過去と未来がつながっている
ように、閉められるドアと
開けられるドアが、同じドア
であるように、
それらは、つながっているのだ。
空と大地が地平線で結ばれる
ように、私の心とあなたの躰
が夜の岸辺で、ひとつになれる
ように。
過去と未来がつながっている
ように、閉められるドアと
開けられるドアが、同じドア
であるように、
それらは、つながっているのだ。
空と大地が地平線で結ばれる
ように、私の心とあなたの躰
が夜の岸辺で、ひとつになれる
ように。
音楽は、ただ間違いなく
演奏されればいいという
ものではない。
その旋律に込められた、
作曲家の、そして演奏する
人間の思い。
瞬間の音色の美しさと、
メッセージ、
その両方に心を動かされる
のだと思う。
それはまさに、高度な知の
共鳴である。
私たちは、どこまでその領
域に踏み込んでいけるだろう。
人の心に近づいてゆく挑戦を。
イイ女とはどうい女性?
いわゆる大人の女って。
背筋のピンと伸びた女。
不必要に媚を売らない
自立した女。
自分の痛みを通して
人の痛みをおし計れる
女。
ベットの中以外の場所で
何時間も堂々と渡りあえる
女。
それでいて魅力的で女ら
しい大人の女かな。
新型ウイルス・コロナが終焉後、
桜の季節に、佳代子は東京にやって
きてわたしの部屋に泊まり、不倫
の恋を終わらせた。
別れ話しの前の夜には「京都に
戻る前に、奥さんのところに乗り
込んでいく」と息巻いていたけれ
ど、翌日の夕方、わたしが仕事か
ら戻ってくると、佳代子はベット
の中から力なく「お帰りなさい」
とわたしを出迎え、
そのあとに、「疲れた。別れと同
時に魂も、抜き取られたみたい」
と呟いた。その夜遅く、学ぶさ
んからわたしの部屋にかかって
きた電話に、佳代子は「いない
と言って」首をふった。
走るのを、佳代子はやめたのだ
った。
わたしはひとりで、走り続けて
いた。三月が終わり、四月が来
て、桜がすっかり散り、五月(
さつき)の蕾が膨らみ始めても
―――来る日も、来る日も。
朝、目覚めた時にはまっさき
に、あのひとのことを考えた。
朝には夕暮れ時の風景を、夜
になると朝の風景を、思い浮
かべる癖がついた。なぜなら
東京の朝は、ニューヨークは
まだその日の朝だから。
成田空港で、あのひとは教え
てくれた。
午前と午後を入れ替えて、二
時間引いたら、俺の時間。四
月になったらサマータイムに
なるから、引くのは一時間だけ。
これからは、同じ時間を共有
することさえできないのだと
思った。
俺の方がいつもあとから、追
いかけてるってこと。
朝と夜が反対になるなんて、
悲しいな。
なんで?
だって、同じ時間に同じ空、
見られないでしょ。
その代わりに、ふたつの時間
が持てて、ふたつの空を見ら
るじゃん。
コーヒーとクロワッサンと
フルーツの朝食をとって、
ひとり暮らしのアパートを
出るのは、七時四十分。あの
ひとの時間は夕方の六時四
十分。
わたしはいつも、少しずつ
暮れていくニューヨーク
の空を思い浮かべた。街を
思い浮かべようとしても、
行ったことがないから、
うまくいかない。
ひとりの例外もなく、誰の
心の中にも、大切な人が
棲んでいるのだと、当たり前
のことなのに、まるで初めて
知ったことのように、思う。
あのひとは今、わたしのこと
を想ってくれているだろうか。
わたしが想っているほどに。
つまんないオトコの
あるふれた口説き文句なのに
繰り返し聞いてると つい
心が揺れてしまう
↓
うつせみの
常の言葉と
思へども
継ぎてし聞けば
こころはまとふ
うつせみ→この世の人
常(つね)→ありきたり
こころはまとふ
↓
心は乱れる
万葉集:作者不明
「あるんですね、
そういうコトって・・・・・」
という世の中の女性の
呟きが聞こえてきそうな
歌。
女性に対する「マメさ」と
「強引さ」。やはりこの
二つは時代を問わず、
恋する男たちの最終
兵器なのかもしれない。