白神山地が世界自然遺産に登録されてから10周年を記念して製作された映画「白神の夢」
もともとは、山下プロデューサーと小池監督の
「世界自然遺産・白神山地をただの自然風景だけで記録せず、そこにいる人々、そこにあるもの
そこで生きていることを記録として残したい」
という想いから始まったと記憶しています。
今からもう14年ほど前のこと
当時、県外不出とされていた白神こだま酵母が、県外者である私の手元に初めて届いたとき
試行錯誤しながら見つけた、白神こだま酵母おもっともおいしいパンを焼きあげる環境。
あまりにも素晴らしいパンを焼くので、どうしても白神こだま酵母の故郷の水
白神山地の湧水を使ってパンを焼きたくなりました。
そして、当時八森町と仕事をされていた山下プロデューサーにお願いをして、八森の湧水を
送っていただける方を紹介していただきました。
それが、当時白神ネイチャー協会会長の工藤英美先生でした。
全く同じ環境で、ただ水だけを変えたレシピでの焼き比べ。
白神山地の湧水でこねていると、すぅ~~っと水が入っていくのがこの掌に伝わってきました。
そして、焼きあがった時のあまぁ~~い香りは、格別なものでした。
食べ比べをしてみても、その味はそれとわかるものでした。
当時の私の工房も、水にはこだわっていましたが、やっぱり白神山地の湧水には勝てませんでした。
その時に思いました
「あぁ、白神こだま酵母は故郷を覚えているんだ」と!!
その感動を、お水を送ってくださった工藤先生にお伝えしたくて、その焼き上げたパンをお送りしたところ
課外授業で白神山地の地質などを教えていた小学三年生の子供たちに食べさせたことから、この白神の夢という
映画の糸が紡がれ始めていったのです。
白神山地
地元の子供たちにとっては、毎日目にするただの山。
そんな山から、こんなにおいしパンを焼く酵母菌が発見された!
子供たちにとっては一大事でした。
そして、私のパンを食べた子供たちから手紙が届き、私と八森小学校3年生の子供たちとの交流が始まったのです。
その子供たちの手紙を読んで、山下プロデューサーは小池監督と
「この子供たちを中心に白神山地を映画にしよう」と、決めたのでした。
ただ、悲観も経過しているので私の記憶をたどって書いていますから、多少の想いは違っていたかもしれません。
何にしても、そんなことから映画『白神の夢』が始まったのです。
そこにあった想い出や人とのつながり
14年経っても切れなかった糸が、先日切れてしまいました。
白神の夢のポスター
この素晴らしい笑顔で多くの人々を癒してくれた、斉藤貞さんが天に召されてしまったのです。
私の第二の故郷
秋田県八峰町八森
斉藤貞さんがいらしてこその、私の第二の故郷でした。
想い出は尽きません。
悲しみも尽きません。
そして、あんなにお世話になって楽しい時間を重ねてきたのに、「ありがとう」の言葉しか言えない自分に
もどかしさを感じます。
映画「白神の夢」が、私の中で終わっていくような気がします・・・・・。
貞さん
大好きでした。
本当に、ありがとうございました。
心から、ご冥福をお祈りいたします。
でも・・・・本当に悲しいです。
もともとは、山下プロデューサーと小池監督の
「世界自然遺産・白神山地をただの自然風景だけで記録せず、そこにいる人々、そこにあるもの
そこで生きていることを記録として残したい」
という想いから始まったと記憶しています。
今からもう14年ほど前のこと
当時、県外不出とされていた白神こだま酵母が、県外者である私の手元に初めて届いたとき
試行錯誤しながら見つけた、白神こだま酵母おもっともおいしいパンを焼きあげる環境。
あまりにも素晴らしいパンを焼くので、どうしても白神こだま酵母の故郷の水
白神山地の湧水を使ってパンを焼きたくなりました。
そして、当時八森町と仕事をされていた山下プロデューサーにお願いをして、八森の湧水を
送っていただける方を紹介していただきました。
それが、当時白神ネイチャー協会会長の工藤英美先生でした。
全く同じ環境で、ただ水だけを変えたレシピでの焼き比べ。
白神山地の湧水でこねていると、すぅ~~っと水が入っていくのがこの掌に伝わってきました。
そして、焼きあがった時のあまぁ~~い香りは、格別なものでした。
食べ比べをしてみても、その味はそれとわかるものでした。
当時の私の工房も、水にはこだわっていましたが、やっぱり白神山地の湧水には勝てませんでした。
その時に思いました
「あぁ、白神こだま酵母は故郷を覚えているんだ」と!!
その感動を、お水を送ってくださった工藤先生にお伝えしたくて、その焼き上げたパンをお送りしたところ
課外授業で白神山地の地質などを教えていた小学三年生の子供たちに食べさせたことから、この白神の夢という
映画の糸が紡がれ始めていったのです。
白神山地
地元の子供たちにとっては、毎日目にするただの山。
そんな山から、こんなにおいしパンを焼く酵母菌が発見された!
子供たちにとっては一大事でした。
そして、私のパンを食べた子供たちから手紙が届き、私と八森小学校3年生の子供たちとの交流が始まったのです。
その子供たちの手紙を読んで、山下プロデューサーは小池監督と
「この子供たちを中心に白神山地を映画にしよう」と、決めたのでした。
ただ、悲観も経過しているので私の記憶をたどって書いていますから、多少の想いは違っていたかもしれません。
何にしても、そんなことから映画『白神の夢』が始まったのです。
そこにあった想い出や人とのつながり
14年経っても切れなかった糸が、先日切れてしまいました。
白神の夢のポスター
この素晴らしい笑顔で多くの人々を癒してくれた、斉藤貞さんが天に召されてしまったのです。
私の第二の故郷
秋田県八峰町八森
斉藤貞さんがいらしてこその、私の第二の故郷でした。
想い出は尽きません。
悲しみも尽きません。
そして、あんなにお世話になって楽しい時間を重ねてきたのに、「ありがとう」の言葉しか言えない自分に
もどかしさを感じます。
映画「白神の夢」が、私の中で終わっていくような気がします・・・・・。
貞さん
大好きでした。
本当に、ありがとうございました。
心から、ご冥福をお祈りいたします。
でも・・・・本当に悲しいです。