Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

恋愛交差点3 自分を愛せないと他人を愛せないって本当?

自分を愛することができないと他人を愛することができないって本当?

「恋愛」は、かつてから、古くはギリシャ時代から、議論されてきた人間の核心的な問題であった。この恋愛を深く考察していくことは、実際の生活の向上のみならず、今日の学問的状況にも非常に意味のあることではないか。こうした恋愛の反省を行うのが「愛の理論」である。

愛の理論は、愛の実践を豊かにするのみならず、教育学や福祉学や心理学の根底の問題を浮き彫りにする。愛の理論なくして、教育も福祉も心理もないとホンキで思っている。愛を根底に置こうとした教育学者、福祉学者、心理学者はかなり多い(ペスタロッチー、ボルノー、エレン・ケイ、リッチモンド、フロイト、フロム、ミラーなど)。

そこで、このブログでは、「恋愛交差点」というキーワードを用いて、「愛すること」とはどういうことかについてじっくり論じていこうと思った。「恋愛の失敗」が、あらゆる家族問題、教育問題、児童福祉問題の原因に帰する、という仮説を立ててみて(こちらを参照!)、まず、最初に、「人は愛することを学ぶことができるか」という問いを立てた。そして、恋愛の基盤となる「恋愛の根拠」を四つ挙げ、さらに、これらの要因をすべて「haveの恋愛」とみなし、新たに、フロムの見解を基に、「beの恋愛」を提唱した

今回は、誰かを愛することを規定する「自分自身」のことを問題にしたいと思う。よく、「自分を愛することができなければ、人を愛することはできない」と言われる。これって、どうなのだろうか? 自分が自分をどう思おうと、誰もが人を愛しているんじゃないか? 何百人という学生に話を聴いても、誰もが恋愛をしているし、ときめいているし、愛を経験している。そう考えると、自分を愛することができないと他人を愛することができないって本当なのだろうか?

まずこのことを考える上で、自分と自分の関係について、便宜的に次のような視点をもっておきたい。

● 自分を愛していない人
● 自分に無関心な人
● 自己中毒者(Selbstsucht);歪んだ仕方で自分を愛している人
● 自己愛(Selbstliebe)の人;しっかりと自分を愛している人

こうした自己関係をもつ四者の恋愛を考えることで、「自分を愛することができないと他人を愛することができないのか?」という問いに答えてみよう。

自分を愛していない人、自分自身を憎み、恨んでいる人が人を愛するとどうなるのだろうか。そういう人は一見、とても魅力的である。乾いた瞳、背中から伝わる孤独感、自分を愛していないがゆえに可能となるような悲壮感、切迫感、こうしたものは、よく分からない仕方で相手に伝わるように思う。自分を根こそぎ変えようとして、美容整形に通う男性や女性の姿は、かわいそうというよりも、胸が締めつけられる。リストカットを繰り返す人は、今の自分自身に自ら傷つけ、自らを痛めつけ、自分を否定しているのだろう。自己拒絶を示すリストカットは、想像を絶するほどに凄まじい行為だ。自分を愛している人にはほぼ99.9%理解することができない行為であろう。この行為が示すように、現存の自分自身を愛せない人は、重々しい場合には、他人を愛する以前に相手に意識が向かなくなる。向かうべき対象は自分自身なのだ。自分を否定することしか意識しなくなり、自分をどのように否定するか、ということしか考えられなくなる。しかし、幸い(というかなんというか)、それほど自己否定の度合いが低くて、他人と恋愛することになったとしたらどうなのか。自己を否定する人は、他人が自分を評価するどんな言葉を聴いても、それをすべて否定的に捉えることになる。「あなたを愛している」という言葉を何度聴いても、「嘘だ! オマエは私/僕を愛してなんかいない! なぜならば、こんなに醜い自分を愛するなんてできないはずだから(一番自分に近い自分でさえ、自分を愛していないのだから、他人であるオマエが自分を愛するなんてできるはずがない)」、というレトリックに陥ってしまう。とはいえ、それでも愛されたいという願望はあるわけで、「もっと自分を愛してほしい」という気持ちはある。けれど、どんな言葉も慰めにならないのだ。こうした自己否定の人は、どのようにして人を愛するのだろう。というよりも、誰か特定の他人を愛し、認め、許し、受け入れることができるのだろうか。そして、その特定の他人の存在、その人と共にいる二人の存在へとまなざすことはできるのだろうか。それはきわめて難しいと思う・・・ 他人を愛することの意味を理解することがそもそも難しいのだ。

