
中国~北京
人口の多さは、漠然とだったけれど思い描いていました。
が・・・しかし、天安門の前で見た多くの人々には、正直度肝を抜かれました。
いったい、何処からこんなにたくさんの人々が集まってくるのだろうか・・・。
それは、最近の好景気で地方の人々も豊かになり、地方から団体で北京に観光に
来るようになったということです。

入場チケット販売所前。

この人の波は、まるで靖国神社の初詣みたいでした。
なかなか、前に進めないのです。

見慣れぬ民族衣装を着た観光客(やっぱり多民族ですね)


1908年12月、西太后が光緒帝の後継者として愛新覚羅溥儀を指名したことにより、溥儀はわずか2歳10か月で
皇帝に即位させられ、清朝の第12代宣統帝かつ紫禁城に居を構える最後の皇帝となった。
そのラストエンペラーも座っていた玉座です。

月見のために作られたという。


故宮は南北960m、東西760m(約72万m2、東京の皇居は約22万m2)で、高さ10mの厚い城壁に囲まれ、
四面に各1門、四隅に角楼を設け、その外に幅50m余の堀をめぐらしている。この中に9000近くの
部屋があり、明代では9000人の宮女、宦官10万人が住んでいたといわれる。(AraChina HPより)
さすが、世界一の宮殿です。
歩いても、歩いても本当にほんの一部分しか見ることができません。


一枚の岩に掘り込まれた、見事な彫刻


どれだけの悲しみと喜びと戦いの歴史を見守ってきたのでしょうか


日本なら、まず撮影禁止ですね。


北京に空はないという
本当の空が見たいという
・・・・・高村光太郎の知恵子抄ではありませんが、灰色の空を見ていたら、ふとこの詩の
一節を思い出しました。
智恵子は東京には空がないという
本当の空が見たいという
確かに日本も、高度成長のときは光化学スモッグ注意報なんか出ていましたね。
それと同じかどうかはわかりませんが、北京で青空を見ることはめったにないそうです。
えっ?
私?
見ました。
行った当日と翌日は、きれいに晴れ渡る青空でした。(日頃の行いが・・・

そして、帰国する最終日に北京らしい空を見させていただきました。
底知れぬパワーと可能性が、秘められた地だったように思います。
次回は、北京でいただいた本物の北京ダックなど、北京料理の報告です。
中国の歴史を、勉強したくなりました。
何故、紫禁城や万里の長城を作り上げる財と知恵と力がありながら、悲しい運命をたどったのか・・・
これからの中国が、どう変わっていくのか
また、どう係わっていけるのか
国対国ではなく、地球をシェアする仲間として携わっていけたら良いなぁ・・・・
と、思いながら帰ってまいりました。