親子修錬、続いています^_^
4月末から色々忙しく出来ませんでしたが、今月から何とか再開です。
何事も継続が重要です。
細く長くでも続けてさえいれば個人の歴史としては取り組んで来たと言える材料になります。
そこから広がる何かがあるかも知れません。
現代においては武術は戦う事よりも技を如何に修めるかが重要だと考えます。
戦いのロマンに浸る事も否定するつもりは毛頭ありません。
自分自身もそういう時代があったので武道を志す者、そうでなくてはならない面も確かにあります。
しかし、居合の技はどんなに上手かろうが発揮させる実戦の場は有りえません。
日本は法治国家、法の秩序の下皆がルールを守って日本の平和は成り立っています。
居合を学ぶ意義はやはり抜く事よりも刀を如何に腰に納めておくかという事に尽きると思っています。
居合の師匠の受け売りですが、
「抜く事は誰でも出来る。腰に納めておく事こそ難しい。」
簡単な言葉ですがとても深いです・・・
そして難しいです。
抜刀よりも納刀にこそ、その真髄があるという教えです。
この考え方はより高度な戦いであると感じています。
ちなみに師匠は観念論の人ではありません。
師匠の卓越した技倆の上に立っての精神論なのです。
腹に治める胆力。
殴り合う胆力も凄いですが、腹に治める胆力はそれ以上の凄みがある事を師匠はその背中で教えてくれます。