センムのブログ

日常の事柄、仕事から趣味まで風の吹くまま気の向くまま書いてみたいと思います。

マイル消化DE長崎へ(総評)

2010-09-27 | 日記
総評は普通最後にすべきなんですが、今回の旅行はいろいろなことがあったので、まずこれを先にしなければならないと、総評から書きます。

旅行は普通楽しいものです。もちろん、この長崎への旅行は楽しいものでしたが、それだけでない貴重な体験をしました。
最初に立ち寄ったのは「特攻 殉国の碑」です。ここは別の用で行った所(後日詳しく)の近くに、カーナビに表示されたところで、少し時間があったのでいった所です。よく考えたら九州は戦争の前線に近いところで、軍港や基地、末期には特攻隊の出撃があったところです。その碑の前で目を閉じていると、彼らの命の上に今の日本や自分の命があると思うと、自然と気持ちが熱くなってきます。
その「特攻 殉国の碑」は→という案内看板の下に○○党の掲示板があったのは、なんともいえない日本の姿を見ました。

午後は軍艦島へ行きました。ガイドをしてくれたのは軍艦島で育ち、今は島を世界遺産に登録するための活動をしている団体の理事長さんでした。個々の説明はもちろんですが、当時、軍艦島の絶頂期に書かれた新聞記事の切り抜きを出し、そこには「日本の未来の姿」と書かれていました。まさに夢の島と言われた絶頂期です。
その「明るい未来」がこんな廃墟です。さらに日本の資源自給率は4%、環境も年々破壊されている今の地球に、私たちはどんな未来を作るのでしょう。との話がありました。
軍艦島は過去の島。しかしそこに日本の未来を描いていました。明るい未来を。しかしそれが廃墟となり私たちに今見せられています。世界の過去と現在と未来を一気に見せられてしまいました。後述の長崎とあわせて、是非とも世界遺産に登録すべきだと思います。

翌日は朝一番に平和公園に行きました。私は恥ずかしながら原爆関連施設に行ったのは初めてです。が、これほどのものを感じるとは思っていませんでした。なんといっても私が平和公園で一枚も写真を撮りませんでした。「記念」写真を撮ったりするような場所ではない、もっと真剣に戦争のこと、命のことを考えなければならない場所である。そう思うとこの私が写真を撮ることは必要ないと考えたのです。
心に焼き付けられる光景というのは確かにあると感じました。ここで写真はいらない、その時感じた気持ちをしっかり持ち続けることが一番大事であるし、それ以上のものはないということでした。

そこから大浦天主堂へ行く途中、乗った路面電車のなかで隣に座ったご婦人と話をしました。その人は被爆者で、少し前に大病を患い、もういくばくもないと言われたそうですが、それから三年元気に生活してられるとの事でした。
心臓の病気なのですが、原因は過大なストレスを受けるような人の死に直面したことがあり、そのことが原因になったようでした。多くを語られませんでしたが、それが原爆に関係していることであることは間違いないのではないでしょうか。
いろいろな話をし、途中でその方は降りられましたが、電車が動き出したときに元気に手を振ってくれたその姿をみた私と妻は、空席の目立つ車内で涙を流さずにはいられませんでした。

もっともっと、この目でみて感じなければならないことがたくさんあります。