菊田神社の中です。
拝殿を守っているのが下の狛犬たちです。
手水舎には龍が元気に水を出しています。手を洗って清めないとね~
拝殿の上にはお札がはってあります。絵馬で皆様願い事!!
←これはなんだろう??不明です。
菊田神社の中です。
拝殿を守っているのが下の狛犬たちです。
手水舎には龍が元気に水を出しています。手を洗って清めないとね~
拝殿の上にはお札がはってあります。絵馬で皆様願い事!!
←これはなんだろう??不明です。
菊田神社の狛犬続きです。
↓ 稲荷神社を守っているのは、狐なので狛犬とは言いませんよね。
狛狐??そんな名前はないのでしょうか? 顔が欠けていて可哀そうですね。
↓ は何かの祠でしょうか。こちらも顔がわからなくなるくらい風化した狛犬です。
そもそも狛犬とは??もちろん調べました!!
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神社に奉納、設置された空想上の守護獣像です。
本来は「獅子・狛犬」といい、向かって右側が口を開いた角なしの「阿像」で獅子、
左側が口を閉じた角ありの「吽像」で狛犬です。
阿吽の形になっているのは日本特有の形式で、中国の獅子像などは、多くは阿吽になっていません。
獅子・狛犬はもともと別の生き物?ですが、現在ではこの形式を残したもののほうが少なく
、形としては阿吽共に獅子に近いでしょう。
呼び方も単に「狛犬」に定着しています。
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さらに入ると比較的新しい灯篭や狛犬などもあります。
こちらはちょっと古そうです。でもポチャッとして可愛いですね。
↓は岡崎型狛犬というそうですがピカピカです。
↓は御嶽大神を守っている狛犬です。
参道に入るとすぐ右手に石碑があります。
もたれかかるように立っている石柱をみると安政時代の石碑のようです。
「菊田社」と刻まれています。
少し離れて別の祠があります。
祠は新しそうですが、狛犬は古いです。
守ってきた祠が壊れたのでしょうか??
生徒さんから菊田神社の名前を聞くことはありましたが、近くて遠い場所でした。
調べたら歩いても20分程度です。
小さな神社ですが、たくさん狛犬がいて、静かな佇まいです。
朝から手を合わせている方が、何人かいました。
私も二礼二拍手一礼・・・・手を合わせてきました。
インターネットで念のため調べました~
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京成津田沼駅より約350m。参道右側には3社あり、それぞれに狛犬が居ます。
参道の狛犬3組と合わせ6組の狛犬が見ることができます。
この神社は、下総三山の七年祭り参加神社の一社で有り、菊田水鳥公園の隣に鎮座しております。
御祭神 大国主命(大己貴命)・藤原時平命(境内由緒より)・伊弉諾命・大山祗命・保食尊・水速女命
御由緒
古伝によれば、当神社は久久田大明神と称して、弘仁年間(810年代)よりの御社として祭祀されていました。
治承年間(1177-1181年)に藤原師経、藤原師長卿の一族郎党当国に左遷の砌り、相模国より船に乗船し
相模灘を経て袖ヶ浦にと来ましたところ、海上少し荒れていた為に何処か波静かな所はないかと探し求めて
いましたところが、たまたま久久田浦の入江と嶋を発見しましたので、一同はここに船を漕ぎ来たりてこの嶋に
着船上陸しますと、住民達が崇敬しているお宮がありました。
即ち久久田大明神のお宮で、師経卿、師長卿は無事に此処まで安着出来たことはこの祭神の御神徳に
よるものであるとして深く感銘されて、この御社を崇め奉りてこの地を安住の所と定めることとし、同時に
祖先の人皇60代醍醐天皇の御宇延喜左大臣藤原時平命を合せ祀り住民と共に奉賽崇敬しました。
後に師経の一族はこの三山の里(現在の二宮神社の鎮座の地)に移住したと伝えられています。
宝暦年間桃園天皇の御代に社名を菊田大明神と改名。
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今日は朝の仕事(もちろん家事のことですが。。。)が早く終わったので、
いつもより30分早く自宅を出ました。
昨日、丹生神社の写真を投稿したところ、逆に由緒を教えてもらいました。
それでは!と、今日は ↓ に行ってみました。
津田沼に住んでもう15年たつのに、まだ一度も行っていませんでした。
ウォーキングの距離はやっと4kmです。
教室に着いたころは、顔を洗いたくなるほど汗ばんでいました~~