徒然草庵 (別館)

人、木石にあらねば時にとりて物に感ずる事無きに非ず。
旅・舞台・ドラマ・映画・コンサート等の記録と感想がメインです。

ゲキ×シネ SHIROH (2004年)

2014年01月21日 | 映画

「あなたこそ天の御子、我らの救い主――!」

無邪気なほどに容赦なく迫り差し出される腕の波。
固く目を閉じ耳をふさぎ、首を振り続ける青年の姿。


「――違う!私は、天の御子などではない!」


その青年――益田四郎時貞――が受け止めるにはあまりにも重い「期待」と「愛」。


冒頭、モーツァルトのレクイエム大合唱にも似たメインテーマ、タイトルバック、
浮かび上がるキリシタンの民衆たち。

戦旗に描かれた二体の天使は太陽とともに炎に包まれ、
代わって黒い有翼の骸骨が鎌を持ち、禍々しく羽ばたく。


―― 二人のSHIROHが出会うとき、三万七千人の叫びは神の歌となる。――


どこまでも美しい、だが衝撃的な開幕。
これが島原の乱と天草四郎を描いた劇団☆新感線初のロックミュージカル『SHIROH』との出会いだった。

2004年の作品ゆえに(ゲキ×シネ)最新作と比べ、舞台装置や映像処理などは隔世の感があるが、それでもなお観る者の心を揺さぶる名作だと言えよう。周囲の舞台好きからは『ゲキ×シネ』にに対する賛否の声其々があるが、少なくとも私には「過去」に立ち会える貴重な機会。何よりその「映像作品としての完成度」は他の舞台収録DVDなどとは全く違う、独自の芸術だと思っている。舞台は生モノ、というのは真理ではある。が、一方で「その瞬間に立ち会えなかった者」への救いの手が舞台収録媒体であり、『ゲキ×シネ』シリーズはその最高峰であることに間違いはない。

もともとが中川晃教さんの歌聞きたさに最初にライブCD+シナリオ(戯曲本)で入手、加えて「約束の地」や「はらいそ」といったメインテーマ的な楽曲に打ちのめされ、ようやく帰国してレパートリー上映観られる!と思ったら帰国日が最終上映、成田からNEX飛び乗って映画館滑り込み→第二幕だけ観て、それでもラストで涙を流した曰くつき作品。その後DVDを買い観たものの、やはり映画館の大画面大音量で見たいのがファン心理である。


そしてようやく、観た。(劇場で2回)


感想をどう書いていいか分からない。そのくらい重い。
重く受け止めすぎてはいけないが、登場人物一人一人に「物語」がありすぎて、軽く書けるような感想のボリュームではないというか。
ナマ舞台には及ばないまでも、込められたメッセージの大きさ、深さ、重さ。


・・・・・・。


正直…押し潰されました。
もう少しだけ咀嚼する時間が欲しいと思います。



ただひとこと!言えるのは!

「アッキーはこういう役こそが宿る!」
「上川隆也の安定の演技と不安定な歌声を堪能することができたのはファン冥利ッ♪」 

ゴメンなさい!!!wwwww
でも、さすが一緒に畑を耕したい男・ナンバー1☆(爆)



冗談はさておき、今はただキーワードだけが浮かんでいる状態なので
後日感想がまとまったら追記します。(1月21日)




********************


(1月26日追記)


『SHIROH』に言えること。

誰もが自分の信じるもののために動いている。
誰もが自分の正義を持っている。



誰かが書いていました。「信仰という行為が多くの善男善女にとっての大切なことである以上、他者の信ずる神の存在を許容するという考え方は、他者の存在も許容するという考えと表裏関係にある」と。しかし歴史的にそれを排除してきたのが、当時の日本に布教されていたカトリックであり(植民地化の布石と言われているのは周知)…誤解を恐れず言うならば、原理は十字軍やイスラムの「コーランか剣か」とさほど変わりはないとも感じています。

このあたり、信仰を別段持たない私がさらっと書いていいものかどうか…。ただ島原の乱は劇中でも触れられていた通り「旧体制派の一揆」要素もあるので、殉教扱いになっていないらしいです。


正義vs正義のぶつかり合いは、どちらかの消滅しかあり得ない。


誰もそれは望んでいないのに、自分を信じきれなくなる四郎、暴走していくシロー、そして周囲で斃れていく登場人物たちを見守るのは、正直つらかったです。



  ◇   ◆   ◇



「私には何かが欠けている」(四郎)
   ↓
「あなたしかできない」(寿庵)
「あなたこそ天の御子」(お福)
「あとはお前が受け入れるだけ」(善兵衛)
「島原の民を率いるのはあの若者しかいない」(右衛門作)
   ↓
これは……重い!重い!!


