ジャン・ギャバンの相手役をやったミレイユ・バラン(Mireille Balin)という女優のことを調べてみる気になった。
『望郷』では、ギャバン扮するペペ・ル・モコに女が二人出て来る。一人はカスバの女で、もう一人がギャビーという愛称のパリジェンヌである。ミレイユ・バランはギャビーの方で、フランス人の金持ちの爺さんの愛人なのだが、アルジェへ観光旅行に来て、ペペと知り合うわけである。
ペペは、アルジェのカスバに逃げ込んで2年も経つので、いい加減うんざりしている。そこへパリの香りを漂わせた奇麗な女が現れたものだから、すっかり魅せられてしまう。ギャビーも金持ちの爺さんには飽き果てているから、指名手配中のペペと危険な遊びがしたくなる。というわけで、ペペの止むに止まれぬ望郷の念と、三角関係のもつれから、最後の悲劇が生まれるわけで、『望郷』という映画はストーリーから言えば、陳腐なシロモノに過ぎない。ジュリアン・デュビビエの映画としては底の浅い作品だと思うのだが、この映画は、何と言ってもジャン・ギャバンの個性と魅力で持っている。それと、ミレイユ・バランの印象も大きい。
この女優に関しては、日本では意外と知られていないようなので、フランスの資料を覗いてみた。以下、ミレイユ・バランの略歴を書いておく。前半生の恋多き華やかなスター時代に比べ、戦時中ナチス・ドイツの士官と恋に落ちてからは悲運に見舞われ、戦後は不幸のどん底のような人生を送り、哀れな最期を遂げたことが分かる。
生年月日は、1909年7月20日。モナコのモンテカルロ生まれ。父は新聞記者。子供の頃はマルセイユで育ち、高校時代はパリで過ごす。二十歳ごろからグラビア・モデルの仕事をしていて、映画にスカウトされる。デビューは1931年、22歳のときで、“Vive la Class”という映画の端役だった。
1932年に映画『ドンキホーテ』に出演。この年に他の作品にも二本出演し、映画女優としてキャリアを歩み始めるも、チュニジア出身のプロボクサー(フライ級の世界チャンピオンだった)と恋仲になる。1933年、今度は金持ちの政治家と大恋愛し、社交界の華となる。この年、映画“Adieu les Beaux Jours”でジャン・ギャバンと共演。以後、映画出演を続けるが、ヌードになった映画もあった。
1935年、ジュリアン・デュビビエ監督から『地の果てを行く』の出演を依頼されるが、健康上の理由で辞退。この大役はアナベラがやることになる。1936年、デュビビエ監督の『望郷』に出演、主役のジャン・ギャバンと恋仲に。『望郷』は、大ヒットし、彼女も一躍スターになる。1937年、ギャバンと再び『愛欲』(ジャン・グレミオン監督)で共演。ヴァンプ女優として評価される。この後、ギャバンとの関係は終わり、歌手のティノ・ロッシと恋仲になる。
1937年10月、ハリウッドに渡り、MGMと契約するも、映画出演できずに翌年帰国。パリでティノ・ロッシと同棲生活を続けるが、浮気性のロッシに悩まされる。 1939年、ドイツの男優・エリック・フォン・シュトロハイムと共演して親しくなり、彼の映画にその後も2本出演。1940年、ドイツ軍のフランス侵攻。ロッシとカンヌへ転居。1941年にパリに戻る。ロッシとは破局。
1942年、ドイツ大使館でウィーン出身の若き士官デスボックと出会い、恋に落ちる。彼と婚約し、パリとカンヌで同棲生活を続けながら、映画出演。1943年、戦争が激化。1944年、パリ解放。デスボックとイタリア国境近くに隠れているところを、フランスのレジスタンス運動派によって逮捕、投獄される。そのとき彼女は折檻、強姦され、デスボックは殺害される。
1945年、釈放。1946年、映画出演。これが最後の映画となる。その後、度々病魔に冒され、アルコール中毒に。友人の好意でカンヌに暮らし、一時ニースの病院で療養。その後パリに転居。世間から忘れ去られ、細々と生き続けるも、1968年パリ郊外で死去。享年53歳。