Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

LUNA SEA◆LUV 「RYUICHI=河村隆一とは誰なんだろう!?」

かなり「いまさら」な感じなのですが、、、

逆に、「いまだから」書きたいと思うに至りました。

***

2年ほど前、2017年12月20日に

LUNA SEAのニューアルバム

LUV

がリリースされました。

本当は、リリースした直後に、全曲解説しようと思ったのですが、何度か聴いた後に、「これを評価するのは難しい…」と感じました。これまでの(僕らの知っている)LUNA SEAとは明らかに違う。曲の世界が信じられないくらいに深くなっている。従来のロックの枠にとらわれない豊かさがある。でも、それを単純に喜べない。「あれ!?」と思うところも多々…、みたいな。

二年前、このアルバムがリリースされた頃、僕は次のように書きました。


インディーズ初期(LUNACY)から応援している僕としては、もう嬉しい限りです(;;) あと、どうでもよいのですが、昨年僕が作った曲『Empti Luv』と同じ綴りのアルバム名になっていて、そこも嬉しかったです。ただLUNA SEAが好きなだけじゃなくて、彼らのセンスに自分が重なるくらいに、影響を受けている、というところがとても嬉しかったです。

それと、LUV=LOVEなんですが、LOVEって、ソロ「河村隆一」のファーストアルバムのタイトルなんですよね。なので、「ラブ」というタイトルのアルバムは、RYUICHIにとっては二枚目ってことになるんです。それくらい、RYUICHIにとっては、「LOVE=LUV」は大事な言葉なんだろうな、と思います。

4年前の2013年12月に出したアルバム『A WILL』は、僕のイメージ(!)的には、彼らのデビューアルバム『IMAGE』に近い感じがしました。で、今回の『LUV』は、僕的には、彼らのメジャー二枚目のアルバム『EDEN』に通じるアルバムだなぁ、ということでした。

『IMAGE』(1992)は、当時のLUNA SEAが最大限に自分たちの全てを詰め込んだ力作でした。また、「メジャーデビュー」ということで、自然体というよりはむしろ、色々と周りのことを考えて作ったアルバム、という印象を受けました。言ってみれば、「かっこつけたアルバム」。最後に「WISH」をもってくるあたりも、最大限にカッコよく仕上げた感じがします(当時はそれが定番でしたが…)。全体的には、ダークで内向きで攻撃的でポジパン的でした。

『EDEN』(1993)は、逆に、どこまでもクリアで透明ですっきりしていて甘くてロマンティックなアルバムになっていました。ファンの間では当時、「賛否両論」だったと思いますが、僕は死ぬほど好きで死ぬほど聴いたアルバムでした。「Rejuvenescence」に示されるように、キラキラしていて切なくてメランコリックで、どこまでもロマンティックな曲が散りばめられていました。「BELIEVE」は、当時のシングルとしてはややマニアックな感があり、あまり売れなかったように記憶していますが、最高にクールで甘くてロマンティックで透き通るクリーンさのある名曲でした(;;)。

『A WILL』は、そういう意味で、『IMAGE』に似ていて、今回の『LUV』は、『EDEN』に重なるなぁ、と思ったんです。A WILLはカッコよくて、クールで、ダークで、「みんなが思うLUNA SEAってこうだよね」っていう感じでした。それに対して、LUVは、復活後二枚目となり、肩の力も抜けて、自由に、気ままに、自然体で臨んだ作品になったように思います。もちろん、音楽的な進化(成長)はとんでもないので、かつての二枚と同じだとは言いません。が、その「世界観」は、セカンドアルバム『EDEN』を踏襲しているように思いました。


今、読むと、とんちんかんなことを書いているなぁ、と思わざるを得ません(苦笑)。

二年前の僕は、「それに対して、LUVは、復活後二枚目となり、肩の力も抜けて、自由に、気ままに、自然体で臨んだ作品になったように思います」と書いています。この作品を聴き込むと、気ままでも自然体でもなく、どちらかというと「構築美」を感じるというか、熟練したアートというか、そういう世界を奏でていることが分かってきます。EDEN(過去の作品)に近いんじゃなくて、次のステージに向かったんだ、ということが分かります。

