でも、その前に
銀座のイタリアンで軽くひっかけて🍷
そして
酔い醒ましにアメ横ぷらぷら
同行の友人も中田商店で物色してます😘
その頃には、とっくに同窓会は始まってました😅
遅れること2時間、パーティーから参加して😜
中抜けしてぷらぷら
溜池山王の隠れ家的スポットのJOKEに向かいました
良き一日かな😄
先週の日曜の話
ホームカミングデーへ
高田馬場で友人二人と待ち合わせて、早稲田まで歩く
この映画館によく一人で入ったもんだな~
当時は、昔の名画を3本立てで入場料500円だった
早稲田に到着
12時の開催式典前に軽く昼飯をとる
やっぱ蕎麦ですかね
この日、集まった高校⇒大学も一緒だった3人
このあと大隈講堂へ向かい
岡村喬生の歌とワセオケの演奏でシューベルトの魔王を聴いた
別にシューベルトが聴きたかった訳ではなくて・・・
このあとのトークショーが今日の主な目的なんだけど
サッカー日本代表前監督の岡ちゃんとフリーの堀尾アナとのトークショー
W杯直前の本田のワントップへのシステム変更は、急に決めたわけではなく
主力の調子が上がらないから次善の策としてずっと考えていたと言ってた
固有名詞は出さないけど主力って言うのは中村俊輔のこと
他にも肩の力をグッと抜いた話がetc
トークショーの後は、自由解散
M君は、その後、キャンパスツアー1時間に参加し、永青文庫等経由して、椿山荘へ、前職時代の同期の結婚パーティに参加した。
S君は小室哲哉を見て帰ったそうだ。
今年のナンバーワン10曲の内、4曲が彼の曲だそうです。
私はというと
せっかく全国屈指のラーメン激戦区に来たので
「つけ麺 ざざざ」という店に入り、つけ麺を食べて帰宅~
で、味はどうだったかというと・・・
私はまずまずと思ったんだけどねぇ
さすが激戦区ゆえ評価はなかなか厳しいものがあるねぇ~
先週の日曜に行ってきました
ホームカミングデー
卒業後ウン十年たったオイラはちょうど招待年次なんだよね
応援部の指揮による第一応援歌「紺碧の空」で式典が始まる
ついで総長の挨拶があり
卒業生(校友)の挨拶は大前研一
初任給7千円の時代に14万円のクラリネットを買うことが契機になり
バイトにはまり、ぎりぎりの出席日数で卒業したとか
このあと何人かの挨拶、校友会の案内とかあって・・・
式典の最後には校歌を歌った
たぶん日本で一番有名な校歌なんだろうなぁ~と思う
歌っていると、なんかこう、ぐぅっとこみ上げてくるものがあるなぁ~
式典を終え、お昼からは大学の周囲をパレードが行く
往年の名プロ野球選手谷沢健一の姿も見えるぜ
そしてこんな人も
パレードの後は
日本サッカー協会の川渕名誉会長と日本代表の岡田監督のトークショーを見てきた
写真撮影は禁止だから二人の写真はないのだ
フジテレビの青島アナが司会でリラックスした二人は思い出話に花が咲き
本題のワールドカップでベスト4に進む話は最後の5分間だけだったぜ
お土産にTシャツお買い上げ
このTシャツ、ヘビーな生地でできてるMade in USA
本場Made in USAのTシャツは丈夫だからなぁ~
20年前にハーバード大学の生協で買ったTシャツなんか
いい感じによれてきて今でも着てるもんね~
(ちなみにハーバードには留学していたわけではなく、ちょっと立ち寄っただけ)
ロゴもアメリカのカレッジTみたいなのがなかなかよい
(オイラの学生時代に比べると、ずいぶんあか抜けてるぜ、わが母校)
大隈候をあとにして帰路へ
久しぶりに味わったキャンパスの思い出
案外いいもんだったホームカミングデー・・・
卒業してウン十年もたって、おやじになるにつれ・・・
年々ノスタルジックな気持ちになっちゃうんだね~
昨日は高校の同窓会だった。
大手町サンケイプラザで東京近郊在住の卒業生があつまり行われた。
僕は幹事学年の卒業年次で、友人が幹事代表だったこともあって初めて参加した。
卒業年次が行う記念講演は荒川君の話だ
彼は学習院大学の教授で「板谷波山の生涯」の著者でもある。
彼の著書が原案となり映画化された「HAZAN」は知ってる人も多いと思う。
予算が限られていたらしいこの作品が日の目を見るために・・・
当時、多くの同級生たちがこの作品の映画化に向け支援したんだ。
今では立派になった荒川君だが・・・
当時、何人かの悪友達と部室で酒盛りを行って停学処分をくらっていたとは知らなかったぜ。
僕の卒業した高校は、旧制中学の流れを汲んで創立130年を超えている
地方の進学校だけど、自主独立の精神を重視する自由な校風。
毎年行われる歩く会は、恩田陸の小説「夜のピクニック」のモデルになっている。
ちなみに僕の在学中に迎えた100周年の時には
卒業生である深作欣二監督の仁義なき戦いを3本立てで上映したぐらいだ
