Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

2016年夏(5)◆ ポーランド・ユダヤ人歴史博物館へ!

金曜日。

こんなホテルに泊まっています。

今は、ホテルに、「ビジネスルーム」というのがあるんですね。

とても快適です。

この日は、半日、「観光」、というか、、、

どうしても行きたい博物館があったので、そこに向かいました。

のらりくらりと、、、

まずは、「クラシンスキ宮殿」。

なんとも、ショパンが一時期住んでいた宮殿なんだとか。

今は、「美術大学」になっているみたいです。

詳しくはこちら

で、そのクラシンスキ宮殿の正面にあるのが、

「ワルシャワ蜂起記念碑」です。

これには、圧倒されました。

詳しくはこちらの映像を

東には、強国ロシアが、

そして、西には、巨大化していたかつてのドイツが、、、

ポーランドは、二つの強国に挟まれた「平地」なんですよね。

攻め込まれやすい土地なんです。ポーランドって。

で、第二次世界大戦中、ドイツに侵略されていたワルシャワ市民が、

ロシアのポーランド進入の話を聴き、蜂起する。

けれど、ロシア兵は来ず、多くのワルシャワ市民が殺害される、という歴史的事実。

日本でも昔は、「一揆」というのがあったけど、それに通じるものなのかな?

でも、一揆にせよ、蜂起にせよ、今の日本人にはなかなかイメージできない話なのでは、と。

この「記念碑」の隣りにあったのが、こんな建物。

てっきり、これが、目的の「博物館」、かと思いました。

が、…

ここが入口かな、と思い、ワクワクする僕。

でも、「entrance」の表示は一切ない。

この重たい扉を開けて(自動だったけど…汗)、中に入ると、

「ここには入れない」、と多分ポーランド語で言っていたと思います。

中は、なんかの「研究所」みたいな感じでした。

この記念碑の目の前にあるバス停の待合所に、

こんな素敵なベンチが置いてありました。

なんと、「ショパンの椅子」(!?)。

ボタンを押すと、椅子からショパンのメロディーが流れてくるんです。

これは、素晴らしい!!

音楽ゆえに、きっとワルシャワは幸福と平安に包まれているんでしょう。

目的の「博物館」は、別のところにありました。

そこに向かう途中、、、

ワルシャワの住宅街に入り込みました。

ワルシャワには、こういう「団地」がいっぱいあります。

考えれば、25年ほど前までは、「ポーランド人民共和国」でした。

つまりは、共産主義国家でした。

その名残は、もうほとんどないですが、「建物」はウソをつかないかな、と。

「西ドイツ」の風景と、「東ドイツ」の風景も、建物から感じることができます。

ポーランドの普通の一般の人が使っているスーパーに行くのも、僕の「旅」。

「日常用品」の中で、今のポーランド人を感じることができます。

もちろん、日本へのお土産もこういうスーパーで探します(苦笑)。

ドイツやオーストリアよりも、明らかに物価が安いんです。

だいたい1€=4PLN。

4PLNで、結構いろいろ買えますからね。

ビールとお菓子を幾つか買えます。120円くらいで。。。。

ワルシャワの「生活世界」。

観光客の姿は一切見えません。

こういう普通の日常のワルシャワを感じたくて、、、

でも、ここがどこなのか、もう分かりません、、、(・_・;)

いよいよ、目的地に近づいてきました。

その近くにあった公園の風景。

公園内に、トレーニングジムにおいてあるようなものが置いてありました。

結構、疲れますね。

ワルシャワは、ポーランドの首都ですが、とっても自然豊かなんです。

緑に包まれた大都会、というか。

緑がいっぱいある大都会って、本当にいいなぁ、って思いました。

木洩れ日に癒されます。

疲れ切った心と体が癒されました。

で、遂にやってきました!

ポーランド・ユダヤ人歴史博物館

ここには、どうしても来たかった。

昨年、アウシュヴィッツに行ったけど、今回はポーランドのユダヤ人について学びたかった。

どうして、ポーランドのアウシュヴィッツで、あんな悲劇が起こったのか。

その背景に、ポーランドで何があったのか。

なぜ、ポーランドだったのか?

最新のテクノロジーを駆使した新しい博物館でもあります。

ちょっと日本では考えられないような(?)、仕掛けがいっぱい隠されていました。

エンターテイメント的な要素もいっぱい取り入れられていて、、、

めちゃめちゃ広大な博物館なんですが、全然飽きません。

飽きさせません。

このように、かつてのユダヤ人の暮らしがヴィジュアル的に示されています。

いかにユダヤ人が、ポーランドで「共存」していたかが分かりました。

と、同時に、ポーランド全土にユダヤ人コミュニティーがあり、

常に、ポーランド人との間に、「何か」が起こっていたんだなぁ、と。

かつてのポーランドの「風景」がいっぱい展示されています。

古代~中世のポーランドの歴史を知ることができます。

ユダヤ人はドイツ方面からいっぱい流れてきたみたいです。

この絵も印象的でした。

多く人が集まっていますが、みんなユダヤ人らしいです。

けど、その前には、キリスト教?の人がいて、、、

「こんな時代もあったのか、、、」、と。

ユダヤ人のシナゴークの「再現」?も展示されていました。

キリスト教の教会とは異なる「荘厳さ」が感じられました。

ヘブライ語で色々文字も書いてあります。

ちなみに、今でもイスラエルではヘブライ語が使われているんですよね。

ヘブライ語を勉強したくなってきた…(・_・;)

詳しくはこちら

ユダヤ人の「書斎」ですね。

こういう書斎、うちにも欲しいなぁ、、、

ユダヤ人は、金儲けに長けていたけど、とにかく勤勉だった。

ゆえに、嫌われてきたんだろうけど、、、

いつの時代も、どこであっても、頭のいい人は、讃えられもすれば、排除されもします。

賢い人が、いつでも大事にされる社会であってほしい。

(エリート云々ではなく、、、)

ポーランドの鉄道の歴史も展示されていました。

ここにも、ユダヤ人が深く関わっているようでした。

ポーランドの歴史に、ユダヤ人は深く関わっている、ということですね。

ヒトラーの言葉も展示されていました。

The Polish intelligentsia must not play the leader's role...

we want only their labour force

胸に響く言葉でした。

ユダヤ人の通行禁止。

ユダヤ人の排斥は、強烈なものでした。

ただ、ポーランドではもともと、ユダヤ嫌悪があったはずです。

が、その部分は、あまり「強調」されているようには見えませんでした。。。。

近現代のポーランドの歴史も、写真や映像を交えて、たくさん展示されていました。

今回は時間がなくて、「共産主義時代」の展示はゆっくり見られませんでした(;;)

また、いつか、この博物館に来たいなぁ、って思いました。

っていうか、また来ます。

夕暮れ時のワルシャワの旧市街。

とても美しいです。

世界中から、ツアリストが集まっています。

ワルシャワの中心は、毎日がお祭りのような感じですね。

観光客が多いので、どこか「安心感」もあります。

日本では、欧州の「テロ」が日々話題となっていますが、

こっちでは、日々、たくさんの旅行客が世界中から集まって、普通の日常が動いていました。

不謹慎かもしれないけど、日本以上に安全な感じがしました。

プラハでも同じような安心感を覚えたなぁ、、、と。

(ただ、多く人が集まるところには、必ず警官がいました)

旧市街の城壁に、子どものモニュメントがありました。

これは、「子どもの戦士」みたいです。

戦争で亡くなった子どもを追悼するモニュメント?かな。

夜のワルシャワもとてもきれいで、美しかったです。

夜の11時過ぎでも、たくさんの人がのんびりと散歩していました。

怖くはないですね。

酔っ払いからは、「タバコをくれ」と何度も言い寄られましたけど、、、(・_・;)

最後に、もう一度、夜に「ワルシャワ蜂起記念碑」に行きました。

二度と戦争を起こさせない、という気持ちにさせられました。

***

この夜、僕の人生史上、最悪のラーメンを食べることになりました。

その話はまた別レポで!!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ドイツ・ヨーロッパへの誘い」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事