プレジデンツカップを終えた、石川遼のコメント
「世界中から集まった11人のプレーヤーとキャディたちと、一週間を過ごせたのは最高の思い出
宝物になっていく経験だと思います。
今日のマッチは今シーズンの僕を良い意味で生かすことが出来たと思います。
今までの僕なら我慢できずに簡単にスコアを落としていたと思うけど、プロになって2年目で
我慢することの大切さを痛感して一年間戦ってきて、今大会のメンバーに運よく選んで頂いて
我慢の重要さ、気持ちを切らさないというところが、生きてきたと思います。
今日が一番のラウンドだったと思います。
(ゴルフ以外で学んだことは)やはり、英語でのコミュニケーションが大切だし
これからもこういう機会を自分の力で作っていこうと思いました。
思ったより、インターナショナルチームはコミュニケーションが多くて、(Y.E)ヤンと卓球をしたり
ティム(クラーク)やカミロ(ビジェガス)と車のゲームをしたりしました。
インターナショナルチームは、一人一人のリーダーシープの強さ、責任感の強さを感じました。
初日に負けてしまって出だしとしてはあまり良くなかったけど、チームのみんなが大丈夫って
声を掛けてくれて『明日勝ちます!』って言ったら、みんなが大ウケして。
でも、次の日のディナーでは、『俺も言ってみようかな』って感じになって。
プレジデンツカップに選ばれた瞬間は、僕でいいのかなって不安があったけど、ここに来て
メンバーやキャプテンが声を掛けてくれて、その度に励まされて。
ここに居るメンバーやキャプテン、フランク(ノビロ/副キャプテン)に感謝したいと思います」
世界の中の石川遼
石川遼が初めて出場した「ザ・プレジデンツカップ」。
キャプテン推薦という特別枠での出場だったが、国際選抜ではエルスと並んで
最多の3勝を挙げる活躍を見せてくれた。
ウッズ&ストリッカー組とぶつかった3日目午後のラウンドでは
ドーミーとなった13番から3連続バーディ奪取。
とりわけ、15番でウッズを背にして見せた渾身のガッツポーズは翌日の現地紙の紙面を飾るなど
強い印象を残したようだ。
最終日は明らかに石川に対する地元ギャラリーの声援が増えていた。
ペリーを応援する声に混じって、「リオー」「イシカワ」という声が掛かる。
15番で木に当てながらパーセーブした場面では、「Good Show!」とビールを飲んで良い気分になっている
ギャラリーを興奮気味に叫ばせホールアウト後は大勢の特に多くの子供たちから、サインをせがまれていた。
今大会で石川は、世界で戦える手ごたえをより強くしたに違いない。
世界ランク6位のケニー・ペリーをシングルスマッチで破ったことはもちろん、記者会見では
外国人記者からの質問を、通訳を介さずにそのまま答えるなど(喋るのは日本語だが)
言葉の壁も徐々に低くなっている。
しかし、石川は「来年、再来年の予定は決まっていないけど、基本的には
日本でずっとゴルフをやっていく予定」だと話す。
「ただ、海外に来るたびに色んな国でプレーしたいと思ったり、色んな国の選手と
プレーして良い経験になるから最後はUSPGAツアーで戦っていられるような選手になりたい」とも言う。
高校を卒業する来年、石川は世界中から好きな進路を選べることになる。
ノーマンやウッズもその才能を評価する石川。
是非、その存在を日本だけではなく、世界のゴルフの発展に役立てて欲しい。
2016年、ゴルフが“リオ(Rio)”での五輪競技に採用されることが決まったが
“リオー(Ryo)”もゴルフの国際化に貢献出来るはずだ。
遼クン、ペリーに競り勝つ
石川遼は米国選抜最年長、49歳のケニー・ペリーに2アンド1で競り勝ち、ポイントを挙げた。
米国選抜はタイガー・ウッズが6アンド5でY・E・ヤン(韓国)に快勝するなど
6勝2分け4敗とさらにリードを広げ、19・5-14・5と圧勝。
