後漢朝の第十一代皇帝である桓帝は、三代章帝(光武帝の孫、二代明帝の子)の曾孫に当たり、章帝の子の河間王劉開の孫として生まれ、十代質帝が大将軍梁冀に毒殺された後、その梁冀に擁立されて十五歳で即位しました。従って桓帝の二十余年に及ぶ在位期間のうち、実に十年以上は跋扈将軍と言われた梁冀とその一派が国政を壟断しており、皇帝は梁一族の傀儡に過ぎませんでした。梁冀は八代順帝の皇后梁氏の兄に当たり、父梁商から大 . . . 本文を読む
後漢と周辺諸国の関係について軽く触れておくと、基本的に後漢は前漢に比べて他国や諸民族との交流には淡白で、前漢のように漢帝国が東亜全域を覆い尽くして、凡そ知り得る限りの世界の果てにまで一元支配を敷く気はありませんでした。むしろ諸民族が後漢に従属する意思を表し、漢帝を頂点とする封建体制の枠組みの中で共存する限りは、帝国の藩屏として自主権を認めるという方針であり、どちらかと言えば劉氏を盟主とする緩やかな . . . 本文を読む