Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

恋愛交差点24-そもそもだけど、「親の愛(Parental love)」ってどんな愛なんでしょう?!

この季節、とっても考えたくなる「恋愛論」。

この数回、伝統的な愛の概念についてみてきました。

一言で「愛」と言っても、色んな愛があるんですよね。

前回の「恋愛交差点」第23話はこちら

これまで、基本的に「男女の愛」「夫婦の愛」を前提に語ってきましたが…

今回は、「親の愛とは何か?」について考えたいと思います。

親の愛って、どんな愛なんだ?!

って話になります。


親の愛を表わす言葉って、考えたらあんまりないんですよね。

「親の愛」で検索しても、たいした言葉はでてきません。

色々と調べていくと、親の愛として一番考えられているのが、

アガペーの愛(Agape)

であります。

僕的には、アガペーの家のガルベさんを思い出しちゃいますが…。

アガペーというのは、簡単に言えば「神の愛」「無償の愛」「無条件の愛」「非打算的な愛」「利他的な愛」のことです。

根本的には「神の愛(God's love)」ですが、人間にもこれを使うケースが多々あります。

無償の愛、無条件の愛っていうと、なんとなく「ありそうな感じ」がしますよね。

だれかれ構わずに、どんな人をも愛せちゃう人って、たまにいるじゃないですか?!

(ただ、「誰からも好かれる人」をここでイメージしないでくださいね。「誰をも愛せちゃう人」は、「誰からも好かれる人」とはかなり違うと思うので、、、💦)

一番、(人間にとって)アガペーの愛が問われるのは、「嫌いな人を愛せるか」という場面です。

もっと形式的に言えば、「汝の敵を愛せるか」になると思います。

無償であり、無条件の愛なので、自分が嫌いな、自分を敵視する人をも愛さなければならないのです。

「せねばならない」というと誤解がでそうなので、「敵さえ愛しちゃう人」としておきましょう。

これはすごく難しい問いですね。

「自分が嫌いな人」や「自分を嫌いな人」を愛せるかどうか。

これは、僕自身の永遠の課題だとも、心から思っています。

僕自身は、はるか昔から「嫌われてもかまわない」と思って生きてきています。結構、目立つタイプなので、だいたいどこに行っても、必ず数人に目を付けられ、嫌われます(疎まれたり、怖がられたりも…何度も…😿)。(「どうでもいい人」にならない、という利点はあるかなぁとは思っていますが…)

問題はその先で、「自分を嫌う人や憎む人を愛せるか」ということが僕自身の課題となります。これが、とにかく難しい…。

話を戻しましょう。

親の愛は、アガペーの愛であるか。

僕の答えは、「NO!」です。親に「神の愛」を求めるのは、酷すぎます。親なんて、誰でも(性的関わりができれば)なれますし、子どもを産んだからといって、人格変容が起こることもまずありません。父も母も、子どもができなければ、その辺にいる「男」と「女」ですから。

もちろん、出産する以前から、博愛主義者でアガペーの愛に近いものを持っている人が「父親」「母親」になれば、子に対しても、(他の人に対してと同様に)アガペーの愛を与えることはできるでしょう。

でも、そんな人、そうそういるわけじゃありません。

たいていの人は、色んな条件を人に付けていきますし、子どもにも色んな条件をつけるでしょう。「○○をしたら××してあげる」みたいな。あるいは、「○○しなければ××してあげない」みたいな。

赤ちゃんの時は、親の愛はアガペーの愛に近いところもなくはないですが、幼児くらいになると、あちこち一人で動けるようにもなるし、言葉も覚えていきます。そうすると、親も親で、どんどん厳しくなっていくわけです。「○○するな」「××しろ」「○○はいいけど、××はダメ!」みたいな…。

兄弟姉妹がいれば、比較されます。いわゆる「できのいい子」は寵愛され、「できの悪い子」は罵られます。アガペーの愛であれば、そんな比較や区別など関係なしに同じくらい愛せると思いますが、なかなかそれはできないことでもあります。

なので、完全なるアガペーの愛を「親の愛」に当てはめるのは、ちょっと現実離れし過ぎているんじゃないかと思うのです。

では、親の愛とは何なのか。

親の愛で色々調べていくと、「アタッチメント(愛着)」という言葉が出てきます。

親の愛というのは、親と子の「愛着関係」にある、って考えるんですね。

これはこれで、なんとなくよい説明かなって気もしなくもないですが、これって、あくまでも「信頼関係」のベースとなっている間主観的・間身体的な愛情(親と子の間にできているもの)のことを言うんですよね。