通算での対戦成績を6勝1分け1敗とした。
ウッズはこの大会5戦全勝。
史上最年少の18歳で初出場した石川は3勝2敗で世界選抜ではアーニー・エルスと並ぶ最多の3ポイントを挙げた。
石川遼
「勝利を挙げたことは僕にとって宝物。
世界のトッププレーヤーと1週間過ごせたことは、これからの日本のツアーでも生きてくる。
きょうのマッチで最後まで粘れたのは、プロになってからの成長を生かせた結果だし
チームのみんなに励まされてここまで戦えたと思うのでノーマン主将はじめチームのみんなに感謝している」
ケニー・ペリー
「あの少年は僕を引退に追いやった。
まるでタイガー(ウッズ)のようにカメラに囲まれて18歳であれだけ
落ち着いてプレーができるなんて信じられない。僕にはとてもできない」
グレグ・ノーマン世界選抜主将
「まだ18歳になったばかりだというのに、冷静なプレーに本当に驚いた。
日本ツアーで勝つことも素晴らしいがさらに上のステージで戦うことは
誰にでもできることではない」
ブレジデンツでは驚異的な活躍を見せて世界ランキングも41位になり
今ノリに乗ってる遼君です
世界に羽ばたく日も近くなってしまうのかなって思ってしまう
ペリーとの戦いといい遼君は日ごとに強く逞しくなっていく
あすは帰国して日本OP入りをするかな~
頑張ったから成田にはマスコミが一杯
休ませないときついだろうね~
今日の紙面から
遼組、驚異的“粘敗”
ウッズの前でも遠慮なしだ。石川がほえた。
池越えの名物15番パー4。10メートルのバーディーパットを放り込む。
右手を握り締め、体全体で感情を爆発させた。
「今日の2ラウンドというのは僕のゴルフ人生にとって宝物になる経験だと思う」。
午前フォアサムはペリー&ジョンソン組を3アンド2で撃破。
午後フォアボールは初日にオギルビーと組んで敗れたウッズ&ストリッカーの米国最強ペアに挑んだ。
12番までに6ダウンとなり、13番は引き分けでも負けが決まるドーミーホール。
そこからだ。
4ダウンで後半に入る前ノーマン主将に
「まだ勝つ気でいるのか?」と問われて「もちろん!」と即答しキバをむいた。
ヤンのバーディーで13番をしのぐと14番で石川がピン奥1メートルにつけてバーディー、
15番では長いパットを決めた。
それを見て、ウッズが4メートルのチャンスを逃す。
初日は1ホールも取れなかった相手から、石川だけで3ホールを奪った。
最後は世界王者のスーパーショットに屈した。
16番パー4の第1打は、328ヤード飛ばしたウッズに23ヤードも離された。
第2打も1・5メートルに寄せられ、万事休す。
4アンド2で敗れたが、中盤まで相棒のストリッカーに頼り切りだった
ウッズを、石川が本気にさせたのは明らかだった。
マッチを終えると、互いに歩み寄った。
ウッズに「グッドマッチ(いい戦いだったな)」と言われ、握手した。
「あれだけいいプレーをしても、差をつけられた。
まだまだタイガーと戦うという言葉は使えない」と敬意を示しつつ
「粘り強くプレーできたことは、これからの自分に生きてくる」と自信は膨らんだ。
最終日は、49歳ペリーとの31歳差対決。
「しっかりポイントを稼げるように頑張りたい」。
3点差逆転を狙う世界選抜の一員として、最後まで粘り強く戦うつもりだ。
ツアープレーヤーたちの伝説II・・・石川遼
このところ、このコーナーも週替わりで石川遼、池田勇太と、今もっとも旬な
2人の話題ばかりで恐縮だが、今週もまた石川の話をひとつ…。
今季4勝目。
ツアー通算は6勝目を飾り、あの厳しい父親、勝美さんをして「僕の想定を超える結果」と言わしめた。
勝つたびに、世間を興奮の渦に巻き込んできた高校生プロも卒業年の18歳を迎えた今となっては
もはや優勝争いの常連と認識されつつあり当初ほどは驚きも薄れてきた感がある。
