まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

淡路恵子さん逝く

2014-01-12 06:59:48 | 雑記

往年の大女優、淡路恵子さんが1月11日に逝去された。

享年80歳。

華やかな芸能生活の裏で、幾多の困難とも闘われた淡路さん。波乱万丈の生涯を閉じられた。

謹んで、お悔やみ申し上げます。

 

私にとって淡路さんというと、Vシネの隠れた名作「パチンコグラフィティ」(1992年、にっかつ)がまず思い出される。

(過去記事に追悼コメントをお寄せ下さった方、有難うございます。)

「1・1・1」のゾロ目の日に旅立たれた…というのも、何か特別なものを感じる。

 

以前、マルホン「キャスター」の項で、淡路さんが同作に登場するワンシーンを取り上げた。

キャスターで当たって喜ぶ若いパチプロ(上田雄太)に、淡路さん演ずる原の婆さんが、こうつぶやく。

「そうやって、運使い果たすわよ、若いうちに…」

短い台詞だが、パチ・スロにドップリ浸かっていた当時の自分に、グサッと突き刺さる言葉だった。

(C)にっかつ
(「そうやって、運使い果たすわよ、若いうちに…」 パチバカだった自分には、他人事とは思えない台詞に聞こえた)

(C)にっかつ
(実は、その台詞のシーンで、若いパチプロがキャスターで大当りした図柄が、「1・1・1」のゾロ目であった。その淡路さんが、作品公開から22年後の「1月11日」に亡くなられるとは…不思議な因縁を感じる。) 

 

そして、コチラの過去記事でも、原の婆さん(淡路)が、鈴木清順演ずる「曽根の爺さん」と繰り広げた名場面などを振り返っている。

 

今回は追悼の意を込めて、「パチンコグラフィティ」名場面の1つといえるこのシーンを、再び記事にしてみたい。


 

パチンコ「船橋センター」の常連である原の婆さん(淡路恵子)は、同じ常連の「曽根の爺さん」(鈴木清順)を、いつも気にかけていた。

曽根は年金生活者で、店で一日「500円」だけパチンコを打つ生活を続ける。

来る日も来る日も、曽根は「船橋センター」に足を運び、小銭入れから100円を取り出して、玉貸機に一枚、二枚…と投入して幾ばくかの玉を買う。

そして、打つ台は決まって、デジパチの「パールセブン」(マルホン)や「ラスベガス」(西陣)だ。

だが、たったの500円で当てることなど難しく、いつも大当りさせずに玉を使い果たして、ガックリ肩を落として店を去る。

その様子を、背後でいつも心配そうに見つめていたのが、原の婆さんだった。

「500円じゃ、駄目だっての。」

店員にサラッと言うものの、毎日負けてションボリ帰る曽根が、気になって仕方ない様子。

 

そんな曽根が、息子の勧めで養老院に行く事となり、とうとうパチ屋に来られなくなる、という。

最後の夜も、やはり500円だけ打つが大当りせず、「さよなら…」と台につぶやき席を立つ曽根。

店を出て帰路に着こうとする曽根に、「待ってよ、爺さん!」と声を掛けたのが、原の婆さんだった。

「いなくなるのは勝手だけどさ、一度くらい勝って帰んなよ!」

いつも負けてばかり、今日もダメ、次もダメ…そんな曽根が、原は気になって仕方なかった。

曽根に対する淡い好意のようなものも、どことなく感じられる。

だが、曽根も年金生活者の身分であり、一日500円というのが限度だった。

そんな曽根に、原の婆さんは懐の1万円札を取り出して

「これで、勝負してくれないかな」と差し出す。

他人の施しを嫌う曽根はキッパリと断るが、

「あげるんじゃないんだよ、貸すんだよ。勝って、後で返してくれりゃいいんだから。」

といって曽根の腕を強引に引っ張り、店内に連れ戻す。

「年寄りの意地、見せてやろうよ。スリーセブンにさ。」

という一言が、曽根に対する原の思いを、如実に表していた。

 

店に戻った曽根は、原の婆さんから借りた1万円で、最後の「パールセブン勝負」を行う。

いつもより資金は潤沢だ。しかしヒキが弱く、なかなか当りが来ない。店員に両替して貰った小銭もどんどん減っていき、遂に最後の一発まで打ちきってしまった。

ダメか…と諦めかけた時、最後の一発がチャッカーにポンと飛び込み、リーチが掛かって大当り。

初めてパールセブンで当てた曽根は大喜びだが、上皿に玉が残っておらずパンクの危機が訪れる。

そんな窮地を救ったのが、同じ船橋センターに通う常連達だった。皆は自分の玉を急いで持ち寄り、曽根の上皿に次々と玉を入れる。

無事にパンクを回避して、大当りの興奮を味わう曽根。

(C)にっかつ

そして、「ありがとう、ありがとう…」と、涙を流して周りの常連達に感謝する。

(C)にっかつ
待望の大当りを果たした曽根を、優しい表情で見つめる原の婆さん(淡路)

 

 

こうしてパールセブンの大勝負を終えた曽根は、翌日、原の婆さんに見送られながら、養老院へと向かった。

(C)にっかつ
養老院行きのバスに乗り込む曽根に、「バイバイ、爺さん」と笑顔で声を掛ける原の婆さん(淡路)。原は一輪のバラを取り出し、曽根の胸元に挿す。曽根は、そのバラの香りを嗅ぐと、「Auf Wiedersehen」(アウフ ヴィーダーゼーエン…ドイツ語で「さようなら」)と、キザな台詞で返してバスに乗り込む。そして、見えなくなるまでバスを見送る原と、後部座席で原に手を振る曽根…。映画界の巨匠と大女優による、隠れた名シーンだと思う。

 

 

淡路恵子さん、お疲れ様でした。そして、本当に有難うございました。