なので、「親の愛」の中身の話ではなくて、その帰結として生じる関係性の話なんですね。

ただ、近藤清美さんの考えによると、アタッチメントとは、「『見守っていて、安心・安全だから、自由にやっていいよ』という関係」のことであり、「見守ること」「安心・安全を与えること」「自由を与えること」は、親の愛の本質に迫るものかな、と思います。(引用元

この見守る、というのもまた、どこか「アガペーの愛」を彷彿とさせるものがあります。

(それゆえにまた、このアタッチメントも、かなり難しい実践ということになりそうです)

更に、親の愛を調べていくと、あまり望ましくない「愛」が出てきます。

「親の重い愛情」「支配的な愛」「愛という名の親からの支配」「常に監視する愛」…

愛という名での支配、という話がいっぱい出てくるのです。

この愛は、もはや「愛」ではないですね💦

所有? 服従? 管理? 

これは、ストーカーの心理とか、独裁者の心理とか、支配者の心理とかに近いもので、「愛」ではないですよね。無論、それを「愛情表現」だって思い込んでいる人は、かなり多くいるとは思いますが、、、

「どうして親の言うことがきけないの!」「つべこべ言わずに、いうことを聞きなさい!」「なぜ○○ちゃんは、パパ・ママの言うことがきけないの!」「いい子じゃないと、愛してあげません!」みたいな…。

中には、「「いい高校」「いい大学」に行かなければ、愛さないどころか、我が子と認めません!」みたいな親もこの世の中にはいます。究極の条件付きの愛(しかも歪んだ愛)ですよね。

自分の理想を子どもに押し付けてくるわけです。

こういう親の支配的な歪んだ愛(?)は、この「恋愛交差点」の領域を超えるので、もうやめます(苦笑)。ただ、これまで論じてきた「Haveの愛」の最も歪み屈折したカタチとは言えそうです。

日本語の「親の愛」で調べても、たいしたものが出てこないので、、、

続いて、英語で考えたいと思います。

親の愛は、英語では、

Parental love

と表記されます。

まぁ、そのまんま「親の愛」「親的な愛」ってことになりますね。

これで、あれこれ調べてみると、色んなワードが出てきます。

その中で、「おお!」と思ったのが、

Care is love in action

という言葉でした。

この言葉を見て、「そうか、親の愛は、ケアの愛だ!」って思いました。

このブログでも散々書いてきましたが、「ケア」「ケアリング」のことです。

ケアの愛というと、ミルトン・メイヤロフのこの本が思い浮かびます。

この本は、もう何十回も読んでいるので、体に染みついています。

たしかに、「親の愛」というと、「ケアする愛」って言っていいんだろうなって思います。

更に調べていくと、

Without caring, love is boring.
(ケアすることのない愛はたいくつである)

というフレーズと出会いました。

こちらのサイトをチェック

これは、「親の愛」に限った話じゃないと思いますが、親の愛として考えても、そうだなぁって思います。

ケアする心、育てたいと思う心、育つことを喜ぶ心、、、

倉橋惣三の言葉で言えば、「育ての心」となりましょうか。


自ら育つものを育たせようとする心、それが育ての心である。世にこんな楽しい心があろうか。それは明るい世界である。温かい世界である。育つものと育てるものとが、互いの結びつきに於て相楽しんでいる心である。

育ての心。そこには何の強要もない。無理もない。育つものの偉(おお)きな力を信頼し、敬重して、その発達の途に遵(したが)うて発達を遂げしめようとする。役目でもなく、義務でもなく、誰の心にも動く真情である。


これこそ、ケアの愛の中身になるかなと思います。

大切に育てたいと思う愛情、つまりはケアの愛。

このケアの愛こそが、「親の愛」の一つの大きなテーマとなるように思います。

いや、親の子への愛だけではないかな。

たとえば、兄の弟への愛、子どものぬいぐるみへの愛、家族のペットへの愛、女の子のたまごっちへの愛、あるいは、ラーメン店主さんのラーメンへの愛、教師の生徒たちへの愛、バンドマンの楽器への愛、作曲家の楽曲への愛、ブロガーのブログへの愛(?!)など、色々とあると思います。

ケアの愛は、「能動的な愛」「活動的な愛」「成長していく愛」などと言われたりもします。

誰かや何かに専心して育てることで、自分自身も成長していくような愛

こうした愛情を、「親の愛情」「親的な愛情」と言っても過言ではないのかな?と思います。

なお、、、

こうした親的なケアの愛は、対等な男女の愛では、だいぶ危険なところがあります。一方が、献身的に相手が求めるままに行動してしまうことで、相手側が一方的にそれに頼ってしまう関係に陥りやすいからです。