それは、新聞紙面にも顕著に表れており、トップに立てば必ずといっていいほどカラーの表か
もしくは裏一面を飾っていたのが先の「コカ・コーラ東海クラシック」も
3日目はスポーツ1紙をのぞいてすべて中面だった。
その日は、サスペンデッドとなった前日2日目の第2ラウンドの残り3ホールを消化したあと
すぐあとの第3ラウンドで衣装替え。
ピンクから赤のポロシャツに着替え“遼チャージ”を果たしたことが話題となり紙面もその話がメインだった。
にも関わらず、記事はモノクロ。
せっかくお色直しした甲斐もなくこれにちょっぴり気落ちした石川が某紙の記者の方にスタート前に
「残念でした」と告げたいきさつが、劇的Vを達成した最終日のコラムとして掲載されていたが
それはけっして石川が飽きられてしまったというわけではもちろんない。
ゴルフ界のみならず、世間の注目度はもちろんダントツのナンバー1。
にもかかわらず必ずしも一面を飾らなくなったことについて某新聞記者の方が次のように説明してくださった。
「デビューからわずか2年足らずでこれだけ結果を出してきた遼くんの活躍も
もはや“珍しくないこと”として捉らえ始めてきたということでそれすらも
18歳の凄さをもの語っているのだと思います」。
そしてやっぱり最終日の翌日も、賞金ランク2位の池田勇太との直接対決はあれほどの
好ゲームだったにもかかわらず、全国スポーツ6紙のうち裏一面で扱ったのは関西地区では4紙にとどまった。
18歳にして、そしてプロ2年目にして優勝がさほど珍しいことではなくなるなんて…。
そのことに、逆の意味で驚かされてしまう。
そしてその翌週には、米国と国際選抜の対抗戦「プレジデンツカップ」に史上最年少での出場だ。
選手会長の宮本勝昌が「遼くんはそのうち伝説を作る」と言ったがこの時点ですでに
石川は十分に伝説の男である。
激動の2009年の締めは、ぜひ熾烈な賞金レースを勝ち抜いて史上最年少の賞金王で締めくくってもらいたい。
「世界中から集まった11人のプレーヤーとキャディたちと、一週間を過ごせたのは最高の思い出
宝物になっていく経験だと思います。
今日のマッチは今シーズンの僕を良い意味で生かすことが出来たと思います。
今までの僕なら我慢できずに簡単にスコアを落としていたと思うけど、プロになって2年目で
我慢することの大切さを痛感して一年間戦ってきて、今大会のメンバーに運よく選んで頂いて
我慢の重要さ、気持ちを切らさないというところが、生きてきたと思います。
今日が一番のラウンドだったと思います。
(ゴルフ以外で学んだことは)やはり、英語でのコミュニケーションが大切だし
これからもこういう機会を自分の力で作っていこうと思いました。
思ったより、インターナショナルチームはコミュニケーションが多くて、(Y.E)ヤンと卓球をしたり
ティム(クラーク)やカミロ(ビジェガス)と車のゲームをしたりしました。
インターナショナルチームは、一人一人のリーダーシープの強さ、責任感の強さを感じました。
初日に負けてしまって出だしとしてはあまり良くなかったけど、チームのみんなが大丈夫って
声を掛けてくれて『明日勝ちます!』って言ったら、みんなが大ウケして。
でも、次の日のディナーでは、『俺も言ってみようかな』って感じになって。
プレジデンツカップに選ばれた瞬間は、僕でいいのかなって不安があったけど、ここに来て
メンバーやキャプテンが声を掛けてくれて、その度に励まされて。
ここに居るメンバーやキャプテン、フランク(ノビロ/副キャプテン)に感謝したいと思います」
世界の中の石川遼
石川遼が初めて出場した「ザ・プレジデンツカップ」。
キャプテン推薦という特別枠での出場だったが、国際選抜ではエルスと並んで
最多の3勝を挙げる活躍を見せてくれた。
ウッズ&ストリッカー組とぶつかった3日目午後のラウンドでは
ドーミーとなった13番から3連続バーディ奪取。
