Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

1998年の今頃…

ふと、思い出した。

今から12年前の今頃、、、
人生初の海外、人生初のドイツ留学で、日本を離れた。

大学3年時が終了した頃だった。
僕は通信制の高校卒なので、一浪と一緒。
だから、当時で22歳、、、か。
現役なら大学を卒業する頃だ。

当時、ドイツ留学ができたら大学院進学、
ドイツ留学が無理なら教員採用試験勉強って決めてた。
ドイツ留学の倍率は3倍だった。
3人希望で、採用されるのは1人のみ。。。

この時に、自分の人生が決まるって思ってた。
あの時、もしドイツ留学がなかったら今頃・・・
想像さえできないや。。。

成田空港に、当時の仲間がみんな見送りにきてくれた。
障害をもった車いすの友達も3人来てくれた。
昔の友達もきてくれた。もちろん親も。
荷物チェックのカウンターでみんなと別れたとき、
すごく不安だった。未知の世界に一人でいくのだから。。。

飛行機の中はまだ全然不安じゃなかった。
むしろ楽しかった。アテンダントさんにドイツ語で話しかけたり。。。
初めて食べる機内食に感動したり。。。

でも、フランクフルトに着くや否や、一気に異国の世界に。。。

…と、語り出すと止まらなくなるから、この辺でやめておこう。

いずれにしても、あの頃から12年が過ぎた。。。
信じられないくらいにあっという間だったかな。。。
ドイツで暮らし始めた頃は、1日がこんなに長いなんて、と思ってた。
毎日が重く、苦しく、過酷な日々だった。。。
けど、それ以降は嵐のように過ぎていった。。。

12年前の今の頃、ちょうど今くらいの時期に、
ドイツに旅立ったことを思い出した。

あの頃に戻りたいなって気持ちもあるし、
もうあんな大変な思いはしたくないなって気持ちもあるし。。。

今となっては、ドイツの方が日本より居心地よくなったりしてるけど、
当時は、必死だったし、大変だったし、苦しかった。。。

あの頃、一緒に遊んでたみんなは元気にやっているのかな~~

***

僕のシスターみたいな京子ちゃんも1年間の留学を終えて、
スウェーデンに帰国した。

今、どんな気持ちなのかな。

きっと、日本が恋しいんだろうなぁ。しばらくはぼーっとしているんだろうな。
僕も、ドイツから帰国した時、何をする気も起きなかった。
ただ、「嗚呼、またドイツに行きたい」って思ってた。

おかげさまで、今の僕は、毎年ドイツに行けている。
ドイツのみならず、オーストリア、スイス、スウェーデンなどなど、
その近隣諸国にも行けている。

でも、あの頃のような新鮮なトキメキやキラメキはないかなぁ~

若さって素晴らしい!
若い人を見ると、ホントうらやましくなる。
(戻りたいとは、決して思わないけど☆)

コメント一覧

mitchy
keiさん、こんにちは。お返事頂きありがとうございます~。

そうですね、確かに英語でFairと言ってること自体がFairではないですよね。というか、どんな言語だったにしても、あえてFairと口にする事自体が、もう既にウソっぽい気がします…。

それから、Fair以外の言葉で、オージーがよく使ってた言葉を思い出しました。それは、「No Worries!」コレには、随分救われましたよ~。愛すべきオージーって感じです!

…いやぁ~、私、全然そんなたいした経験してませんよぉ~!!keiさんの方が私よりよほど色んな経験されてるかと思います!!!差別なんかより、祐さんとの共演の方が、何億倍も良い!!!(笑)

私の進むべき道…、keiさんには見えるのでしょうか…?私にはまだ見えません。真っ暗でもやもやっと霧がかかってます。keiさん、どうか私を導いて下さい…!!
kei
こんにちは。

一つ気になったこと。

それは、英語でFairと平気で言ってることです。英語でFairと言っている時点で、フェアじゃないかな、と。しかも、おそらくFairの基準そのものが白人主義になっているような。

ただ、公用語が英語なだけに、Fairとしか言いようがないというのも分かるんですけどね、、

人種差別、もっと言えば「差別経験」、これは人種でも障害でも起こり得ることですよね。(というか、Mitchyさんってすごい経験していますよね。なかなか他の人にはできない、というか)

なんか、Mitchyさんの進むべき道が見えてくるというか、、、 音楽、異文化、障害、なにか点を線にするものが見えてきそうなんですけど、、、
mitchy
Australia
keiさん、お返事頂きありがとうございます!

