僕が、一個前の記事で’北は、東北へ上がり、南は京へ下る!’と、書いた。それで、今頃はこの界隈のおんなのことしては常識として、女子大生風(とさな)が吹くような、(新時代)
:旅情
が、見え隠れする。それで、僕が、北へ行くなら与板をもっと向こうへ進み、果ては大河津(分水)を更に北へ進んだ方角、これは大目印となる弥彦山があって織り成す、これは僕の本なる願い事とは逆走、男男と言う最終掟道、これは僕は遮りたいわけだ!とするなら、行く末は南に南下、例えば中永トンネルを過ぎて丸で僕がこの国の一周旅行にでも出掛けるが如く晴れ渡り、日本海沿いを南下通ることになる当然さっきから僕が言う、京への続く道、これを選択したくなる(自らの想いである)。
この間、僕は近くの図書館から一冊の本を借りて来る。著書の名は、
:聖地巡礼(熊野紀行)
と言うものだ!それで、ゆくゆくその本の中身を覗くと、平安鎌倉当たりにあったこの国としては当たり前のおんなのこ事、熊野巡礼に関し、その中の真相を書いている。この行く手を阻むかのように呼び止める熊野巡礼とは一体何か?これは本当に不思議な問いであるかもしれないけれど、この熊野巡礼に際しても、僕が長岡を出て南へ下るときのようなおんなのことしての約束事、これがある。結構な長旅には違えはないけれど、僕がこの長岡を出て、向かいたい京への道順は、それはどうしても僕が綴りたい、おんなのこ(道)への道標、これに他ならない。
いや、もう一冊借りてきていて、
:京都お泊り案内帖
と言う本で、中に、言わず京と言うこの国で言えば結構な歴史を感じさせるような一地域の中身が書いて紹介してあるけれど、まあ中身は京にある旅館(事)から眺めてきているおんなのこ関連の京の町の紹介作だ!これで、僕は(下りたい)京の今のおんなのこの一存を知るわけだけれど、あは!まあ多分に今の京の成り行きとしてはまだまだこれから~ズが言い切れる、僕からは新入りさんがことを運んでいるようなまあポツンと界隈に自分の花が一輪咲いただけのようなおんなのこ、こんな旅館宿の一景色を眺めるようだ!昔から、(悪的に!)
:一見さんお断り!
とか、
:(女性)一人旅お断り!
と言うようなお札印が、旅館の前に掲げられるこれは、まあちょ~うの付く初心者さんが丸で振り込め詐欺や悪い人に騙されたかのように佇む、まあ何も知らない京ガールが、まだまだこれから~ズの自分(女子)を見せているのは仕方がない、世と言うはその2つのお馬鹿文句とは一切真逆転方向な、この上の2つを掲げていては、そのゆくおんなのこの道は、ズッコケてばっかりのおたんこぶ女子の道を行くしかないこれはおんなのこの(暗黙の!)の常識がある。
まあ、そんな極小さな問題は置いておくのは当たり前で、僕が言いたいはこの京と言う町が、まだまだこれから~ズと言うおんなのこの’おんなのこ度’をとっても、またはおんなのこの’おんなのこ好き度!’この2つをとってもまだまだな、そんなおんなのこの様子を垣間見れる。要は、僕はこんな初心者級は誤魔化せない京のおんなのこの道末へ、向かおうとしているわけだ!
いや、いつになるかは分からない。けれど、僕はもう一度過去を振り返り、自らの初心に帰りつつ、この長岡っ子が大海原に出向く(大袈裟だけれど、、(あは)際の、一つの道を僕は南下京へ見定めるわけだ!
それではまた!実際の自分の想いは、この時の日記に記して置こう!