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『(増補版)「大東亜戦争へ至る歴史」国際的視点から戦争の誘因を探る』
(斎藤 剛著 株式会社22世紀アート)
■ 「大東亜戦争へ至る歴史」が追究する「真実な歴史」(はじめに)
紹介本との出会いは、友人の元千葉文化振興財団理事長で近現代史研究家の著者が紹介本を出版したとの情報を得たことでした。早速手に取って読みました。
驚いたことが二つあります。
一つは、著者の視点です。単なる史実(歴史の事実)に止まらず、歴史の探求(history)をnarrativeに語り、その語り方はX軸(「通史」の軸)・Y軸(国際的視点と地政学的視点)・Z軸(関係する個人個人の人間力)の立体軸で語っていることです。X軸の時間軸については、幕末まで遡り、大東亜戦争に至る思想的背景を探索しています。Y軸については、著者の得意とする西洋史観により、日本と世界のシナジーを「歴史綜合」的に語っています。Z軸については、史実に係ったリーダーの人間力の良し悪しが歴史の良否を決めていることを解説します。最も貴重なことは、「ファクトに基づく真実」を追及していることです。
ファクトに基づく真実の例として『「大東亜戦争」と「太平洋戦争」の違い』があります。戦後1945年12月、GHQは「大東亜戦争」の用語を禁止しGHQが創り出した「太平洋戦争」の用語を使うよう指令を出します。著者の研究によれば、「日米開戦の原因は、戦略的・意図的に日本を開戦に引込んだ、アメリカにある」と言えます。GHQの民間情報教育局はアメリカ視点で「悪いのは日本の軍部であるという史観」を盛込んだ「太平洋戦争史」を準備し、その上で「太平洋戦争」の用語を使うよう指令したのです。本欄では、日米戦争の呼称を、幕末から連綿と続くアジア主義(アジアとの連携を求める)に基づき、アジアに於ける「欧米列強の植民地主義に終止符を打った(アーノルド・トインビー)」という戦争の本質を現し、歴史的に正しい、「大東亜戦争」の用語を使います。
二つ目は今回の出版は、所謂POD出版・KDP出版(注)の最新版であることです。10年前、著者が城西国際大学で教鞭をとっていた時に、学生に配布するために紹介本のoriginal版を出版した時と比べると、格段の進歩が有ります。費用は10分の一に圧縮できたそうです。加えて電子版の進化は目覚ましいです。特筆すべきは電子版を読む際、検索機能を使うと、キーワードに関係するページがすべて表示されます。500ページを超える紹介本では、ページをめくらなくても済むので、ぴったりの機能です。
(注)POD(Print On Demand)。 KDP(kindle direct publishing)。
なお、本欄で「history」を用いる意義は、語源のギリシア語historia(探究)の意味と著者の意図の合致を強調したいからです。「historia」の意味は『歴史は単に人間世界で生起する史実の連続や全体像を語るのではなく,その史実の持つ意味・示唆を探究することである』です。
紹介本からの多くの新しい発見に基づき、次項で『「大東亜戦争へ至る歴史」の「history」から学ぶ「経営」への示唆』を記させて頂きます。
■ 「大東亜戦争へ至る歴史」の「history」から学ぶ『「経営」への示唆』
【『大東亜戦争の開戦に繋がる「外交の失敗」』から学ぶ】
満州事変[注1]処理の過程での国際連盟脱退についてです。
- [注1]1931.9.18、南満州鉄道〔地図1(下記URL)〕が爆破され、関東軍が張学良軍の犯行として軍事行動を起こした、柳条湖事件〔地図2(下記URL)〕を発端とする、中国東北・内蒙古への武力侵略戦争。1933.5.31に塘沽停戦協定。この満州事変は、いわゆる十五年戦争(1931.9.18-1945.8.15)の始まりであり、1937.7.7の蘆溝橋事件〔地図2〕による日中戦争全面化に繋がるのです。
この連盟脱退は、日本が世界とアジアの中で孤立し、本格的侵略国家として抜き差しならぬ一歩に突入したのです。連盟脱退については、自身では脱退反対意見を持ちながら雄弁な脱退演説(1933.2.24)をした、松岡洋右が有名ですが、その背景が重要です。
満州事変から国際連盟脱退までの(1931.9.18~1933.3.8)の主な史実(上記を除く)は次の通りです。
- 1931.9.21、中華民国が国際連盟に提訴。
- 1931.10.8、錦州事件〔地図2〕;張学良軍が満州各地から集結していた錦州を、石原関東軍主任参謀自ら飛行機に乗って爆撃、その後無抵抗で制圧。この爆撃により、それまで中華民国の提訴を無視してきた連盟理事会が満州事変への対応を迫られる。一方、国際連盟に加盟していないアメリ力は、この錦州攻略に反発した。 スティムソン 国務長官は、「アメリカは中国の主権、独立、領土保全を侵害するものや門戸開放政策に違反することを承認しない」ということを日中双方に通告した。これにより日米関係は悪化することとなった。
