YOUtubeで、とあるビデオ(卑弥呼と邪馬台国についてのビデオ、(日本の謎~~卑弥呼の正体とは?)を見る。流石に、この辺の歴史の史実はもはや単なる馬鹿の類は、当然脱せない所謂ガリ勉の頭の中じゃぁ、とっても賄えない、これは歴史の本当があるわけだ!単なる、知識蓄え君では、絶対に分からない歴史の一つの真実がこの卑弥呼(邪馬台国)等の歴史の伝わる真実だ!取り敢えず、文献を渡りそのVTRは、卑弥呼及び邪馬台国について語ってゆくわけだが、、
真実と言うのはあるわけだ!ガリ勉君が、幾ら頑張っても辿り着けない世の真実ってのはあるわけだ!大体、自分のことではなく、他のもののふんどしを占めて相撲を取るようなガリ勉君には、この手の歴史史実は分からないものだ!((知っている)人に聞けばよいが、シャイで聞けない)要するに、まあ200年~300年ころに、卑弥呼(邪馬台国)がいてそのあとを継ぐように今の天皇家の始めとなる大和朝廷が続くのだ!とする、どのものも(常識で)言うような歴史の渡り歩きは、(このVTRも言う)
1、邪馬台国(卑弥呼)から大和朝廷に引継ぎがあって、歴史は続いたのだ!
2、大和朝廷が、国の覇権を邪馬台国から分捕るように横取りし、歴史は動いたのだ!
とする、2論点からは、当然本当の歴史の事実は、(上の)
1、邪馬台国(卑弥呼)から大和朝廷に引継ぎがあって、歴史は続いたのだ!
これを正解とし、古来の倭の国においては、最初の国の動きをこう取り出して、進んでいったわけだ!ところが、この国の(まあ年寄りの言い分で、まあ一回も的を得ない)歴史と言うは、現天皇家を出発とする大和朝廷があり、その前の’邪馬台国は、なかったのではないか?!’と言う論調などでは、実際にその当時の倭の国(邪馬台国)とお付き合いのあった、近くの魏(ぎ)の王様から、親魏倭王の印を押す、所謂「金印」が送られているよ!と言う真実からは、(魏のものが嘘を言うはずもなく)当然当時付き合いのあった邪馬台国の卑弥呼と、魏の王との関係が、当然知るべき事実で、暦で200年ころに、倭国を支配していたのは、邪馬台国の卑弥呼である!と言うことで、適格に知らねばならない。(どこにでもある親魏倭王の印を押してある「金印」の当時の写真を見れば、卑弥呼と魏王の付き合いがあったとは、これ明らかなのだが!、、(分からん奴ちょ~うアホ!)
いや、卑弥呼の邪馬台国がありその後大和朝廷に次いで、この倭国の歴史はそのあと150年くらいは空白だ!とする論調があるが、200年代当時、卑弥呼から大和朝廷のものに倭国の引継ぎがあったときに、卑弥呼女王は、何らかの用事があられたので、この倭国を留守とするように150年間歴史から遠ざかる、この度の空白期間(150年)があるのである。(いや、邪馬台国卑弥呼が倭国の女王を下りている理由は、単に大和朝廷のものに引き継いだと言うわけでは当然なく、用事が出来たのでその間留守を務めるように、大和朝廷のものにこの国の引継ぎをまあ単に申し込んでいるだけである)
この倭国内する子の国の生業(女子)は、卑弥呼が行っていたように
’女子的おままごと’
これなのである。おんなのこの向こうの先、当然進んでゆくと、’’結婚’’の二文字が見えて来るわけだが、この見据える’結婚’の二文字で、このおんなのこ女王大国(倭国)は進んでいたのである。年寄りがあほうな言い訳をするような’政治’こんなのは、国の取る生業ではないのである。
いやはや、当然この国の出発は、当時仲の良かった魏国との関係からも明らかな邪馬台国(女王卑弥呼)にあるわけで、その歴史的順序、
1、邪馬台国
2、大和朝廷
と言う国としてのあり様の順番も、これは人間的な尺度でものを申すと間違えが起こるような実は、邪馬台国と言う国は、倭国があるべき姿としてこれは曲げられない、随一を誇る永遠の理想国家、これなのである!
いやいや、その後にどのような王朝が出ても、この一番目邪馬台国と言う王朝は絶対で、いつの歴史にも存続する。
いやー、この辺の世渡りの真実を捉える目と言うは、そこいらじゃあ、為せない真実の目だ!
それでは、何でも他のものにやってもらって甘えん坊ちゃんに育っている現時代のぼっちゃん嬢ちゃんを後目に、この国の真実を明かして置くとしよう!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます