金曜日。
こんなホテルに泊まっています。
今は、ホテルに、「ビジネスルーム」というのがあるんですね。
とても快適です。
この日は、半日、「観光」、というか、、、
どうしても行きたい博物館があったので、そこに向かいました。
のらりくらりと、、、
まずは、「クラシンスキ宮殿」。
なんとも、ショパンが一時期住んでいた宮殿なんだとか。
今は、「美術大学」になっているみたいです。
で、そのクラシンスキ宮殿の正面にあるのが、
「ワルシャワ蜂起記念碑」です。
これには、圧倒されました。
東には、強国ロシアが、
そして、西には、巨大化していたかつてのドイツが、、、
ポーランドは、二つの強国に挟まれた「平地」なんですよね。
攻め込まれやすい土地なんです。ポーランドって。
で、第二次世界大戦中、ドイツに侵略されていたワルシャワ市民が、
ロシアのポーランド進入の話を聴き、蜂起する。
けれど、ロシア兵は来ず、多くのワルシャワ市民が殺害される、という歴史的事実。
日本でも昔は、「一揆」というのがあったけど、それに通じるものなのかな?
でも、一揆にせよ、蜂起にせよ、今の日本人にはなかなかイメージできない話なのでは、と。
この「記念碑」の隣りにあったのが、こんな建物。
てっきり、これが、目的の「博物館」、かと思いました。
が、…
ここが入口かな、と思い、ワクワクする僕。
でも、「entrance」の表示は一切ない。
この重たい扉を開けて(自動だったけど…汗)、中に入ると、
「ここには入れない」、と多分ポーランド語で言っていたと思います。
中は、なんかの「研究所」みたいな感じでした。
この記念碑の目の前にあるバス停の待合所に、
こんな素敵なベンチが置いてありました。
なんと、「ショパンの椅子」(!?)。
ボタンを押すと、椅子からショパンのメロディーが流れてくるんです。
これは、素晴らしい!!
音楽ゆえに、きっとワルシャワは幸福と平安に包まれているんでしょう。
目的の「博物館」は、別のところにありました。
そこに向かう途中、、、
ワルシャワの住宅街に入り込みました。
ワルシャワには、こういう「団地」がいっぱいあります。
考えれば、25年ほど前までは、「ポーランド人民共和国」でした。
つまりは、共産主義国家でした。
その名残は、もうほとんどないですが、「建物」はウソをつかないかな、と。
「西ドイツ」の風景と、「東ドイツ」の風景も、建物から感じることができます。
ポーランドの普通の一般の人が使っているスーパーに行くのも、僕の「旅」。
「日常用品」の中で、今のポーランド人を感じることができます。
もちろん、日本へのお土産もこういうスーパーで探します(苦笑)。
ドイツやオーストリアよりも、明らかに物価が安いんです。
だいたい1€=4PLN。
4PLNで、結構いろいろ買えますからね。
ビールとお菓子を幾つか買えます。120円くらいで。。。。
ワルシャワの「生活世界」。
観光客の姿は一切見えません。
こういう普通の日常のワルシャワを感じたくて、、、
でも、ここがどこなのか、もう分かりません、、、(・_・;)
いよいよ、目的地に近づいてきました。
その近くにあった公園の風景。
公園内に、トレーニングジムにおいてあるようなものが置いてありました。
結構、疲れますね。
ワルシャワは、ポーランドの首都ですが、とっても自然豊かなんです。
緑に包まれた大都会、というか。
緑がいっぱいある大都会って、本当にいいなぁ、って思いました。
木洩れ日に癒されます。
疲れ切った心と体が癒されました。
で、遂にやってきました!
ポーランド・ユダヤ人歴史博物館!
ここには、どうしても来たかった。
昨年、アウシュヴィッツに行ったけど、今回はポーランドのユダヤ人について学びたかった。
どうして、ポーランドのアウシュヴィッツで、あんな悲劇が起こったのか。
その背景に、ポーランドで何があったのか。
なぜ、ポーランドだったのか?
最新のテクノロジーを駆使した新しい博物館でもあります。
ちょっと日本では考えられないような(?)、仕掛けがいっぱい隠されていました。
エンターテイメント的な要素もいっぱい取り入れられていて、、、
めちゃめちゃ広大な博物館なんですが、全然飽きません。
飽きさせません。
このように、かつてのユダヤ人の暮らしがヴィジュアル的に示されています。
いかにユダヤ人が、ポーランドで「共存」していたかが分かりました。
と、同時に、ポーランド全土にユダヤ人コミュニティーがあり、
常に、ポーランド人との間に、「何か」が起こっていたんだなぁ、と。
かつてのポーランドの「風景」がいっぱい展示されています。
古代~中世のポーランドの歴史を知ることができます。
ユダヤ人はドイツ方面からいっぱい流れてきたみたいです。
この絵も印象的でした。
多く人が集まっていますが、みんなユダヤ人らしいです。
けど、その前には、キリスト教?の人がいて、、、
「こんな時代もあったのか、、、」、と。
ユダヤ人のシナゴークの「再現」?も展示されていました。
キリスト教の教会とは異なる「荘厳さ」が感じられました。
ヘブライ語で色々文字も書いてあります。
ちなみに、今でもイスラエルではヘブライ語が使われているんですよね。
ヘブライ語を勉強したくなってきた…(・_・;)
ユダヤ人の「書斎」ですね。
こういう書斎、うちにも欲しいなぁ、、、
ユダヤ人は、金儲けに長けていたけど、とにかく勤勉だった。
ゆえに、嫌われてきたんだろうけど、、、
いつの時代も、どこであっても、頭のいい人は、讃えられもすれば、排除されもします。
賢い人が、いつでも大事にされる社会であってほしい。
(エリート云々ではなく、、、)
ポーランドの鉄道の歴史も展示されていました。
ここにも、ユダヤ人が深く関わっているようでした。
ポーランドの歴史に、ユダヤ人は深く関わっている、ということですね。
ヒトラーの言葉も展示されていました。
The Polish intelligentsia must not play the leader's role...
we want only their labour force
胸に響く言葉でした。
ユダヤ人の通行禁止。
ユダヤ人の排斥は、強烈なものでした。
ただ、ポーランドではもともと、ユダヤ嫌悪があったはずです。
が、その部分は、あまり「強調」されているようには見えませんでした。。。。
近現代のポーランドの歴史も、写真や映像を交えて、たくさん展示されていました。
今回は時間がなくて、「共産主義時代」の展示はゆっくり見られませんでした(;;)
また、いつか、この博物館に来たいなぁ、って思いました。
っていうか、また来ます。
夕暮れ時のワルシャワの旧市街。
とても美しいです。
世界中から、ツアリストが集まっています。
ワルシャワの中心は、毎日がお祭りのような感じですね。
観光客が多いので、どこか「安心感」もあります。
日本では、欧州の「テロ」が日々話題となっていますが、
こっちでは、日々、たくさんの旅行客が世界中から集まって、普通の日常が動いていました。
不謹慎かもしれないけど、日本以上に安全な感じがしました。
プラハでも同じような安心感を覚えたなぁ、、、と。
(ただ、多く人が集まるところには、必ず警官がいました)
旧市街の城壁に、子どものモニュメントがありました。
これは、「子どもの戦士」みたいです。
戦争で亡くなった子どもを追悼するモニュメント?かな。
夜のワルシャワもとてもきれいで、美しかったです。
夜の11時過ぎでも、たくさんの人がのんびりと散歩していました。
怖くはないですね。
酔っ払いからは、「タバコをくれ」と何度も言い寄られましたけど、、、(・_・;)
最後に、もう一度、夜に「ワルシャワ蜂起記念碑」に行きました。
二度と戦争を起こさせない、という気持ちにさせられました。
***
この夜、僕の人生史上、最悪のラーメンを食べることになりました。
その話はまた別レポで!!