クスっと来る洒落た話(続)…(1)
** 「月がきれい漱石説」
文芸春秋に日本語学者・辞書編纂者である飯間浩明氏が担当する「日本語探偵」と言う人気コラムがある。7月号に「月がきれい漱石説」の源流は英語の文献らしいという解説記事があった。
夏目漱石が生徒に【日本人は直接的に表現しない、 「I love you」は「月がきれいですね」と訳しなさい】と諭したという逸話は、日系カナダ人言語学者、S・I・ハヤカワ氏の著書「行動における言語」に書かれた「直接的に表現しなくても分る」というのがその発端で、これを権威付けする為に漱石説の都市伝説が生まれたというものである。ハヤカワ氏の説明は「若い女性と散歩している時、彼女が(今夜は月が明るいね)と言ったとすると、その声の調子によって、気象観測をしているのか、キスを欲しいと匂わせているのかが分かる」というものであった。
しかし、声の調子で判断すると言うのも可成り難しく、あれこれ考え悩んでいる内に、駅に付いてしまったとか、引っ叩かれたという危険も伴う…こんな事を言うのもデリカシイーの無さを暴露しているのかもしれない。
しかしこの説を唱えたアメリカ人は日系2世との事である。コテコテの脂ぎったアングロ・アメリカンや、ラテン系のアメリカ人なら、こんな詩的な事は言わないだろう。英語で想いを伝える「愛の言葉💛鉄板フレーズ60選!!(50選と言うのもある)」に出てくる様な「 I love you」で始まる剛速球、直接的な表現で迫る筈である。ハヤカワ氏には恐らく日本人の精神性が残っていたのでは無いかと推定できる。
数年前、Buzz FeedにRepoter伊吹沙織氏が「愛してると伝えたいけど言葉にできないあなたに—。文豪100人が綴った"I Love You"の訳し方、あなただったら、どう訳しますか?」という記事を掲載された。そのトップバッターが上記の夏目漱石の月がきれいね説である。
2番目が、竹久夢二「話したい事よりも、何よりも、ただ逢うために逢いたい」、3番目が、芥川龍之介「2人きりで、いつまでも,いつまでも話していたい気がします。そうしてKissしてもいいでしょう。いやならば、よします。この頃ボクは文ちゃんお菓子なら頭から食べてしまいたい位、可愛い気がします。」何やら中学生の下手なラブレターを彷彿とさせ、文豪も恋に血迷った感じで興ざめである。最後に7番目に登場するW・シェクスピア「君を夏の日に例えようか、いや、君の方がずっと美しく,おだやかだ」
文豪と言われた人も、ことラブレターとなれば難しかったようだ。
芥川もシェクスピアも、こんな恥ずかしいラブレターが衆人の目に晒されるとは万が一にも考えなかったのだろう。文豪はつらいね。
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