日々徒然 正和流

岡山で体術、居合術、気功術を修練しています。
http://seiwaryu.wixsite.com/seiwaryu

稽古も色々

2016-04-29 23:15:39 | 日記


画像は投げの稽古。
注目すべきは見事な投げられっぷりの方です!!

小学生の頃は投げられてビックリして泣いていた子も、高校生になるまで続けるとたくましくなって来るものです。
今や私よりも背が高く力が強く動きも速い。
叩きつけても私よりも体が頑丈。

勿論、技術的には当分はまだまだじゃと余裕をかましていられるとは思いますが・・・

長く続けてもらうというのは本当にすごい事です。
本人の努力もさることながらサポートする父兄の尽力たるや頭が下がるばかりです。
指導者においても様々な努力が必要です。

例えば半年ごとに稽古内容を見なおして絶えず新しい要素を工夫して常に稽古内容の進化を図る事は必要です。

一方で変わらないものを粘り強く教え続ける事。
これもまた伝統を守る上で重要です。
変えてはならないものってありますから。

子供達の指導において楽しさを伝える事は最重要と言って良いかも知れません。
広い心で問題を受け止めてやりがいを共有する。

技術的には簡単な入り口から深いところへ。
充分に道理を納得してもらいつつ上達の実感を如何に感じてもらえるか・・・

色々とやり方がありそうです。
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ゆっくりと・・・

2016-04-23 22:41:11 | 日記


津山道場。
月に1回か2回のペースで緩やかに修練しています。

少し稽古の間が空いたので型を入念にチェック。
そして基本を刷り込んでいく打ち込み稽古。
何度も同じ動作をゆっくりと行い、そして早く行う。
そんな繰り返しの地道な稽古を行いました。

普段は車で移動するため家の近所を歩く事があまりありませんが、たまに歩いて見るとこんなところにこんなモノがあったのかと気付かされる事があります。

技の稽古も同様です。
ゆっくりと行う事で正確な軌道を確認することは勿論の事、タメを作るタイミングなどにあらためて気づく事があります。

コンマ何秒かの間で行われる体の連鎖の正確さを欠いたまま反復練習で雑に処理していてはもったいないですね。

ゆっくりと自分を見つめる事で得る気づき。
早く動くだけが能ではありません。
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徒然と・・・

2016-04-21 23:22:39 | 日記
熊本の地震は長引いています。
被災者の皆さんも悲しみと生活の不便さから心身共に疲労されている事でしょう。
一刻もはやく事態が収欲されて平穏な生活を取り戻して欲しいと祈るばかりです。

日本は地震国。
岡山も南海トラフが震源となれば同様の惨状を迎えるかも知れません。

東北の地震と今回の熊本の地震で感じるのは災害には予想外が起こりうるという事。

東北では予想を超えた高さの津波に町は飲み込まれ壊滅し、耐震基準を満たしていたはずの原発も津波の威力の前に耐え切れず破損事故を起こし、我々は自然の持つ力の前では無力であると痛切に感じさせられました。

今回の熊本の地震でも震度5,6といった大きな揺れを何度と無くみまわれ、阪神淡路の震災を教訓として高められたはずの耐震強度も虚しく倒壊の憂き目を見た民家や建築物の映像を生々しく見せられ自然の脅威を強く感じました。
耐震基準も震度6が何度も来る事は想定していなかった訳です。

この事を教訓として今後、耐震基準は見直されるのでしょうが、自然の猛威の前にはその時点で人が考えうる限りの対策は不可抗力になるかも知れないという現実をこれから先も突きつけられていくのでしょうか・・・

犠牲となった方々の御霊に報いるためにも悲しみを越えて今回の被害から教訓を得て未来へと進まねばなりません。

これから先に起こり得る想定外という難敵が我々の前に立ちふさがっったとしても、たとえ壊滅的なダメージを負ったとしても、それでもそこから這い上がる。

そのように歩んできたのが人類の道。

何度でも起き上がり、しかしその度に人類は進歩していくものなのだと思います。


・・・無力さ故、色々な考えが頭をぐるぐると回ってしまうため、独り言で吐き出して見ました。
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二刀の舞

2016-04-20 15:51:42 | 日記


二刀の研究。
以前より正和流の技術は一刀よりも二刀への応用が向いていると師匠のアドバイスがあり研究しております。

剣としては無双直伝英信流居合術と福光派古術を学んでいるので不足はありませんが、二刀と言われるとまた違う興味が湧いてきます。

とりあえず二刀流などと肩肘はらず、二刀の舞のような形で剣舞として体裁を整えられれば良いなあと思っています。
舞踊をやっているメンバーから舞踊表現について請われてもいますので良い機会かと言う気もします。

果たしてどうだろう?
ま、気長にやってみます。
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自身の軸

2016-04-10 11:22:20 | 日記


正和流という流派を体現するための基本動作があります。
単純な動作だがこれが難しい。

正しい基本が一番重要でありテクニックはどうにでもなる、問題では無い・・・
という師匠の教えもありますし基本は奥義に通じている訳で、私なんぞもまだまだ年だけ食ってしまい今だに入り口を少し通過した程度だと思っています。

師匠によると・・・
基本動作を通じて天門、地門、人門が開く。
天門が開く事で真の智恵を授かり、地門で武術的かつ人が生きるのに必要な力を吸い上げ、人門で相手の心に感応して我知らず技が繰り出される・・・

かいつまんで簡単に書きましたが師匠の語る境地はひたすら高いのです。
分かるような分からんような、荒唐無稽、眉唾な話、
人によって色々と捉え方はあると思いますが・・・^^;

