Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

白バラのビラⅠ(翻訳)

ゾフィー・ショルを知っている人はどれだけいるだろうか。ドイツに詳しい人なら、誰もが知っている人物で、『白バラ』の一員だったことで有名な女性だ。その白バラが、戦時中にドイツで配布したビラがあります。これは、映画のなかでも重要な一シーンになっています。

いったいどんな内容が書かれていたのでしょう。ナチス政権への批判が含まれていたということは予想できますが、いったいどんな文章だったのでしょう。20歳そこそこの若者のタイプライターの文章です。

翻訳のたどたどしさもありますが、そもそもドイツ語としてもかなり難しいです。いわゆる「難解な文章」になっています。分かりにくいとしたら、それは翻訳の弱さと内容の難解さによるものだと思われます。何かを伝えたいんだけど、すごく婉曲して言っている印象も受けます。

以下、白バラのビラのkei訳です。

***

Flugblätter der Weissen Rose. I(白バラのビラⅠ)

文明国民にとって、抵抗なく、無責任で暗い衝動から生まれる支配者層に「統治」されてしまうことほど、屈辱的なことはない。今現在、すべての実直なドイツ人が、彼らの支配を恥じているのではないだろうか? もし、われわれを覆うベールが剥がれ、最も恐ろしく、あらゆるすべての規準を果てなく超え出た犯罪行為が明るみに出されるならば、誰もが、われわれやわれわれの子どもたちに迫り来るこの膨大な不名誉を感じるのではないだろうか? もしドイツ国民が、すでに最も深い意味で腐敗し崩壊しきっていて、その結果、手を出すことなく、疑わしい歴史の法則性に対する軽はずみな信頼の中で、人間が有しており、人間をあらゆる他の被造物より優位にさせる最も高次のもの、つまり、自由意志を放棄し、歴史の車輪に影響を与えその車輪を理性的な決断に従わせる人間の自由を放棄するならば、―ドイツ人のすべての個々一人ひとりがすでに精神を喪失した臆病な群衆になってしまっているならば、そうだとするならば、ドイツ人が滅亡するのも当然であろう。

ゲーテは、ユダヤ人やギリシャ人と同様に悲劇的国民であるドイツ人について語っている。だが、今日ではむしろ、軽薄で意思のない名ばかり党員の群れがあふれかえり、彼らによって内部から骨の髄まで吸い取られ、そして、彼らはその骨を抜き取り、崩壊へと急きたてる用意を整えているかのように見える。そのように見えるのだ-だがそうではない。むしろ、ゆっくりとした、悲劇的な、システマティックな強姦(強制)のなかで、すべての個々人が精神的な監獄(刑務所)に送られているのだ。そして、鎖でつながれてその中に置かれたときにはじめて、人はこの破滅に気づくのであろう!ほんのわずかな人しか、この差し迫った破滅を認識していない。そして、その彼らの英雄的な忠告の報いは死(Tod)であった。 この人間の運命については、もっと語られねばならないだろう。

もしすべての人が誰かが始めるのを待ち、復讐の女神ネメシスが近づいてくるのを阻止しないならば、最後の犠牲者もまた無慈悲にも貪欲なデーモンの復讐の下にさらされるだろう。ゆえに、おのおの全ての人は、人類の災い(鞭、天罰)に対して戦ったり、ファシズムやそれに似たあらゆる絶対国家のシステムに対して戦ったりすることができるなら、キリスト教文化、西洋文明のメンバーとしての己の責任のために、意識的に、この最後の時間のなかで抵抗しなければならない。もし君たちがどこにいようと、消極的な(受動的な)抵抗をせよ、-抵抗-を! 無神論の戦争兵器の更なる稼働を阻止せよ! 事態が手遅れになる前に、最後の都市がケルンのように瓦礫の廃墟になる前に、そして、最後の国の若者がどこかで下等人種たち(Untermenschen:ナチ時代の蔑称)の高慢ゆえに血まみれになる前に。一人ひとりすべての国民が、耐えているその政府に迎合(適合)しているということを忘れるな!

フリードリッヒ・シラーの「リュクルゴスとソロンの立法」(大学講義録)より。

「…彼自身の目的に反して、リュクルゴスの立法は、国家論と人間論のマスターピース(傑作)である。リュクルゴス[スパルタの立法者]は、強大で、自らのうちで設立される、強固な国家を欲していた。つまり、政治的な強固さと持続性がその目的であり、その目的のために彼は尽力した。そして、彼は、彼の状況下でなし得るよりもはるかに広く、この目的を達成したのである。しかし、もしリュクルゴスが提案したこの目的を人類の目的に反して保持するならば、根深い不同意(拒否)は、最初の早急の眼差しがわれわれから剥奪した賛美の地位へと取って代わるだろう。すべてのもの(人)が国家の最良のものとしてその犠牲として捧げられることが認められるが、国家それ自体がただ手段として役立ちそうな人だけは認められない。国家それ自体は、決して目的ではない。国家は、人類の目的を満たす条件としてのみ重要なのである。そして、その人類の目的とは、人間のあらゆる力の教育であり、進歩(Frotschreitung)に他ならない。もし国家憲法が人類のうちにあるあらゆる力の発展を妨げるならば、もしその憲法が精神の進歩を妨げるならば、その憲法は非難されるべきであり、有害である。また、憲法はそのように考え抜かれねばならないし、またそうした仕方で完璧であらねばならないのである。

Ihre Dauerhaftigkeit selbst gereicht ihr alsdann viel mehr zum Vorwurf als zum Ruhme - sie ist dann nur ein verlängertes Übel; je länger sie Bestand hat, um so schädlicher ist sie.
憲法の持続性(継続性)それ自体は、憲法にとっては、名誉となるよりもはるかに非難となる。それから、憲法というのは単にひとつの拡張された悪なのである。憲法が長く存続すればするほど、それはますます有害なものとなる。

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