私の感じた重さは、話そのものよりも「頼られる男(人間)の悲劇」だったのでしょうか。四郎がどんどん追い詰められていく。その醒めた表情と、一人になった時の懊悩、そして皆の前で装う仮面。

「希望はある。志もある。ただ力だけがない――!」

四郎はただ求めていた。
自分がただの人間で、奇跡が起こせなくても、一人の人として認めてくれる、誰かを。

「反乱の計画は動き出した…その指導者がただの男でいいのか、俺には自信がないんだ」
「ただの男だからこそ、いいのかもしれませんよ」

寿庵の言葉(と、その奥に隠された気持ち)こそ、四郎が求めていたものだったのかもしれません。
四郎に自信を取り戻してほしい、昔とは違う意味で自分の力をもう一度信じてほしい、その寿庵の心。

「私が求めてるのは、欠けた月を満たす人…」
「欠けた月も満ちる時が来ます。それを信じていれば」
「それが偽りの月でも?」
「人は見たいものを見るものです」

こういう人が傍にいたら、誰であっても、崩れかけた気持ちを叱咤して、もう一度!踏みとどまって戦えるのではないでしょうか。この場面、見つめあう四郎と寿庵の眼差しはどんなラブシーンよりも胸を打ちました。何度見ても、心が震える好きなシーンです。

「島原中の隠れキリシタンたちに伝えよ!益田四郎時貞立てり!これ以上の島原藩の横暴は、デウスの名に誓ってこの益田四郎が許さない!」

そう言って、膝をつく寿庵に「頼む」と唇だけを動かして告げ、そっと肩に触れる四郎。頷く寿庵の強い眼差しに宿る決意。流れはもう止められない…でも、ここの場面があればこそ、ラストの「全ての重圧から解き放たれた」二人の姿がいっそうの涙を誘うのです。

ちなみに私、寿庵すごく好きです。健気でかわいくて!「女の子」の気持ちを封印して「果たすべき役目」に邁進する強さと、その実務能力。リーダーシップ。傍にいて応援してあげたい!演じている高橋由美子さん、あの小さな身体のどこから「さんじゅあん」としての凄まじい迫力と声を出しているのやら。可愛らしい部分とのギャップがまた♪キュンとします。←


対照的に?揺れるオトナの女と、その葛藤を見事に演じているお蜜(秋山菜津子さん)は、このストーリーのある意味「狂言回し」彼女が居なければすべて回らない。主役以上に「大事な役」…愛でもなく恋でもない、シローに向ける思いは「大きな母性」のような…だからこそ洗礼名「マリア」がこれ以上ないほどに相応しいと思ったのです。


松平伊豆守信綱サマw(江守徹さん)――ワタクシ、大人として実は一番理解できるのはこの人だったりします。言ってることが一番理に適っている。しかも「実務派の仕事は嫌われてナンボ」と見事なマキャベリストぶりを披露。そう!マキャベリスト。最大多数の幸福のための「必要な」犠牲とそのプロセスを一番わかっている。後世から「あの時代にはそれが必要だった」という観点で見れば、最も正しいことを言っています。ただ、正しいことが共感を得られるとは限らないわけで。そこをすべて超越している知恵伊豆さんには「余人の及ぶ境地ではない」とひれ伏すしかないとも思っております。


四郎の父と姉、益田甚兵衛(植本潤さん)とお福(杏子さん)――植本さんと言えば『真田十勇士』の望月六郎さん♪前髪立ちの小姓姿から一転、白髪のファンキーエネルギッシュじいちゃん(爆笑)そのハイテンションな芝居っぷりにシリアスなストーリーが救われる!(そして観ている私の心も救われる!)キュートです。無茶苦茶かわいいじいちゃんです。でも(でもは要らない!と怒られそうですが)あんな父上を持ったら四郎さまも苦労するよな…(苦笑)どうでもいいけど四郎の口に「シャラップ!」とばかりに黙れと指さしてから、さりげなく間接キスするのは止めてください父上。四郎さま、というか中の人が本気で焦ってました(爆)。そしてこれまた強烈なキャラクターお福姉ちゃん。いやいや、すごいです、杏子さん~~~!v「バービーボーイズ」ドンピシャ世代としては耳に馴染んだあの歌声が、まさかこんな形で聴けるとは。




  ◇   ◆   ◇




もうちょっと(まともな)考えがまとまったら、また書きますw

知恵伊豆に共感する私もヒドい人間、マキャベリストだなあ…と、いくばくかの自己嫌悪を覚えつつ。(1/26)