特に若い女性は、このケアの愛で、いわゆる「クズ男」を愛しているかのような錯覚?に陥りやすいな、と直観的に思います。「あの人は、私がいないとダメなんです!」と叫んだり、「あの人の望んでいることをやりたい」と健気に思いつつ、実はその相手にただただ利用されているだけの女性を見ると、「嗚呼…」って思っちゃいます。

ケアの愛は、「上から下への愛」、あるいは、「有するものから有しないものへの愛」であります。

上のどの例を見ても、「作る側」から「作られる側」への一方向的な愛になっています。

他の誰かからしっかり愛されることで、別の誰か・何かへと向ける愛のことでもあります。

若い女子向けに言えば、【しっかり親や彼(夫)に愛されることで、親でも彼(夫)でもない対象に献身的に注ぐ愛情】、と言えば、誤解がない言い方になるのかな??、と。

だから、しっかりと子どもを育てられる親というのは、子ども以外の誰かに、パパもママもしっかり愛されている必要があると言えるでしょう。

もちろん、パパがママを心から愛し、ママがパパを心から愛していれば、どちらも子どもにケアの愛を向けることができます。が、パパの愛、ママの愛だけである必要もありません。

たくさんの人にパパが愛されて、たくさんの人にママが愛されていれば、どちらもたっぷりと子どもにケアの愛を与えることができるのです。(だから、シングルマザーやシングルファザーでも、たくさんの人に愛されていれば、問題ない、ということになります)

理想的には、自分の親や相手方の親に愛されて、おじやおばに愛されて、近隣の人に愛されて、友達や親友に愛されて、また尊敬する師匠(恩師・先輩・憧れの人など)に愛されて(あるいは勝手に愛されていると思いこめて)、そして、パートナーからもしっかり愛されて、はじめて成立するのが、ケアの愛なんだろうなぁ、って思います。

ただ、現実的には、どれかが欠けている場合がほとんどだと思います。でも、それでいいと思います。大事なのは、誰かにちゃんとしっかり(一方的に)愛されている(と感じられている)、ということだけです

こっちが愛する努力をしなくても、一方的に愛してくれる人、一方的に認めてくれる人、一方的に応援してくれる人、そういう人がいれば、別の誰か(子ども)を大事に大切に育てることができるんです。

この部分が、子どものいる家庭(パパやママ)の支援の核心なんだろうなって思います。

(そう考えると、「先生との出会い」ってすごく大事だよな…。一生つきあえる先生が一人いるかいないかで、人生、大きく変わってきそうだもん。某A先生を見ていると、それをすごく実感するな。あの先生と出会えた卒業生、かなり助けられているもんなぁ…)

僕は、櫻井敦司さんに、一方的に愛されてたなって勝手に感じながら、35年生きてきた気がします。もちろん櫻井さんは僕のことなんて知りません。知らなくていいんです。ただ、一方的にずっと愛されてきた実感があるんです。いつも、櫻井さんは、僕のためだけに歌ってくれていたんです(比ゆ的にですよ!💦)

【おまけ】

他方、東アジアの観点からすると、、

韓非子のこの言葉が有名かな、と思われます。


慈母雖愛,無益於振刑救死。則存子者非愛也

訳:愛情深い母親は、自分の子を愛していても、その子を罰や死から救うことは何もできません。 であれば、子を守るのは愛ではないのです。


最後の「非愛也(愛に非(あら)ざるなり)」は、名文ですね👆

また、この文の続きに「子母の性は愛なり」という言葉もあります。

東アジアにおける「親の愛」は、わりと上に書いた「支配する愛」に近い感じがします。

この一文の詳しい解説はこちらを参照

これを聴くだけで、なんとなく「東アジアの愛」なるものが見えてくるかも?!ですね。

他にも、色んな文献がありますが、わりと「キツめの言葉」が多いなぁという印象を受けました。

また、孔子の『論語』の中でも、愛することが記されています。


樊遅問仁、子曰、愛人、人知、子曰、知人…

樊遅(はんち)仁を問う、子曰く、人を愛す、知を問う、子曰く、人を知る…


ここにある「仁」が、愛することだ、ということになります。

この仁は、「(己の欲望を抑えて)人を愛すること」と理解されています。

また、孔子の弟子である孟子は、この仁について、「仁は人の心なり」と言っていました。

ここでは、「人の不幸への同情心」「下の者への慈悲の心」という意味で捉えられます。

そうなると、「親の愛」に近いものなのかな、と思ったりもしてきます。

で、その仁が表面的に表れているのが、「礼」ということになりますね。

となると、「愛するという営み」は、具体的には「礼」ということになりそうです。

こちらのブログ記事がすごく参考になります

愛とは何か。

この問いは、洋の東西を問わず、ずっと考えられてきたことなんですよね。

親の子どもへの愛とは何か…。

もっともっと問い続けなければいけない問いだなぁって思います。

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