だからこそ、このアルバムは賛否両論を呼び起こしました。Amazonのレビュー欄を見ると、このアルバムを厳しく批判する声がいくつもありました。

いくつか紹介しましょう。


・この作品は明るすぎて受け入れる事が出来ませんでした。これだ!と印象に残るナンバーも無く、LIVEのチケットを取っておかなくてよかったと思ってしまう程です。牙が抜けてしまうとはこの事を言うんだなととても寂しくなりました。

・普通にいい曲たち。でもLUNA SEAに対するハードルが高すぎていいと言えない。明るくても暗くてもいいけど、耳に残らないのがなあ…

・これはこれでアリかもしれませんが、賛否両論だと思います。前作を聴いたときの感動はなかったです。やはりバンドの中心核であるスギゾー氏がX JAPANに加入してからルナシーにかかわる時間が減ったのか、昔のように魂を込めて作られていない印象を受けました。曲は悪くはないのですが、印象に残るメロディーはなかったです。

・なんというかロック色が薄く、ポップ寄り。なんだか歳を重ねて丸くなったってしまった様な印象です、個人的に。けして悪くはないんですが、らしくない、自分が聞きたかったカッコイイLUNA SEAではなかった。どう感じるかは人それぞれですが、個人的にはいつまでも尖った大人でいて欲しかったと思う。

・終幕直前を思わせるラフなアー写、アルバムタイトルのフォントが「LUNACY」と同じであること、リードトラックのEDM的アレンジ、LIMITで感じた音質の低下。ここ最近のアクションにずっと嫌な予感を感じていたなかでの、この4年ぶりのアルバム。その嫌な予感は見事に的中。各メンバーのソロでのボツ曲を河村隆一が歌うという、LUNA SEAの看板を掲げる必然性ゼロの作品になった。賛否両論なのはこの方向性に対してではなく、単純に楽曲の質が低下していることに対してであることにメンバーは気付かないのか?メンバーのパートナーシップがうまく機能した結果、こんな凡庸な作品を作るならこんな皮肉な事は無い。「SHINE」が賛否両論なのは、サウンドと甘ったるいボーカルの食い合わせがあまりにも悪かったからな訳で、サウンド自体は非常に刺激的だった。このアルバムに驚きや発見は皆無。これがLUNA SEAのか新しいかたちならもうついていけませんわ。この変化に諸手を挙げて喜んでいるのは、盲目的なSLAVEか新規ファンぐらいでしょう。

引用元はこちら


と、こんな具合です。

LUNA SEAは好きだけど、LUVはダメ、という人はかなり多そうです。

この賛否両論の原因?はまたいつか考えることとして、、、

2年前に出たこのLUVは、「RYUICHI=河村隆一」の歌世界と、もはやアート集団となるLUNA SEAの楽器隊が見事に融合した一枚だったのでは?、と今の僕は思います。

ふと思ったんです。

「河村隆一って誰なんだろう?」って…

同時代を生きたデランジェのKyo、黒夢の清春、ラルクのhyde、グレイのTERU、ディルの京…。こういう圧倒的な個性をもつボーカリストとは、明らかに違うRYUICHI。他のボーカルは、「キャラ」が確立されているというか、「歌」が確立されているというか、わりと「こういうボーカルだよね」って言いやすいんです。が、RYUちゃんって、そういう風にカテゴライズできないというか、その都度、歌や歌い方が変わるというか。変わるだけじゃなくて、20年前~30年前に戻れるんですよね(90年頃のRYUICHIにあっさり戻れる)。

RYUちゃんは、「俳優」に近いボーカリストなのかな?、と。どんな役にもなれる「誠の花」のような熟練俳優のような…。曲の世界に合わせて、その世界を創ることができるボーカリストというか…。

本作で言うと、「誓い文」や「Miss Moonlight」のような優しいふわっとした曲でキャッチーに歌うこともできれば、「The LUV」や「Limit」のような(V系究極系の)ロックの歌を歌うこともできる。また、この作品で最も深淵な「闇火」のように、どこまでも聴き手を惹き込んでしまうような美しい旋律も奏でることができるんです。(この曲はもはや、さだまさしの「防人の歌」のレベルに達しているような…)

