、一部上場企業CFO)としての経験を積む。その後経営コンサルタントとして独立。
企業経営者として培った叡智と豊富な人脈ならびに日本経営士協会の豊かな人脈を資産として、『私だけが出来るコンサルティング』をモットーに、企業経営の革新・強化を得意分野として活躍中。