とりわけ、15番でウッズを背にして見せた渾身のガッツポーズは翌日の現地紙の紙面を飾るなど
強い印象を残したようだ。
最終日は明らかに石川に対する地元ギャラリーの声援が増えていた。
ペリーを応援する声に混じって、「リオー」「イシカワ」という声が掛かる。
15番で木に当てながらパーセーブした場面では、「Good Show!」とビールを飲んで良い気分になっている
ギャラリーを興奮気味に叫ばせホールアウト後は大勢の特に多くの子供たちから、サインをせがまれていた。
今大会で石川は、世界で戦える手ごたえをより強くしたに違いない。
世界ランク6位のケニー・ペリーをシングルスマッチで破ったことはもちろん、記者会見では
外国人記者からの質問を、通訳を介さずにそのまま答えるなど(喋るのは日本語だが)
言葉の壁も徐々に低くなっている。
しかし、石川は「来年、再来年の予定は決まっていないけど、基本的には
日本でずっとゴルフをやっていく予定」だと話す。
「ただ、海外に来るたびに色んな国でプレーしたいと思ったり、色んな国の選手と
プレーして良い経験になるから最後はUSPGAツアーで戦っていられるような選手になりたい」とも言う。
高校を卒業する来年、石川は世界中から好きな進路を選べることになる。
ノーマンやウッズもその才能を評価する石川。
是非、その存在を日本だけではなく、世界のゴルフの発展に役立てて欲しい。
2016年、ゴルフが“リオ(Rio)”での五輪競技に採用されることが決まったが
“リオー(Ryo)”もゴルフの国際化に貢献出来るはずだ。
遼クン、ペリーに競り勝つ
石川遼は米国選抜最年長、49歳のケニー・ペリーに2アンド1で競り勝ち、ポイントを挙げた。
米国選抜はタイガー・ウッズが6アンド5でY・E・ヤン(韓国)に快勝するなど
6勝2分け4敗とさらにリードを広げ、19・5-14・5と圧勝。
通算での対戦成績を6勝1分け1敗とした。
ウッズはこの大会5戦全勝。
史上最年少の18歳で初出場した石川は3勝2敗で世界選抜ではアーニー・エルスと並ぶ最多の3ポイントを挙げた。
石川遼
「勝利を挙げたことは僕にとって宝物。
世界のトッププレーヤーと1週間過ごせたことは、これからの日本のツアーでも生きてくる。
きょうのマッチで最後まで粘れたのは、プロになってからの成長を生かせた結果だし
チームのみんなに励まされてここまで戦えたと思うのでノーマン主将はじめチームのみんなに感謝している」
ケニー・ペリー
「あの少年は僕を引退に追いやった。
まるでタイガー(ウッズ)のようにカメラに囲まれて18歳であれだけ
落ち着いてプレーができるなんて信じられない。僕にはとてもできない」
グレグ・ノーマン世界選抜主将
「まだ18歳になったばかりだというのに、冷静なプレーに本当に驚いた。
日本ツアーで勝つことも素晴らしいがさらに上のステージで戦うことは
誰にでもできることではない」
ブレジデンツでは驚異的な活躍を見せて世界ランキングも41位になり
今ノリに乗ってる遼君です
世界に羽ばたく日も近くなってしまうのかなって思ってしまう
ペリーとの戦いといい遼君は日ごとに強く逞しくなっていく
あすは帰国して日本OP入りをするかな~
頑張ったから成田にはマスコミが一杯
休ませないときついだろうね~
今日の紙面から
遼組、驚異的“粘敗”
ウッズの前でも遠慮なしだ。石川がほえた。
池越えの名物15番パー4。10メートルのバーディーパットを放り込む。
右手を握り締め、体全体で感情を爆発させた。
「今日の2ラウンドというのは僕のゴルフ人生にとって宝物になる経験だと思う」。
午前フォアサムはペリー&ジョンソン組を3アンド2で撃破。
午後フォアボールは初日にオギルビーと組んで敗れたウッズ&ストリッカーの米国最強ペアに挑んだ。
