丸5年がたちました。
5年前と同じ、土曜日です。
保険屋から届いた書類に
息子がサインしました。
これで、保険屋との攻防もおしまい。
息子の脳外科への通院はまだまだ続くし、
薬も飲み続けるようだし、
後遺症もゼロにはならない。
でも、息子は今日も笑顔だったし、
内定先には最終面接で後遺症の話はしてあるし、
一人暮らしが成立している
あの時、誰がこれほどの回復ぶりを想像しただろう?
5年前と同じ、土曜日です。
保険屋から届いた書類に
息子がサインしました。
これで、保険屋との攻防もおしまい。
息子の脳外科への通院はまだまだ続くし、
薬も飲み続けるようだし、
後遺症もゼロにはならない。
でも、息子は今日も笑顔だったし、
内定先には最終面接で後遺症の話はしてあるし、
一人暮らしが成立している
あの時、誰がこれほどの回復ぶりを想像しただろう?
事故前の30%の僕
と息子が言うとおり、まだまだ回復途中
今日より明日、明日より明後日
がんばらなくちゃ。
何より辛かったのは、
和倫の肺がんがわかってからのくだり
父がたどった経過とほぼ同じで
辛くて目が離せなかった。
読んでいて、和倫を実父に
一を義父に重ねてしまうこともあったが、
義父はここまでひどくないな。
お金への執着はひどいけどね。
77歳で逝った父
90歳になってもまだまだ元気な義父
ワタシの心は、醜い。