背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

『ミモザ館』(その1)

2015年01月17日 00時30分40秒 | フランス映画


1935年1月、フランス公開。1936年1月、日本公開。(製作年1934年)
白黒スタンダード 109分(DVD105分)

監督:ジャック・フェデール
脚本:ジャック・フェデール、シャルル・スパーク(台詞も)
撮影:ロジェ・ユベール
美術:ラザール・メールソン
音楽:アルマン・ベルナール
編集:ジャック・ブリルアン

 ジャック・フェデールが『外人部隊』でフランス映画界に復帰し、続いて作った映画が『ミモザ館』(1934年製作)である。『外人部隊』と同じく、フェデールとシャルル・スパークのオリジナル脚本で、この映画ではフランソワーズ・ロゼーが堂々と主役を張り、ミモザ館の女主人を演じている。
 前作『外人部隊』では、ドラマの中心人物が、ピエール、イルマ、ブランシュの三人のうち誰なのか分からず、ドラマ構成の上で一貫性がなく、焦点が定まらないところがあった。それでも、『外人部隊』を最後まで見ると、やはり、ロゼーのブランシュが最も印象深く、彼女が主役だったと思えてしまう。それは、この中年女の悲しみがいちばん良く描き出されていたからで、観客は、ブランシュの気持ちに共鳴し、感動したのである。一方、ピエールと二人の女のドラマの方は、場面を多くして描いたわりには、中途半端で感動的なものにはならなかった。ということは、つまり、映画の作者であるフェデールとスパークが最も思い入れを込めて描いた人物、あるいは描くことができた人物は、初めからロゼーが演じる予定のブランシュだったということになる。
 『外人部隊』は、スタンバーグの『モロッコ』の向こうを張って、マリー・ベルとピエール・リシャール=ウィルムというフランスの二大俳優を前面に出し、彼らの知名度に興行的な成功の期待も込めながら製作したのだと思うが、出来上がった映画は、助演者のはずのフランソワーズ・ロゼーの存在感が目立つ作品になってしまった。が、これは結果的には嬉しい誤算で、『外人部隊』が高く評価され(主にフランスと日本であるが)、また興行的にも成功した要因は、この映画で描かれたブランシュという女性の魅力とこの役を演じたロゼーという女優の素晴らしさだった。フェデールもスパークも(またロゼー自身も)、このことに気づき、今度は自信を持って、ロゼーを完全な主役にして『ミモザ館』を作ったのである。

 『ミモザ館』Pension Mimosasは、プロローグからロゼーが演じるルイーズという人物を中心にドラマが展開されていく。観客は、主役のルイーズの言葉を聞き、彼女の一挙手一投足を見守りながら、ドラマの進行を追っていくことになる。
 この映画のタイトルであるミモザ館は、南フランスのコート・ダジュールのリゾート地にあり、カジノの遊興客が長期滞在する食事付きのホテル(フランス語でパンスィオン)である。ただし二流のホテルで、富豪が泊まるところではない。一攫千金を夢見る遊び人や退屈しのぎに賭け事を楽しむ老未亡人たちが逗留していて、宿泊料の滞納者がいたりする。
 ルイーズ(フランソワーズ・ロゼー)は、ミモザ館を切り盛りする女主人である。亭主のガストン(アレルム)は、カジノのクルーピエ(ルーレットやカードの遊戯係)で、後輩を指導するベテランである。ミモザ館の所有者はガストンなのだが、元オペラ歌手だったルイーズと結婚してからは、ホテルの経営は全部、女房に任せている。ガストンは気丈な女房の尻にしかれている感じだ。
 この中年夫婦の間には子供が出来なかったため、二人は不幸な男の子を引き取って、育てている。ピエロ(ピエールの愛称。最初は子役が演じている)という名の小学生(6年生くらい)である。ルイーズもガストンもピエールを可愛がっている。しつけは厳しいようだが、やはり甘やかして育てている感じだ。この子は、環境の悪影響もあり、宿泊客からもらったおもちゃのルーレットで学校の友達から金を巻き上げたりしている。ポケットに26フラン50サンチーム持っていて、小学生にしては大金だということだが、当時の1フランは、現在の日本円にすると、150円前後だと推定されるから、4000円ほど賭けで稼いだわけだ。また、あとで分かるが、犯罪者の父親の血を引いているため、末恐ろしさを予感させるように描かれている。
 ピエールの聖体拝領(コミュニオン)のお祝い日、ミモザ館で招待客と会食中に突然、実の父親が5年の刑期を早めに終え出所して、ピエールを引き取りに訪ねて来る。ルイーズは泣く泣く、ピエールと別れることになる。

