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時代小説「お幸と辰二郎」第5章・・・「普通の幸せ」
チーン♪
「ババァ、行ってくるから、そこの饅頭でも食って待ってろ♪」
お吉が亡くなって早10年、相変わらずの口の悪さの辰二郎でしたが、毎日欠かさず手を合わせるようで・・・。
「おい!巳之吉!何してんだ!! 早くしろってんだ!!」
「うるせいやい! 腹に何も入れずに出られるかってんだ!!」
「何を~!!親・に・向・か・っ・て・・・!!」
「はいはい! 親子喧嘩なら外でしてくださいよ!!」
朝から賑やかな、辰二郎と性格がうり二つの長男巳之吉との喧嘩を、慣れた感じで収めるお幸の姿がありました。
「ったく! 誰に似やがったんだ~!!」
「フンッ! てめーの顔見て言いやがれってんだ!!」
「何を~!!」
父親と同じ大工になった巳之吉と辰二郎の親子喧嘩は、この界隈では朝の恒例行事で、その姿は在りし日のお吉と辰二郎を見ているようで、みんな微笑ましく見ておりました。
すっかり母親が板についたお幸は、明るい性格もあって、ご近所付き合いもお吉同様色んな人に愛されていたようです。
お幸が買い物で商店街を歩いていると、誰でも声を掛けてくれました。
「お幸ちゃん♪ あのバカ亭主は相変わらず元気かい?笑」
「フフフ♪ あの人は毒を盛っても死にゃしないよ♪」
「ははは!そりゃそうだ!笑 お♪ これお吉さんに持って行ってくれ♪」
饅頭屋の亭主が、お供え用の饅頭を、かつての親友お吉の為に、お幸に渡してくれました。
「ありがとう♪ おっかさんも喜ぶわ♪」
「何言ってんだぃ♪ 水臭いやぃ! お吉さんに、あのバカ息子に取られないように気を付けろって言っといてくれぃ♪」
「フフフ♪」
街のみんなの心には、亡くなって10年経っても、まだお吉さんが生き続けているようでした。
そんな人情に篤い、商店街のみんなが、お幸は心から大好きでした。
旦那の辰二郎がいて、すっかり一人前になった長男の巳之吉がいて、わんぱく盛りの次男吉五郎。
そんな家族に囲まれているお幸は、時々しみじみこう思うです。
『まさかこの私が普通の生活が出来るなんて・・♪ はぁ♪毎日が幸せ♪ 座長さん、お松姐さん、お吉さん、そして辰さん♪ ありがとう♪』
今日も、夕焼けで真っ赤に染まった商店街を歩きながら、幸せな気持ちで家路につくお幸なのでした。
「さぁ♪ こんばんは雑炊にしようかな♪」
家についたお幸は、裏の井戸で、雑炊に入れる里芋を洗っていました。
「土は・・、だいぶ落ちたわね♪ あとは・・、鍋の水を・・」
里芋を洗い終わったお幸は、鍋に水を入れる為に、立ち上がって井戸の縁にある踏み石に足を乗せた瞬間、フッと立ちくらみが・・・
体の平衡を失ったお幸は、足元がおぼつき、なんとか踏ん張ろうと井戸の縁に手をついたのですが、そこに生えていた苔がお幸の手を滑らせ、
一回転をするように頭の後ろから地面に落ち、そこにあった踏み石に頭を強く打ってしまったのです。
「へまをしちゃった・・・。は、早くしないと・・、みんなが・・、帰ってくるから・・・、は、早く・・、しないと・・・」
薄れゆく意識の中でも、お幸は家族の事を気遣っておりました。
「おかしいわ・・・、なんだか眠くなってきちゃった・・・。早く・・、起きないと・・・」
裏の井戸で段々と意識が遠のきながらも、手を空に伸ばし起き上がろうとするお幸でしたが、その瞳はゆっくりと閉じてゆきました。
踏み石にぶつけた頭からは、ゆっくりと赤い筋が地面に伸び、今まさにお幸の命のろうそくを吹き消す勢いで、流れておりました・・。
その頃、表の通りには、家路に急ぐ多くの人々が行き交っておりました。 仕事を終えた辰二郎と巳之吉を含めながら・・・。
続く。