1990年代前半に行われた、大阪・新世界の老舗パチンコ店「ニュー三共」のTV取材を振り返る。
(1993年放映のパチンコ特集番組より)
(ナレーション)
浪花の下町人情がギッシリと詰まった街、新世界。ここには、今も懐かしい「手打ち式台」が生きているといいます。
玉を一つ一つ親指で弾く「手動式パチンコ」。今も、このハンドルのバネの感触を懐かしむオールドファンは、決して少なくありません。
そんな浪花のガンコなパチンカーに愛されているのが、ここ「ニュー三共」。
新世界は、1km四方におよそ10軒のホールがひしめく、パチンコ大激戦地区。そんな激戦地での小さな店の生き残り作戦として、「手打ち」をメインにしたのが当り、全台の1/4を占める25台の手打ち台は、大盛況。
もちろん、電動式の台もあるのですが、旧型。さらに、こちらは、ハンドルも今では全く見かけなくなった上向き式(三共「フィーバー10スペシャル」の上向きハンドル台が映る)。
玉貸出し機だって手動式という徹底ぶりが、若者にも受けているとか(カウンターには、旧式の回転玉貸機が。台間の玉貸機も、かなり年季が入っている)。
とにかく、この店にやって来る客のお目当ては、手打ち式一筋。台の数も多く、指も疲れないはずの電動式のシマは、ご覧の通りの閑古鳥が鳴く始末です(タクティクスのシマは超満員。対照的に、フィーバー10スペシャルのシマはガラガラ)。
(手打ち台を遊戯中の年配男性にマイクを向ける)
※プライバシー保護の為、顔にモザイク。打っている台は、奥村の手打ち台「タクティクス」。どの客も、ひたすら右打ち(ゴム打ち)で、右サイドのストレートチャッカーを狙っている。
客「今のパチンコ、ほとんどフィーバーっていうか、コンピューターでしょ。だから、なんか機械に管理されているような感じがありますやん。ところが、手打ちの場合、やっぱり負けた時に納得いきますやん。あ、ウチの打ち方が悪かったんやな、とかね。釘の見方が悪かったんやな、いう事で納得いきますやん。一度やったら、ホント病み付きになりますよ。ホント面白いですからね。」
ナレ「自分の親指で稼いだ、という満足感を得る事が出来るのです。そんな手動式の台と共に25年間歩んできた店長は、手打ち台の強みをこう語ってくれました。」
(「ニュー三共」のS店長登場。柔和な表情で、人柄の良さがにじみ出ている。)
S店長「結局は、少ない金額で遊んでもらえる方法、要するに小店ですから、大店に太刀打ちは出来んと。せやから、原点で商売した方が却って安全やし。」
ナレ「しかし、この手動式の台は、既に製造中止というのが、悩みの種。」
「タクティクス」盤面右のストレートチャッカーを指さすS店長。チャッカーの側面に修理の痕がある。
S店長「ここに、プラスチックを貼って、直してる訳です。」
スタッフ「無いんですか、替えの部品は?」
S店長「ええ、(今は)もう全然違う形ですから…。」
狭い店内の片隅で、常連らしき一人の老婆が、古い電動ハンドル台を打っている。
ナレ「そんな人情味に誘われてか、毎日同じ台に通ってくる、一人のお婆ちゃんを見つけました。ハワイ生まれの熊本育ち、というこのお婆ちゃん。御年90歳でまだまだ元気。
20年ほど前から、、毎日欠かさずパチンコに通うお婆ちゃんの出勤は、毎朝8時頃。自宅から15分の道のりを、ゆっくりゆっくりと歩いて行きます。(手押し車を押しつつ、新世界の路地をのんびり歩くお婆ちゃん。)
13歳までハワイに育ったお婆ちゃんの朝は、一杯のモーニングコーヒーから始まります。(喫茶店にて、ホットコーヒーを静かに飲むお婆ちゃん。)
9時半には、しっかりと店の前に陣取って、開店を待ちわびます。この時間が、お婆ちゃんにとって、いわば戦いの前の「精神高揚タイム」とでも申しましょうか。(畳んだ手押し車に腰掛け、入口前でタバコを吸うお婆ちゃん。)
(午前10時、開店のベルが「ジリリリ」と鳴る)ひとたび開店のベルが鳴れば、若い者には負けちゃおれません。いつもの席が取れて良かったね。軍艦マーチに乗って取り出す千円札、これが今日の軍資金。さあ、頑張ろう。」
(お婆ちゃんが千円札数枚をS店長に手渡すと、店長は玉の入った小箱と残りのお札を持って来る。カウンターの玉貸機で、千円分を玉に替えてくれたようだ。)
ナレ「7,8年前までは、手打ち台で頑張っていたお婆ちゃんですが、寄る年波には勝てずに、この電動式台に移動。以来、123番台は、お婆ちゃんの「専用台」となりました。
そして、常連客が6割を占めるこのお店では、この台をお婆ちゃんの為に空けておくのが、いつの間にか不文律ともなったのです。」
(お婆ちゃんが座っている台は、奥村の古い機種。「AMUSING」と盤面に描いてあるが、モナキングではない。かなり古い電役のようだ。)
スタッフ「(お婆ちゃんの台の)釘の調整なんかは、やっぱりやられるんですかね?」
S店長「(笑顔で)やっぱり、ちょっと甘くなりますわな。」
ナレ「三度三度の食事をしっかり取るのも、長生きの秘訣。本日のお昼代、お寿司400円也。(昼食休憩で、アナゴ寿司を美味しそうにほおばるお婆ちゃん。寿司屋の暖簾には「左兵衛ずし支店」とある。)
休んでは打ち、打っては休むのも、これまた長生きの秘訣なのであります。(123番台の前で、ゆっくりとタバコを吸ってくつろぐお婆ちゃん。)」
(スタッフ、お婆ちゃんにマイクを向ける。)
婆「千円で入った時もある。(「一日千円?」と驚くスタッフ)そのかわり、3000円、4000円、負けるとパーや!(笑)」
S店長「(古い台が)万が一ダメになった場合は、また改めて考えようか、いう事で…。まぁ、使える範囲内で行ってみたいな、いう事で。できれば、メーカーさんにも、またこんな台を作って貰いたいな、いうのが僕らの願望ですわ。」
(補足)当時のニュー三共には、上記各台の他に、スクランブル(奥村)、アドバンス2号(奥村)、パンドラ(奥村)、キングスター(三共)などが設置されていたという事である。何と香ばしい機種構成だろうか…。
(「ニュー三共」TV取材・1993年、了)