白人原理主義ですかぁ…。正直、私、そういった面からの思考のアプローチをしてみた事がなくて…。でも、「白豪主義」という言葉は、目にしたり、耳にしたりした気がします。そして、なんというか、そういった空気感みたいなのは、常に感じていたかもしれません。

それなのに(それだからこそ?)、オージー(オーストラリア人)はよく「フェア」という言葉を使います。オージー曰く、「みんな都合のいいように使う。」そうです。話などしていて、ちょっと立場が弱くなってきたりすると、すぐ、「It's not fair!」。何人かでの食事などの支払いは、男女関係なく「Fair」で、女性料金(?)無し!などなど。(白豪主義の話とはちょっと違いますが。)

そして、国歌のタイトルが、「Advance Australia fair」なのですよ!でもこの曲よりもオージーを理解するのに必要な曲があるのです。それは「Walzing Matilda」。どちらを国歌にするか?ということにまでなったらしいです。2曲ともYouTubeで聴けるみたいなので、もしよろしければ聴いてみてください!色んなバージョンがあるみたいですが、若ーいオリビアニュートンジョンが国歌歌ってるのがありました~。

私が受けた影響というか、感じた事は、たくさんあります。何から書いたらいいでしょう…。

まずは「時間」の概念ですかねぇ。初めて「時差」と「サマータイム」というものを経験して思ったことは、「時間って人が勝手に作ったものなんだ!」ということです。時計の針を動かす。それだけで、もう、変わるんですよ、時間が!私は時間って絶対的なモノだと思ってたので、それだけで、かなりの衝撃でした!

それから、「他の国」って本当にあるんだなぁという事です。何もかもがいちいち違う(自分と)。「常識」なんてモノはこの世に存在しない…とまで思いました。そしてまた「国」というモノも、人が勝手に作ったんだなぁって。

あと、「世界は平和じゃない」という事を感じました。多くの方がこんなに悲しみや苦しみを抱えている…。目の前で「国」に親を殺されたという留学生もいらっしゃいました。丁度イーストティモールが独立した頃で、ティモール出身の方もおられましたし…。

でも一番はやっぱり人種差別ですかねぇ。これではkeiさんのご理解を変えられませんよね…、スミマセン。人種差別は生まれて初めて受けたのですが、これは自分にとって、大きな意味があったように思います。自分の中にある、「無意識の差別」というものに気付けたから…。障害児の親である自分がいうのもなんですけど、やはり明らかに自分とは違った人を見て、何も感じない人はいないと思うんです。良いとか悪いとかではなく、脅威から身を守る為の自然な感情ではないかと。湧き出る感情を抑えることは出来ませんが、行動は変えることができる。その辺りが、課題ではないかと。

なんだか、とっても長くなってしまいましたよ…。こんな風な内容になってしまいましたが、最初に住んでいたアーミデールという町は、本当に美しいところなんですよ~!また、いい話も書かせて頂きたいです…!





kei
mitchyさん

ええ?!オーストラリアに在住していたんですか?!?! しかも3年?!?すごいですね。

どんな影響を受けましたか?

オーストラリアというと、どうしても白人原理主義っていうイメージが強すぎるのですが、、、(なので、あまりイメージがよくないんです)

僕のオーストラリア理解を変えてください!!
mitchy
keiさん、こんにちは!

ドイツのお話、一度伺ってみたいと思ってました!期待と不安と…、ドキドキ感が伝わってきますね~。今のkeiさんを形成された様々な想い、出来事がたくさんつまってそうなドイツ。そんな大切な場所があるってとてもステキです!

私事ですが(いつもそうですけど)、夫の留学に伴い、1999年から2002年まで、オーストラリアで生活してました。これまた私にとっても初の海外で、いきなりの生活!英語なんて全く話せませんし、ほんと何が何だか分からない状態でした。私も語り出したら止まらないので、止めておきますが、ありきたりの言い方ですけど、私の人生において、多大なる影響を与えられました!

…若さってほんと素晴らしいですよね。若いってだけで、ホントいい!
どこかで聞いた話ですけど、「若いってだけで羨ましい」という感情から、もっと年を重ねると、「若いってだけで憎い」に変わるらしいですよ…(苦笑)。
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