足腰の強いガイド兼運転手さんに連れられ、次なるところへ♪
出島シアターなるところへたどり着きました♪
こちらのシアターでは、出島の事に関して案内役である通詞の方が
解りやすく説明するとい内容の短時間の映画が上映されています。
この出島シアターの建物は、1865年(慶応元年)に建てられた石倉を
復元したものだそうです。
さて、こちらのシアターで勉強したことを念頭に置いて、
更に出島観光を進めていきます♪
次に向かった先はオランダ商館長のカピタン部屋ですが、
こちらは単独でUPしたいと思いますので、抜かしていきます。
カピタン部屋にむかう途中で撮ったお写真もUPします♪
現在の出島はすべて完成していません。
江戸時代の出島を復元するため、1996年(平成8年)から
長崎市が約170億円かけ、出島の復元事業を進めています。
長崎市、お金持ち!と思ってしまいました。
2000年(平成12年)度までが第1期工事で、
商館長次席が住んだ「ヘトル部屋」、商館員の食事を作った「料理部屋」、
オランダ船の船長が使用した「一番船船頭部屋」、
輸入品の砂糖や蘇木を収納した「一番蔵」・「二番蔵」の計5棟が完成。
一番船船頭部屋(多分です。思い出せなくてあやしい・・・すみません)
そして、第2期復元工事は2006年(平成18年)4月1日に完成公開。
オランダ船から人や物が搬出入された水門、商館長宅「カピタン部屋」、
日本側の貿易事務・管理の拠点だった「乙名部屋」(おとなべや)、
輸入した砂糖や酒を納めた三番蔵、拝礼筆者蘭人部屋(蘭学館)など5棟を復元。
三番蔵
拝礼筆者蘭人部屋
カピタン部屋
中央と東部分の建物計15棟を復元したのち、周囲に柵を巡らし、
扇形の輪郭を復元する予定だそうですので、また次に行った時は
違う出島を見る事が出来そうですね!
現在、筆者部屋他6棟の復元のため、発掘調査中。
こちらは復元するため、発掘調査中です。
水門(現在のメインゲート)
カピタン部屋をでて左に見える水門。
お写真では見えづらいのですが、2つの出入り口があります。
片方が輸入用でもう片方が輸出用だったようです。
ガラスが波打っているのがお分かりになりますでしょうか?
細かいところまで当時に近い状態で再現されているんですね!
次はミニ出島に向かいます♪
先日もUPしましたこのお写真ですが、表門です。
出島は埋め立てられ、中島川の工事で削られていますので、
本来ですと、これは削られてしまった川の中央付近に建っているものです。
面白いのが側溝です♪
表門の通りは普通の底が平らな側溝なのですが、
そこから外れた他の側溝はV字です。
きっと文化の違いなのでしょうね。
ミニ出島に行く途中にも何かとあります♪
出島商館医として来日したシーボルトが、ケンペルとツュンベリーの功績をたたえ
顕彰するために建てた記念碑。
当時は出島のお花畑に建てられていたようです。
バドミントン伝来之地
出島でポルトガルの使用人の方が、休み時間にバドミントンで
遊んでいた所から伝来の地となったようです。
出島先学顕彰薬園碑所在標
1973年(昭和48年)に、シーボルト来日250年を記念して
シーボルト顕彰会が建立したもの。
シーボルト、ケンペルやツュンベリーらは、日本の植物に大変関心を持ち、
出島内の薬草園で研究を深め、その研究成果を広く海外に伝えました。
オランダ・ウィリアム・アレキサンダー皇太子記念植樹
1990年(平成2年)にオランダ王国のウィリアム・アレキサンダー皇太子が
長崎旅博覧会などの行事に参加するため来日した際に、
出島オランダ屋敷跡を訪問。
お写真には写っていませんが、この碑の左側に記念に植樹された、
ハナミズキが植わっています。
鉄製大砲
1964年(昭和39年)に、浦上川河口付近から引き上げられた大砲。
もとはオランダ船に搭載されていたもので、何らかの事情により海中に残されました。
長崎港と浦上川河口部では、オランダ船の座礁や船の搭載砲を
海中に落とした記録などが残っています。
アムステルダムをあらわすAとオランダ東インド会社をあらわす
VOCのマークが刻まれています。
ミニ出島
こちらも後程UPします。
ミニ出島を出る際にあったアーチ形の門
オランダ東インド会社をあらわすVOCのマークが刻まれていました。
ここに出ると料金所のあった旧出島神学校の建物が目の前です。
こちらにはお土産屋さんもあります♪
ここで娘がお腹が空いたと、何故か月餅を購入。
それだけではと私はアゴダシ(調味料の方です)を購入。
これは九州、特に長崎ではポピュラーなダシで、
飛び魚の事をアゴと言うのでアゴダシです♪
お土産の方でUP予定です!