僕はそれこそLUNACY時代からRYUちゃんの存在を知っていて、最初の音源の頃からずっとRYUちゃんの歌を聴いてきました(長さだけは自負できる♪)。でも、彼の歌を「対象化」したことってないよなぁって。いつも、いつでも、LUNA SEAは…って考えてて、RYUちゃんそのものを考えたことがないというか…。

それは、河村隆一ソロになっても同じでした。歌が好きで、河村さんのアルバムもほぼ全部聴いてきました(ソロ初のミニアルバム『Cranberry Soda』は大好き過ぎた♪ ソフバの藤井さんも参加作)。その後のソロになると、もう幅が広すぎて広すぎて、、、。カバーアルバムの選曲も幅広くて…。

つまり、いったいどのRYUICHIが「本当のRYUICHI」なのかが分からないんです。RYUICHIと河村隆一の間の亀裂も半端ない。90年代後半にLUNA SEA以上に河村さんが売れてしまったのも、話を難しくさせます。孤高のロックボーカリストのカリスマボーカルでありながら、誰からも愛されるお茶の間のポップシンガーをどちらも成功させるなんて、普通の人じゃできません。かつてデランジェのKyoも、お茶の間を目指してソロを頑張っていた時期もありましたが、Kyoちゃん自身「河村隆一を聴いて、お茶の間は諦めた」って言ってました。

でも、じゃ、いったいRYUICHIって誰なんだ?、と。。。

これに答えることが容易でないこと、分かりますか?

あまりにも何面もの顔を持っているRYUICHIさん、河村さん。

でも、RYUちゃんの歌は、いつでもRYUちゃんの歌でもあるんです。

ただ、どうしても府に落ちないのは、RYUICHI=河村さんが正当に評価されていないところです

どの時代のRYUちゃんを切り取って、やっぱり凄いボーカリストだなぁって改めて思うのです。

さだまさし、井上陽水、玉置浩二…

そういう国民的ボーカリストの一人になっていると思うんです。

でも、そういう評価にはなっていない(# ゚Д゚)

僕たちは皆、RYUちゃんの凄さにまだ気づけていないんじゃないか!?、と。

ソロでもバンドでもその能力をフルに発揮し、今なお現役で歌い続けるなんて、前例がない!!

バンドからソロに転向して地位を確立、というパターンはあります。

でも、RYUちゃんはどちらも大成功し、かつ、今なおどちらにおいても進化している、と。

では、RYUICHI=河村さんの本質とは何か。

RYUちゃんの本質は、もしかしたら「存在を消すことができる」ということかもしれない。

RYUちゃんは、他のボーカリストと違って「無」に近い存在なのかもしれない。普通のボーカリストは、「俺が」「俺が」ってなりますけど、RYUちゃんはそういうタイプではなくて、聞き手を作品そのものに向かわせることができるというか。作品の中の「歌」そのものに、人を向けさせるというか。そういう意味では、我が永遠のHEROの板谷祐師匠に近いかもしれない。板谷さんもまた、無我のボーカリストで、歌によって表現の仕方をがらりと変えてくるし、ソロもバンドも続けつつ、何でも歌えるボーカリストになっていってる(ただ、板谷師匠は河村さんみたいに売れないんだ…(;;))。

でも、ここに、河村さんと板谷さんの「つながり」が見えた気がします。どちらも「無心の歌心」をもっているボーカリストといいますか、あるいは、「無を生きる究極の孤高のボーカリスト」といいますか、あるいは、哲学者のようなボーカリストと言いますか。

言いたいのは唯一つ。

僕らはもっともっと「RYUICHI」=「河村隆一」を大事にしなければいけない!

ということです💛

DISC 1 | CD

01.Hold You Down
02.Brand New Days
03.誓い文
04.piece of a broken heart
05.The LUV
06.Miss Moonlight
07.闇火
08.Ride the Beat, Ride the Dream
09.Thousand Years
10.Limit
11.So Sad
12.BLACK AND BLUE

DISC2 | DVD

01.「Limit」 Music Video
02.「Hold You Down」 Music Video
03.「Hold You Down」Music Video -Making-

コメント一覧

F#24
やっぱり変幻自在って点ではMORRIEのそれに近いですかね?
ステージで出るRYU語が大好きです♪
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