12番までに6ダウンとなり、13番は引き分けでも負けが決まるドーミーホール。
そこからだ。
4ダウンで後半に入る前ノーマン主将に
「まだ勝つ気でいるのか?」と問われて「もちろん!」と即答しキバをむいた。
ヤンのバーディーで13番をしのぐと14番で石川がピン奥1メートルにつけてバーディー、
15番では長いパットを決めた。
それを見て、ウッズが4メートルのチャンスを逃す。
初日は1ホールも取れなかった相手から、石川だけで3ホールを奪った。
最後は世界王者のスーパーショットに屈した。
16番パー4の第1打は、328ヤード飛ばしたウッズに23ヤードも離された。
第2打も1・5メートルに寄せられ、万事休す。
4アンド2で敗れたが、中盤まで相棒のストリッカーに頼り切りだった
ウッズを、石川が本気にさせたのは明らかだった。
マッチを終えると、互いに歩み寄った。
ウッズに「グッドマッチ(いい戦いだったな)」と言われ、握手した。
「あれだけいいプレーをしても、差をつけられた。
まだまだタイガーと戦うという言葉は使えない」と敬意を示しつつ
「粘り強くプレーできたことは、これからの自分に生きてくる」と自信は膨らんだ。
最終日は、49歳ペリーとの31歳差対決。
「しっかりポイントを稼げるように頑張りたい」。
3点差逆転を狙う世界選抜の一員として、最後まで粘り強く戦うつもりだ。
ツアープレーヤーたちの伝説II・・・石川遼
このところ、このコーナーも週替わりで石川遼、池田勇太と、今もっとも旬な
2人の話題ばかりで恐縮だが、今週もまた石川の話をひとつ…。
今季4勝目。
ツアー通算は6勝目を飾り、あの厳しい父親、勝美さんをして「僕の想定を超える結果」と言わしめた。
勝つたびに、世間を興奮の渦に巻き込んできた高校生プロも卒業年の18歳を迎えた今となっては
もはや優勝争いの常連と認識されつつあり当初ほどは驚きも薄れてきた感がある。
それは、新聞紙面にも顕著に表れており、トップに立てば必ずといっていいほどカラーの表か
もしくは裏一面を飾っていたのが先の「コカ・コーラ東海クラシック」も
3日目はスポーツ1紙をのぞいてすべて中面だった。
その日は、サスペンデッドとなった前日2日目の第2ラウンドの残り3ホールを消化したあと
すぐあとの第3ラウンドで衣装替え。
ピンクから赤のポロシャツに着替え“遼チャージ”を果たしたことが話題となり紙面もその話がメインだった。
にも関わらず、記事はモノクロ。
せっかくお色直しした甲斐もなくこれにちょっぴり気落ちした石川が某紙の記者の方にスタート前に
「残念でした」と告げたいきさつが、劇的Vを達成した最終日のコラムとして掲載されていたが
それはけっして石川が飽きられてしまったというわけではもちろんない。
ゴルフ界のみならず、世間の注目度はもちろんダントツのナンバー1。
にもかかわらず必ずしも一面を飾らなくなったことについて某新聞記者の方が次のように説明してくださった。
「デビューからわずか2年足らずでこれだけ結果を出してきた遼くんの活躍も
もはや“珍しくないこと”として捉らえ始めてきたということでそれすらも
18歳の凄さをもの語っているのだと思います」。
そしてやっぱり最終日の翌日も、賞金ランク2位の池田勇太との直接対決はあれほどの
好ゲームだったにもかかわらず、全国スポーツ6紙のうち裏一面で扱ったのは関西地区では4紙にとどまった。
18歳にして、そしてプロ2年目にして優勝がさほど珍しいことではなくなるなんて…。
そのことに、逆の意味で驚かされてしまう。
そしてその翌週には、米国と国際選抜の対抗戦「プレジデンツカップ」に史上最年少での出場だ。
選手会長の宮本勝昌が「遼くんはそのうち伝説を作る」と言ったがこの時点ですでに
石川は十分に伝説の男である。
激動の2009年の締めは、ぜひ熾烈な賞金レースを勝ち抜いて史上最年少の賞金王で締めくくってもらいたい。