山仲間7人で、出石町奥小野から法沢山(標高644m)に登ってきました。生憎雨のぱらつく天気。
こんなお地蔵さんに再会。
場所は豊岡市出石町奥小野と京丹後市久美浜町布袋野の境 駒返峠
右は元治2年(西暦1865年)、左は明治7年(西暦1874年)でいずれも奥小野村とされています。
およそ150年から140年前の制作ですが、どんな時代だったんでしょうね。
駒(馬)も越えられない急な峠からこんな名前が付けられた と聞いていますが・・・
今のような道のない時代ですから、ここも生活道の一つだったんでしょうね。道行く人の安全を願って見守るお地蔵さん。
今は見守る人も通らず、ごくたまに今日の我々のような変わり者がやってくる・・・私はこんなお地蔵さんとの遭遇は大好きです。
地形図上の破線の道ー古道ーはなくなりつつあります。 途中皆んなで倒木処理をしたりして歩きました。
標高はそんなに高くないのにこのあたりにはブナがあります。 緑いっぱいの山道です。ヤマボウシが咲き始める準備をしていました。
山頂手前にイワカガミが群生しています。
山頂はガスがかかり、あまり展望はよくありませんでした。 豊岡市街地と中央の姿のいい低山は 中世城跡のある三開山です。
今日の道を歩く人はほとんどなく、雪のシーズンをすぎて山道は荒れていました。このコースは安易に歩くと道迷いします。
こんなお地蔵さんに再会。
場所は豊岡市出石町奥小野と京丹後市久美浜町布袋野の境 駒返峠
右は元治2年(西暦1865年)、左は明治7年(西暦1874年)でいずれも奥小野村とされています。
およそ150年から140年前の制作ですが、どんな時代だったんでしょうね。
駒(馬)も越えられない急な峠からこんな名前が付けられた と聞いていますが・・・
今のような道のない時代ですから、ここも生活道の一つだったんでしょうね。道行く人の安全を願って見守るお地蔵さん。
今は見守る人も通らず、ごくたまに今日の我々のような変わり者がやってくる・・・私はこんなお地蔵さんとの遭遇は大好きです。
地形図上の破線の道ー古道ーはなくなりつつあります。 途中皆んなで倒木処理をしたりして歩きました。
標高はそんなに高くないのにこのあたりにはブナがあります。 緑いっぱいの山道です。ヤマボウシが咲き始める準備をしていました。
山頂手前にイワカガミが群生しています。
山頂はガスがかかり、あまり展望はよくありませんでした。 豊岡市街地と中央の姿のいい低山は 中世城跡のある三開山です。
今日の道を歩く人はほとんどなく、雪のシーズンをすぎて山道は荒れていました。このコースは安易に歩くと道迷いします。