さて、基本動作は流派としての土台です。
正和流の正和流たらしめている部分です。
基本に則って技は磨かれ、技に導かれて戦い方が決まります。

技には外側から生まれる技と内側から生まれる技があります。
外からの刺激に対する反応として使いやすい動きとして工夫された技と、
自分の中に手本となる軸があり、その軸に沿って生み出される技。
格闘技は基本的に前者でしょう。

勿論、武術と一絡げに言っても流派によって考え方は様々ですが、
基本的に流儀を重んじる武術は後者の比重が高いと思います。

正和流も後者の技が圧倒的に多いと言えます。
他の何者から影響を受けて自己の軸を変えるような事はしたく無いのですね。
前者のやり方だと他のものと同じになってしまうので流派を名乗る意味も無いと考える訳です。
基本を軸として術を練るのです。
(他者を批判するつもりはありませんよ、一応)

軸から外れるものはやりたく無い。
言い方を変えれば融通が効かない(*´ω`*)

カッコ良く言えば他人の影響を受けずに我道を行く(^^)

まあ、色んな見方が出来ますが、
自己の軸を変えない武術という観点が私は気に入っています。
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稽古

2016-04-10 11:11:29 | 日記


稽古をするには良い季節となりました。

昨日はNさんに古術の剣術を体験してもらいました。
普段は正和流の体術を中心に指導していますが新たな刺激を投入!

初めての事なので何をやっても難しさを感じると思いますが果たしてどう感じたでしょうか?
画像では初めてにしては様になっているようです。

その後、突きと蹴りのミット蹴り。
体術を中心に剣も少しずつ稽古出来ればと思います。

武術の世界では70代、80代の大先輩達が活躍しています。
それもカッコ良くです。

40代で始めても70代に手が届くには30年程ありますから学ぶには充分すぎるほど時間が残されています。

成長するのは子供だけでは無いなあと感じますね。
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工夫と反省

2016-04-05 21:49:18 | 日記


長年武術をやっていると自分にとっては普通になってしまっている動作が何で人に伝える時にはその習得が難しいのだろうと考えてしまう事があります。

当然といえば当然。
長年やっているのですからキャリアのない人と比べ熟れた動きである上、そこから派生する応用にも上手く対応出来る能力が養われている訳です。

とにかく初心者にはいきなり無理な事をやらせてはいかん訳で、あまりにも固執して凹まれると稽古へのモチベーションが損なわれてしまいます。

正和流の基本となる動作は簡単といえば簡単。
しかし普段やったことの無い動きなので人によっては右手と左手の連携が難しくしっくり来るのに時間がかかる事もしばしば。
時間はかかっても初心者は技の習得と平行して基本を練っていくぐらいで良いと考えています。

習得という観点で考えれば基本と応用は共に補い合っています。
あせらず自分のペースでやる事ですね。

話は変わるが先日、剣の稽古をしている時に居合刀での納刀で中指の腹を切っ先で薄く切ってしまいました。
大したことは無くうっすら血が滲む程度でしたが居合刀とは言え切っ先は鋭く殺傷能力は十分にあります。
ましてや真剣であれば指が飛ばないまでも病院に駆け込まなければならないところだったかも知れません。

常在戦場、気を抜かず剣を操る時には真剣のつもりで修練せねばいざと言う時、本当に自分で自分の指を飛ばしかねない。

ちなみにいざという時というのは試し斬りとかそういう事です。
斬り合いじゃ無いです(^_^;)

武術修練に取り組む姿勢には何段階もあって良いのですが私のキャリアと年齢ではそれ相応でなければ。
いつまでも甘っちょろい事をやってちゃいかんと反省です。
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継続は力なり

2016-04-04 17:48:41 | 日記


桜の季節となりました。
気功の観点で見ると桜は排泄の木と言えます。
桜を愛でるお花見は邪気を排泄する意味で理に適っています。
皆、桜の木の下で飲んで騒ぐ事で日々の喧騒による疲れが癒やされているのですね。

先日、桜の木の下で樹木気功を行ってみました。
その後公園にて気功歩きをしてみました。
どちらも師匠直伝です。

桜の気に邪気を排泄してもらったからでしょうか、足の裏の感覚がいつもより鋭敏です。

一歩一歩歩く度に涌泉から気が吸い上げられて来る〜

師匠から人は歩く事によって地の気を吸い上げているのだと教えられましたが「これだ」とナットク!

足の裏が暖かかく感じる事は気功歩きをしているとあるのですがこの時はダイレクトな感触。

馬歩を継続して行っている事も大きいのか・・・。
正和流の基本動作の鍛錬は馬歩にて行います。
馬歩によって涌泉から吸い上げられた気が、手の動きによって発生した気と合わさって丹田で統合される感覚。

継続によってその感覚は「そんな気がする」から「物理的に体の中を動いてる」へ変化。

やはり継続は力なり・・です!!!
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一人稽古

2016-04-03 00:36:59 | 日記


最近は道着では無く私服での一人稽古の画像や動画に密かにハマってます。

Youtubeで中国の片田舎で私服の若者やおじさん達が型をやっている映像を良く見るのですが、それがとても味があっていいのです。
それを真似してる訳では無いのですがふとあの感じだな〜と気づき一人悦に浸っとります^^;

勿論、道着は日本の文化として良いものですが野外では質素な私服姿の修練も自然に見え意外と画的にも独特の感じで映えるように思います。

非日常の道着姿も良いものですが、あえて自然の中で日常を感じさせる武術修練の良さもあるな・・・そんな新しい感触を楽しんでおります!!
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