さてどれぐらい”すいて”いるかと浅草周辺に行ってみると、外国人の姿は少なかったが着物を着た日本人ジョシを始め、結構な人の賑わいであった。
この現象をどの様に解析するかは専門家に任せておいて、浅草の人混みを避けて日常の街並みを撮影で歩く。
時代の雰囲気に呑まれていく日常を結構冷静に見つめているつもりだが、さすがにここまで無自覚に物事は動いていくものなのかと驚きと落胆を合わせた感情を持て余している。
この後に来るのはパニックとつきものがとれたあとの痴呆状態か。
毎日せっせと発表される感染者数と入院患者数を書きとめてグラフにしていると、少しずつ”その瞬間”が近づいている様な気になる。
その瞬間とは、一気に爆発的発生で医療が間に合わなくなる瞬間だ。
退院する人もいるが入院患者数はそれを上回っている。
もちろんピークがいつなのか誰にもわからない。
そうこうしている間に世の中は大不況に突入した様だが、ここでも無自覚に物事は動いているようだ。
行政の行ないは誰もがピントはずれだと思うことばかりだし、政治家の発言は実のところ為すすべがなくて(これは日頃の無知蒙昧さが表れているだけだが)思いつきで言葉を発しているのだろうと想像できる雑さだ。
同じ原因で世界中が対応する場合に国ごとに対応に違いが出て、それをタイムリーに見聞きして、自国の振る舞いが理にかなっているのか、よそがうらやましくならないかと”政策”の比べっこをするのだが、Japan was No.1 であった時代を引きずりすぎたなと同時代人として反省してしまう。もっと早く他国よりも劣るシステムしか生み出していない”現状”を認めて再出発するべきだったのだ。
残念ながらすでに手遅れであるのは、この騒ぎで各国が打ち出す対策のスピードとIT技術の実用性と人々の人間性の偉大さを目の当たりにして、それをなんとも思わない世代の国民が多数を占める老化国家の波間の漂いぶりを見て明らかである。
大きな波に右往左往しながら思いつきで舵を切る老船の乗員であるはずが、多くの人が乗客だと勘違いしてお任せしている姿はかの船の行く末とダブってしまうのだが。
かの船とは豪華クルーズ船の乗客達の姿であるし、氷山と衝突して沈没した有名客船でもある。
この現象をどの様に解析するかは専門家に任せておいて、浅草の人混みを避けて日常の街並みを撮影で歩く。
時代の雰囲気に呑まれていく日常を結構冷静に見つめているつもりだが、さすがにここまで無自覚に物事は動いていくものなのかと驚きと落胆を合わせた感情を持て余している。
この後に来るのはパニックとつきものがとれたあとの痴呆状態か。
毎日せっせと発表される感染者数と入院患者数を書きとめてグラフにしていると、少しずつ”その瞬間”が近づいている様な気になる。
その瞬間とは、一気に爆発的発生で医療が間に合わなくなる瞬間だ。
退院する人もいるが入院患者数はそれを上回っている。
もちろんピークがいつなのか誰にもわからない。
そうこうしている間に世の中は大不況に突入した様だが、ここでも無自覚に物事は動いているようだ。
行政の行ないは誰もがピントはずれだと思うことばかりだし、政治家の発言は実のところ為すすべがなくて(これは日頃の無知蒙昧さが表れているだけだが)思いつきで言葉を発しているのだろうと想像できる雑さだ。
同じ原因で世界中が対応する場合に国ごとに対応に違いが出て、それをタイムリーに見聞きして、自国の振る舞いが理にかなっているのか、よそがうらやましくならないかと”政策”の比べっこをするのだが、Japan was No.1 であった時代を引きずりすぎたなと同時代人として反省してしまう。もっと早く他国よりも劣るシステムしか生み出していない”現状”を認めて再出発するべきだったのだ。
残念ながらすでに手遅れであるのは、この騒ぎで各国が打ち出す対策のスピードとIT技術の実用性と人々の人間性の偉大さを目の当たりにして、それをなんとも思わない世代の国民が多数を占める老化国家の波間の漂いぶりを見て明らかである。
大きな波に右往左往しながら思いつきで舵を切る老船の乗員であるはずが、多くの人が乗客だと勘違いしてお任せしている姿はかの船の行く末とダブってしまうのだが。
かの船とは豪華クルーズ船の乗客達の姿であるし、氷山と衝突して沈没した有名客船でもある。