早く記事をUPしないと、教えて貰った記憶が薄れつつあります(笑)
まだまだ続きますけど、よろしければ見に来て下さい(^0^)/
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出島シアターなるところへたどり着きました♪
こちらのシアターでは、出島の事に関して案内役である通詞の方が
解りやすく説明するとい内容の短時間の映画が上映されています。
この出島シアターの建物は、1865年(慶応元年)に建てられた石倉を
復元したものだそうです。
さて、こちらのシアターで勉強したことを念頭に置いて、
更に出島観光を進めていきます♪
次に向かった先はオランダ商館長のカピタン部屋ですが、
こちらは単独でUPしたいと思いますので、抜かしていきます。
カピタン部屋にむかう途中で撮ったお写真もUPします♪
現在の出島はすべて完成していません。
江戸時代の出島を復元するため、1996年(平成8年)から
長崎市が約170億円かけ、出島の復元事業を進めています。
長崎市、お金持ち!と思ってしまいました。
2000年(平成12年)度までが第1期工事で、
商館長次席が住んだ「ヘトル部屋」、商館員の食事を作った「料理部屋」、
オランダ船の船長が使用した「一番船船頭部屋」、
輸入品の砂糖や蘇木を収納した「一番蔵」・「二番蔵」の計5棟が完成。
一番船船頭部屋(多分です。思い出せなくてあやしい・・・すみません)
そして、第2期復元工事は2006年(平成18年)4月1日に完成公開。
オランダ船から人や物が搬出入された水門、商館長宅「カピタン部屋」、
日本側の貿易事務・管理の拠点だった「乙名部屋」(おとなべや)、
輸入した砂糖や酒を納めた三番蔵、拝礼筆者蘭人部屋(蘭学館)など5棟を復元。
三番蔵
拝礼筆者蘭人部屋
カピタン部屋
中央と東部分の建物計15棟を復元したのち、周囲に柵を巡らし、
扇形の輪郭を復元する予定だそうですので、また次に行った時は
違う出島を見る事が出来そうですね!
現在、筆者部屋他6棟の復元のため、発掘調査中。
こちらは復元するため、発掘調査中です。
水門(現在のメインゲート)
カピタン部屋をでて左に見える水門。
お写真では見えづらいのですが、2つの出入り口があります。
片方が輸入用でもう片方が輸出用だったようです。
ガラスが波打っているのがお分かりになりますでしょうか?
細かいところまで当時に近い状態で再現されているんですね!
次はミニ出島に向かいます♪
先日もUPしましたこのお写真ですが、表門です。
出島は埋め立てられ、中島川の工事で削られていますので、
本来ですと、これは削られてしまった川の中央付近に建っているものです。
面白いのが側溝です♪
表門の通りは普通の底が平らな側溝なのですが、
そこから外れた他の側溝はV字です。
きっと文化の違いなのでしょうね。
ミニ出島に行く途中にも何かとあります♪
出島商館医として来日したシーボルトが、ケンペルとツュンベリーの功績をたたえ
顕彰するために建てた記念碑。
当時は出島のお花畑に建てられていたようです。
バドミントン伝来之地
出島でポルトガルの使用人の方が、休み時間にバドミントンで
遊んでいた所から伝来の地となったようです。
出島先学顕彰薬園碑所在標
1973年(昭和48年)に、シーボルト来日250年を記念して
シーボルト顕彰会が建立したもの。
シーボルト、ケンペルやツュンベリーらは、日本の植物に大変関心を持ち、
出島内の薬草園で研究を深め、その研究成果を広く海外に伝えました。
オランダ・ウィリアム・アレキサンダー皇太子記念植樹
1990年(平成2年)にオランダ王国のウィリアム・アレキサンダー皇太子が
長崎旅博覧会などの行事に参加するため来日した際に、
出島オランダ屋敷跡を訪問。
お写真には写っていませんが、この碑の左側に記念に植樹された、
ハナミズキが植わっています。
鉄製大砲
1964年(昭和39年)に、浦上川河口付近から引き上げられた大砲。
もとはオランダ船に搭載されていたもので、何らかの事情により海中に残されました。
長崎港と浦上川河口部では、オランダ船の座礁や船の搭載砲を
海中に落とした記録などが残っています。
アムステルダムをあらわすAとオランダ東インド会社をあらわす
VOCのマークが刻まれています。
ミニ出島
こちらも後程UPします。
ミニ出島を出る際にあったアーチ形の門
オランダ東インド会社をあらわすVOCのマークが刻まれていました。
ここに出ると料金所のあった旧出島神学校の建物が目の前です。
こちらにはお土産屋さんもあります♪
ここで娘がお腹が空いたと、何故か月餅を購入。
それだけではと私はアゴダシ(調味料の方です)を購入。
これは九州、特に長崎ではポピュラーなダシで、
飛び魚の事をアゴと言うのでアゴダシです♪
お土産の方でUP予定です!
早く記事をUPしないと、教えて貰った記憶が薄れつつあります(笑)
まだまだ続きますけど、よろしければ見に来て下さい(^0^)/
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