- 1931.12.10、国際連盟において、日本の提案により、満州事変を調査する「リットン調査団」がスタート。
- 1932.3.1、満州国建国。
- 1932.5.15、満州事変解決に向けて、正しい戦略をもとに和平構想を進めていた犬養毅首相が、青年将校のクーデターで、射殺される。〔5.15事件〕
- 1932.5.26、斎藤内閣スタート;5.15事件[上記]を機に、政党政治が終わり、挙国一致内閣の斎藤実首相(海軍出身)内閣がスタートします。
- 1933.2.23、熱河作戦〔地図2〕;満州を追われた張学良が4万の義勇軍を編成して北京と満州の間の熱河省に侵入し、満州国に反抗していたことへの対応のための軍事行動。
- 1933.2.24、国際連盟総会において、リットン調査書の報告書に基づく日本軍の南満州鉄道付属地内への撤収の勧告と採決。
- 1933.3.8、閣議で連盟脱退を決定。
〔地図1〕
https://blog.goo.ne.jp/sakaigmo/e/1cf571028ddb453f55c7e1956f0dadb9
〔地図2〕
https://blog.goo.ne.jp/sakaigmo/e/b1e1eccc2f72cdc63eb55dee6a9a1d1a
この斎藤内閣成立から国際連盟脱退に至るまでの、斎藤実首相と元老西園寺公望の動きを見てみましょう。
1933年1月、万里の長城以南に侵攻しないことを条件に熱河作戦について閣議決定し、天皇の裁可を得ていました。ところが、ここで斎藤首相は重大な問題に直面します。国際連盟が満州事変の解決に努めている時、熱河作戦という戦争行為を行った場合、連盟規約により他の連盟国への敵対行為とみなされ、通商上・金融上の経済制裁を受けるという懸念が浮上してきたのです。そこで慌てて昭和天皇に裁可の取消を願い、天皇もそれに応じようとしましたが、元老西園寺公望らは天皇の裁可の取消は権威の失墜につながるとして、裁可の取消に反対したため裁可の取り消しは出来なかったのです。
1933年2月20日の閣議で「日本への勧告案が連盟総会で採択された場合、自ら連盟を脱退する道を選択する」を決定したうえ、1932年2月23日熱河作戦は実行されます。結果1933年2月24日連盟総会において、リットン調査書の報告書に基づき、日本軍の鉄道付属地内への撤収と満州を国際管理下に置く勧告をします。勧告案は賛成42に対し反対は日本だけで採択された。松岡全権大使は脱退演説をして退席しました。こうして既定方針通り1933年3月8日の閣議で、日本は連盟脱退を決定したのです。
著者はこの点について、当時の内大臣牧野伸顕の1933年2月20日の閣議決定の日記の記述を引用します。「連盟脱退問題は、その意味を十分吟味せず、脱退があたかも目的なるが如く思ひ込み、その目的達成に狂奔の言論界の現状、帝国人の心の軽佻(軽薄)を示すものにして、前途の為憂慮にたえず」です。
ここで思い起こすのがピーター・ドラッカーの『「マネジメント」は物事を正しく(効率的に)行うことであり、「リーダーシップ」は正しい事(正義・大義)をすることである』です。
斎藤首相も西園寺元老も「いきなり戦争するのではなく、利害対立を解消し、国民の生命財産を守るのが外交交渉であり、それを担うのが外交である」の正義・大義を貫くリーダーシップを“魂”のレベルで持てていなかったのです。
【「日米開戦の双方の戦略の巧拙」から学ぶ「経営戦略のあり方」】
紹介本から日米開戦における日米の戦略の巧拙を見ることが出来ます。日米の戦略の巧拙を『「戦略ストーリーの5C理論〔注2〕」と「戦略ストーリーの“骨法(根本)10か条”理論〔注3〕」-楠木健「ストーリーとしての競争戦略」より-』から分析してみましょう。
米国大統領ルーズベルトの戦略は、5C、10カ条全てを満たしています。それに対し、日本の真珠湾奇襲戦略(山本五十六連合艦隊司令長官と永野軍令部総長〈東条内閣〉が遂行)は、著者の表現『日本軍は作戦偏重で戦術には優れていても、経済、輸送・兵站などトータルな戦略を立てる システムも人材も不足していた』の通り、『長期戦では負けるとの認識による「短期決戦に勝利し講和に持ち込む」』というCompetitive Advantage(競争優位)だけに止まり、残りの4Cは欠けているのです。
