四季に暮らす

季節の着物、食卓、ベランダの植物たち
和と洋が仲良く並んでいるような衣食住の風景

八月の空

2022-08-12 | 日記

皆さま、お盆をいかがお過ごしですか?

土曜日から泊まりに来るはずだった孫が、一日早く金曜日(あ、日付が変わってもう今日ですね!)から泊まりに来ることになりました。
今週は、みんなの布団カバーやシーツなど順番に洗濯。
孫をまるめろにして♪  私のベッドにも誘い込みたいので?全員分です! () /

金曜日はゆっくり食材の買い出しに行こうと思っていたのですが、さっさと行かなきゃ・・

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八月は、原爆忌、終戦、御巣鷹山の航空機事故・・鎮魂の月。
空を見上げながら、多くの命が失われたこんな暑い日を思わずにはいられません。

この空に戦闘機が飛び交い、きのこ雲が上り、旅客機が失速・墜落したのかと。


子供の頃の夏休みは、虫捕りに夢中。
特に、田舎の祖父母の家に1週間ぐらい泊まりに行くと虫捕り三昧でした。
蝉は捕まえてくれと言わんばかりにそこらじゅうで鳴いているし、
網を振りかぶってはすばやく掴み、網に手を突っ込んで暴れる蝉を虫籠に次々に押し込み入れていったものです。
斜め掛けにした虫籠には蝉がぎゅうぎゅう詰め。
私は得意満面だったと思います。

優しい祖母からいつも「○○○ちゃん(←私の名前)、お盆に虫を捕まえたらだめよ。ご先祖様が虫に宿って帰ってきているんだからね。」とたしなめられていました。

そんな夏休みには、縁側にはたくさんの灯籠が吊るされ、蚊取り線香なのか仏壇の線香の香りなのかゆっくり煙りながらくるくる回って夢のようにきれいでした。
夜は蚊帳の中で寝ながら、ご先祖様が帰ってくるような気がしていたような・・

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下の写真は、撮影データを確認すると、2002年8月16日21時過ぎに撮影したもの。
ちょうど20年前ですね!
誕生する命はどれも愛おしいです。

一枚の木の葉のように輝いている羽化に見とれました。
気がつくとこの木には、同じように何枚もこんな美しい木の葉がぶら下がっていたのです。

その日、私は「蝉がなる木」と名付けました!!


今のマンションに越してくる前に1年ほど住んでいた隣町には、すぐ近所に古いお寺がたくさんありました。

当時夫は仕事が忙しく、平日に家で夕飯を食べるのは週に1回位。
なので息子たちと気楽な夕飯を食べた後、夏には3人でよく公園や境内に出かけて蝉の羽化を探し歩くことがありました。
木の根元にぽこぽこ開いた穴から這い出してきた幼虫を捕まえて、家のベランダの植物にとめて羽化を眺めたことも何度も・・(幼虫には迷惑な話)

無事に殻から出た成虫がくちゃくちゃの羽を少しずつ広げていくのも神秘的。
この世のものとは思えない羽衣のような薄緑をした羽が、明け方には少しずつ茶色を帯び、
浮き出た葉脈の羽が朝日に輝き出します。

すっかり一人前の焦茶色になってしばらく休憩したら、夏の空に飛び立つのです。

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御巣鷹山にJAL123便が墜落した事故が起こったのは、1985年8月12日のこと。

同じ時間に同じ空を羽田から北へ飛んでいた私たちクルーが、フライトを終えてディスパッチルームに向かうと騒然としていました。

「レーダーから消えた」という言葉の意味。

空港から宿泊先のホテルに向かうタクシーの中でもニュースが流れ続け、同乗しているクルーと身を寄せ合って震えていたことを思い出します。

私が勤務していたのはA社でしたが、同じく空を職場とする者として他人事ではありません。
暮れていく空から銀色の機体が消えていく様子、多くの悲鳴が頭をよぎり眠れない夜。

一部始終を見ていた八月の空は全てをそのままそっくり包みこんで闇夜に。
惨事が明らかになっていったのは翌朝からのことでした。

事故から10年以上が経ち、山崎豊子さんが事故を元にしたフィクション小説『沈まぬ太陽』を発表されましたね・・

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戦争を体験された方や家族を戦争で亡くされた方は、8月にはまた特別な思いがあられるかと思います。

どうかもうこれ以上、八月の空に悲しみが宿りませんように。
新しい命が生まれる夏でありますように。


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