優秀な奴も多かったがいわゆるがり勉タイプは少なかった。
一方、規格はずれのスケールを持った奴もいたなぁ。
全体での同窓会の後は、幹事担当学年だけが残って2次会
何十年という時間はあっという間に縮まりそれぞれが高校時代の記憶に戻り旧交を暖めることができた
クラスごとに壇上に上って記念写真をとったりして
締めは学年全員で壇上に登って次年度に引継ぎ
エピソード1
高校、大学と同窓で「ずっと友達でいような」とお互い誓い合ったくせして・・・
卒業以来音信不通となった友人との再開を果たす。
エピソード2
落ちこぼれのサッカー小僧の僕のことなんて女性陣は覚えていないかなと思ったら・・・
「Samく~ん」とか声をかけてきてくれて結構覚えていてくれたのがうれしかった。
エピソード3
自主独立の校風が災いしてか・・・
参加の女性陣のうちかなり高い割合が旧姓のままであった(バツイチ含め)
でも、みんなしっかりキャリアウーマンしてたな~。
エピソード4
授業中によく居眠りばかりしてた僕は、隣の席だった旧姓K女史にはお勉強等々で世話になっていたようだった
エピソード5
自分では地味なサッカー小僧だと思ってたけど・・・
同級生の目からはちょいワル高校生に見えたみたいだった・・・
(ちょいワルって・・・いわゆる不良のこと)
タバコ吸って、お酒飲んで、雀荘に出入りして、隣の女子高生と仲良くしてたぐらいだったけど・・・
高校時代の友人が懐かしの画像を配信してきた
写真1
サッカー部時代の勇姿
小生は2列目の右端(ついに顔見せしてしまった)
当時は、みんな痩せてたな(今じゃ80㎏オーバーのメタボ体型ばかり)
このころの小生の体重はなんと60㎏アンダー
写真真ん中の顧問の先生は日体大出身で国際審判員の資格も持っていたのでバルセロナ五輪やJリーグ発足当時にホイッスルを吹いてたが、もう10年以上前になるけど癌で急逝してしまった(合掌)
写真2
大学卒業して数年たって・・・・
たしか仲間の一人がロンドンに赴任するので六本木で送別会をしたときの写真だな
このころ、それぞれが大手メーカー、金融、ゼネコン、マスコミ等に就職してたし・・・
明るい未来を描いていたのかなぁ・・・
バブルも始まってたしなぁ
ちょうど小生たちは「ふぞろいの林檎たち」とシンクロする同世代なんだよね、ほら中井貴一とか時任三郎とか石原真理子とか出てたドラマ
今では順調に出世街道を登って部長になった奴や・・・中間管理職の奴・・・大手企業をスピンアウトした奴やいろいろだけど・・・
まっ、小生はすでにずっこけてるけどね
写真の頃は、飲み会の集合時間に遅れて登場することイコール今の自分は忙しいポジションにあって会社からも期待されてるんだぜ~みたいな感じだったな
そんな感じだったから集合時間から2時間あたり過ぎないと全員集合にならなかった
(ちなみこの写真のオリジナルはカラー写真だったはずだけど、配信した友人が懐かしの感じを出すためにあえてセピア色にして配信したようです)
それぞれが管理職等になった今では、現場の仕事は部下に任せられるのか、みんなほぼ定刻に集まってくる(集まれないとちょっとかっこ悪いぜ~みたいな感じ)
そして、いつでも集まれば昔話で盛り上がる
そして、みんな同じように年を食っていくのだ
PS
今、自動車メーカーのデザイナーをやってる奴を中心におそろいのTシャツを作るプロジェクトを進めている
名づけて VIVA 310 T-Shirts Project
VIVAというのは当時VIVAとプリントされたしょぼいTシャツを着て練習してた奴がいて、そいつがいつもそのTシャツばかり着てたから毎度飲み会の肴にされ
シャレでそのプリントをパロった揃いのTシャツを作ろうとしたことが事の発端
310というのは出身高校の所在地の郵便番号
30歳を過ぎた頃、みんなでフットサルの大会に出たときにチームユニフォームを作ったのだけど・・・
胸にチーム名を入れようということになり、誰とはなしに「高校のあった地元の郵便番号でいいよ」って即席で決めたチーム名が「チーム310」なのだ
ちなみに府中市の大会のオーバー30(出場選手は30歳以上ってこと)のカテゴリーで出場して予選リーグを全勝で1位突破し、決勝トーナメント進出して準決勝で敗退し3位決定戦でも破れ4位だったな
他のチームと違って、即席で作ったチームとはいえサッカー経験者の集まりだったので予選リーグは無敵の強さを示したけど・・・
スペアの人数がほとんどいなくて決勝トーナメントでは後息切れしてしまったのだよ
現時点ではパワポを使ってのプレゼン段階だけど、なかなかかっちょいい
乞うご期待
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