さらに言えば、日米双方の一番の戦略上の相違は、戦略における「クリティカルな検証(10カ条の3)」です。ルーズベルトの最大の「懸念」は1940年11月の大統領選における公約である「皆さんのご子息を決して海外の戦争に送らない」でした。ルーズベルトは、宣戦布告(日本外務省のミス?)もない真珠湾奇襲攻撃を事前に察知しながら、敢えて甚大な被害を受入れ、日本に真珠湾奇襲攻撃をさせ、それを「無通告のだまし討ち」とアメリカ国民と全世界に訴え、国民世論を味方につけ「議会の日本への宣戦布告決議」へと繋げていくのです。ルーズベルトはこの「懸念」をクリティカルな課題として持ち続け真珠湾奇攻撃を活用し「懸念」をクリアーしたのです。
ルーズベルトは英国首相チャーチルの要請を受けたドイツ戦への参戦の機会を懸命に創ろうとしていましたが、日本の真珠湾奇攻撃により、大統領選での公約に起因する「懸念」をクリアー出来、ノルマンディー上陸作戦(1944年6月6日)に向けて走るのです。
一方日本は、「短期決戦に勝利し講和に持ち込む」戦略が失敗した場合の次の戦略は全くなく、ミッドウエー海戦以降負け続け、敗戦に至るのです。「クリティカルな検証(10カ条の3)」の欠落により、失敗する確率の高さを考慮しないまま開戦した日本の戦略上の誤りは明らかです。
〔注2〕5Cとは:
- Competitive Advantage(競争優位)戦略の最終的な帰結論理。起承転結の結。
- Concept(コンセプト))戦略目的の設定。起承転結の起。
- Components(構成要素)ライバルとの差異化・差別化。起承転結の承。
- Critical Core(クリティカル・コア)独自性と一貫性の源泉となる戦略の中核的な構成要素。起承転結の転。
- Consistency(一貫性)構成要素をつなぐ因果論理。戦略ストーリーの評価基準。
〔注2の補足〕5Cと起承転結:
- 『起』は「コンセプト」です。コンセプトを具体的な「構成要素」にブレイクダウンするのが『承』です。構成要素が相互に繋がることによって「競争優位」を確立し、戦略目的を達成・持続します。これが『結』です。そして『転』は全ての「構成要素」を実現可能にする「クリティカル・コア」です。「コンセプト」と「クリティカル・コア」が戦略の良否を左右する重要なカギとなります。「一貫性」は戦略全体の評価・検証基準です。
〔注2を図示〕「スターバックスの戦略ストーリーにおける『5C』」(下記URL)を参照下さい。
https://blog.goo.ne.jp/sakaigmo/e/30ac45e8b587b76af5f36291bb0a6534
〔注3〕10カ条とは:
- エンディングから考える。
- 普通の人々の本性を直視する。
- 悲観主義で論理を詰める。
- 物事が起きる順序にこだわる。
- 過去から未来を構想する。
- 失敗を避けようとしない。
- 賢者の盲点を衝く。
- 競争他社に対してオープンに構える。
- 抽象化で本質をつかむ。
- 思わず人に話したくなる話をする。
【その他の学び】
上述以外に、
- 『中国の「悪の儒教(皇帝の地位と絶対的な権力を正当化するための御用教学として体系化された、前・後漢時代の儒学・儒教及び南宋時代の朱子学。すなわち中華思想。)」を徹底的に排除し、「国学(善の儒教=論語を含む)」を確立した「本居宣長」』(素晴らしい、正義・大義を貫くリーダーシップの好例)、
- 『1937年12月、ドイツ政府の仲介により、蒋介石も交渉に応じる意向を示していた、日中戦争の和平条約交渉が進んでいた時に、「南京攻略戦」の勝利に惑わされ、中国人の中華思想を理解していれば和平交渉に応じない事が解るにも拘わらず、過酷な「追加和平8項目」を追加的に示すことで、日中戦争唯一の和平条約締結のチャンスを潰し、大東亜戦争に繋げてしまった「広田弘毅外相(第一次近衛内閣)」』(正義・大義を貫くリーダーシップの欠如)、
- 『1941年4月、当時の野村駐米大使が中心になって纏め、米国の同意を得られる唯一の可能性のあった「日米諒解案」を壊し、独自に創った修正案により交渉を行うも、英国・蒋介石からの強い要請とソ連の工作により日本に攻撃させようと変化した米国の戦略を背景に、日米交渉は決裂し、結果として日米開戦に導いた、自信過剰で傲慢、独善的な「松岡洋右外相(第二次近衛内閣)」』(正義・大義を貫くリーダーシップの欠如)、
など、著書から、多くの「歴史の持つ意味・示唆」についての学び・発見が有りました。
■ 「歴史の持つ意味・示唆」に注目しよう(むすび)
「大東亜戦争に至る歴史」の「history」から、経営への示唆を見てきました。これからも『歴史の持つ「経営」への意味・示唆』に注目していきたいです。
【酒井 闊プロフィール】
10年以上に亘り企業経営者(メガバンク関係会社社長、一部上場企業CFO)としての経験を積む。その後経営コンサルタントとして独立。
企業経営者として培った叡智と豊富な人脈ならびに日本経営士協会の豊かな人脈を資産として、『私だけが出来るコンサルティング』をモットーに、企業経営の革新・強化を得意分野として活躍中。