自分に無関心な人は、自分を忘却している。自己忘却だ。かつての言葉でいえば「自己疎外」と言えるかもしれない。簡単に言えば、「自分のない人」、「のっぺらぼう」だ。こうした自分に無関心の人は、良くも悪くも、献身的な愛をすることができる。自己犠牲の達人だ。自分への配慮がないために、100%相手に尽くすことができる。相手にとってはかなり都合のよい人となるだろう。日本人の女性が世界の男性に最も人気があることの根拠はここにある。(明治期以降に作られた「良妻賢母型」の女性像は、自分という主体を(そもそも)もっていない日本人女性にうってつけだったはず。欧州の女性は、もともと自立した主体的な人間性をもち、さらにフェミニズム運動のおかげで、男性に服従する価値観を克服することができた。ゆえに、男性に無批判的・服従的に仕えてくれる女性がほとんどいなくなり、日本人女性にターゲットが向けられた、と考えても変ではないはず。もちろん自分がないことで、とりあえずうまくいくこともあるかもしれないが、それよりも高いリスクを背負っているようにも思う。DVサイクルのスパイラルハネムーン期→蓄積期→爆発期)から抜け出せない人は、(よく「共依存」という言葉で説明されるが)根本的には、「自分の身の危険」よりも、「相手への献身」を考えてしまうという視点をもってしまっている。人は誰でも感情をもっているので、程度の問題ではあるが、殴ったり、暴れたり、相手の自尊心を破壊するような暴言を吐いたりすることが、精神衛生上よいわけがない。言われた側であるこちらは、多くのストレスを抱え、不安を抱え、恐れ、相手の顔色をうかがうようになる。そもそも、相手の顔色をうかがうことが「愛すること」なのではないはず。そういう人は他人を愛する前に、自分を気遣うことや守ることを学ぶことが先決ではないだろうか。彼らは愛することを問題にする以前のところに留まっている。また、極論的にいえば、そういう自分に無関心な人がそういうDVを助長させているのかもしれない。自分に無関心な人は、結局のところ、その人を愛することしているのではなく、相手に自分を合わせ、相手と同一化することで、事なきを得ているのだ。DVに限らず、自分を忘却し他者に完全に依存する人は、相手との差異をなくし、相手との間を消し、相手をまなざすことなく、同一化してしまう。これが「愛すること」だとは到底思えないし、そういう人に「能動的に他者を愛すること」ができるとは思えない。

歪んだ仕方で自分を愛している人のことを、エーリッヒフロムは自己中毒者(Selbstsucht)と呼んだ。ある訳書では、「利己主義者」と訳されていた。どちらでもよい。いずれにせよ、自分だけに夢中な人、自分の価値観が絶対の人、自分勝手な人、自分中毒の人・・・ こういう人は、たしかに自分が大好きで、自分を心底愛している。最高級の自己中毒者は、ギリシャ神話のナルシスと言えるだろう。ナルシスは紛れもなく他人ではなく自分自身を愛してしまい、最後には死んでしまう。こういう自己中毒者は、他人を愛することができるのだろうか。シンプルに考えれば、こういう人は人を愛することはできないはずである。なぜなら、他人よりも自分に重きを置いているからである。他人がどうなろうと、自己中毒者には興味がないのである。自分にしか興味がないので、他人がどうであろうとどうでもよいのである。こういう人は、自分を満たすために、人と恋愛をすることになる。恋人やパートナーは自分の世界を豊かにするための道具となり、手段となり、最大限にその相手を利用する。よく芸能人や著名人がステータスの高い相手と恋愛したり、結婚したりしているが、それは愛ゆえのことではなく、自分の立場を守ったり、向上させたりするためにそうするのである。恋愛も結婚も自分のためにするのであり、二人のためや将来の子どものためではないのだ。また、自分の考えや意見を曲げず、相手の要求を聞き入れず、自分の都合の良い人間に相手を変えようとする人がいる。そういう人もやはり自己中毒者と言えるだろう。自分が正しいのであり、自分が正義なのである。そうなると、恋人やパートナーの存在は自分の手中に納まることになり、その相手は完全に自分の支配化に置かれる。こういう人は、相手を愛することをしているのではなく、相手を支配しているだけなのである。愛することは、相手を利用することや支配することではないはずだ。自分を愛することは、自分の世界を完全に肯定することではない。(自己中毒者は、自分を愛しているのではなく、自分を愛そうと欲し、おのれの劣等感や欠陥部分を必死に肯おうとしている人なのかもしれない・・・)

とすると、やはりしっかりと自分を愛することができなければ、他人を愛することはできないように思われる。自分を愛せない人も、自分に無関心な人も、自分を極度に愛しすぎる人も、必死に自分を愛そうと試みている人も、やはり他人を愛する実践の一歩手前のところに留まっているのではないか。では、正しくしっかりと自分を愛しているとはどういう人のことをいうのだろうか。

次回に続きます♪

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