 ここまでがプロローグの要約であるが、この約20分(回想形式はとらず、1924年時点の物語)で、登場人物やシチュエーションに、くどいくらいの説明を加えている。『外人部隊』もそうだったが、フェデールとスパークの脚本は、プロローグが長すぎるように感じる。ドラマを主体にした映画の構成から言えば、話の始まりを現在(1934年)からにして、単刀直入に、ミモザ館に、養子だったピエールから手紙が届く場面から始めるべきで、10年前のプロローグは不要だったような気がする。途中でピエールとの思い出を回想形式にして挿入するか、セリフで説明すれば十分だったのではないかと思う。
 それはともかく、映画の場面は10年後に飛ぶ。ミモザ館は前よりも立派なホテルになり、ガストンとルイーズの夫婦も健在である。ある日、ピエールから病気になったので金が入用だという手紙が来る。夫婦の会話で、二人はその間、ピエールと離れて暮らし、会うこともなかったが、手紙で連絡は取り合っていたことが分かる。ピエールは22歳、父親は死に、今はパリで車の販売をしながら、一人暮らしをしている。この3年ほどは毎年、二人の夫婦はピエールにかなりの大金を仕送りしていたことも分かる。ガストンは手帳にちゃんと金額をメモしていて、それを読み上げるところがあり、1932年8000フラン、33年6500フラン、34年9000フランという。毎年100万円~130万円送っていたのだ。
 この映画では、ほかにもいろいろな金額を登場人物に言わせるところが目立つが、それは作者の意図である。金では愛も幸福も買うことができないということを強調したかったようだ。
 ルイーズは、ミモザ館が改装中であるという機会に、意を決し、ピエールに会いにパリへ行く。コート・ダジュールからパリまでは1200キロ以上あるので、日本で言うと、福岡から東京へ汽車で行く感じだ。
 ミモザ館は、コート・ダジュールにあることは確かだが、映画の中では一度も所在地の都市名は出て来ない。コート・ダジュールの中心都市はニースであるが、映画の後半でミモザ館へ帰って来たピエールがニースの自動車販売会社に勤め始め、列車で通う不便を口に漏らしている。また、ラスト近くで、愛人のネリーがルイーズとそりが合わず、ピエールがミモザ館からもニースからも近いアンチーブに貸家を見つけたので引っ越すことにしたと言うところがある。アンチーブは、ニースとカンヌの間にある町なので、ミモザ館のある町はカンヌを想定しているようにも思える。
 ついでにミモザ館の名称だが、ミモザというのは黄色い小さな花が鈴なり咲く木である。ミモザ・サラダというは、ゆで卵の黄身を細かく砕いて、レタスの上にまぶしたサラダのことだが、ミモザの花をなぞったものだ。映画の中で、ミモザの花が出てきたかどうか、未確認である。入口のどこかにミモザがあったかもしれない。

 パリに着いたルイーズは、ピエールのいる住所でタクシーを降りる。後ろにセーヌ川が見えるが、下町のどこかであろう。建物を見て中に入ると、そこは、いかがわしそうなカフェ兼ホテルである。ルイーズは黒い毛皮のコートを着て、貴婦人のような格好をしている。カフェには与太者たちや娼婦がたむろしている。主人に来意を告げると、ピエールは留守だという。ルイーズは仕方なくこのホテルに部屋をとる。
 ここからこの映画は面白くなる。
 階上の部屋へ案内してくれたメイドに、ピエールのことを聞くと、大変評判が良く、美男子でやさしいらしく、女にもてることが分かる。メイドはピエールの住む部屋まで見せてくれる。
 このあたりのパリのカフェと安ホテルの描写は見事である。
 ルイーズが夕食を取りに、カフェのテーブルに付くと、そばに常連らしき一人の女(娼婦?)がいて、話しかけてくる。この役を演じたのは女優のアルレッティである。パーマをかけた頭に縞模様のネッカチーフを鉢巻のように巻いて、煙草をぷかぷか吸いながら、何をしに来たのかルイーズに探りを入れるのだが、お人好しらしく、逆に自分の話をしてしまう。彼女は、ピエールの親友ジョルジュの情婦で、愛称パラソルといい、スカイダーバーを仕事にしていると奇妙なことを言う。アルレッティの出番はこれだけだが、このキャフェの場面での彼女とフランソワーズ・ロゼーの共演も見ものである。



 アルレッティは姐御肌の名女優で、この映画では端役だったが、助監督を務めたマルセル・カルネは、この時アルレッティの個性に惹かれたという。カルネは、監督になってから自分の映画でアルレッティに重要な役を何度も与えている。(『北ホテル』『日は昇る』『悪魔が夜来る』『天井桟敷の人々』『われら巴里つ子』。このなかでは『天井桟敷の人々』がアルレッティの代表作であるが、『北ホテル』で演じた年増の娼婦役が強烈な印象だった。)
 アルレッティは、後年インタビュー本の中で、『ミモザ館』に出た時に感じたフェデールとロゼーの印象ついて、こう語っている。(「女優アルレッティ 天井桟敷のミューズ」クリスチャン・ジル、訳:松浦まみ フィルム・アート社)
「フェデールは天性のプレイボーイなの。頼りがいがあってエレガントで、それはもう魅力いっぱいなわけ。魅力が容貌に滲み出ているのよ。今さら彼の才能について話すことは何もないでしょう。周知の通りよ。文句なく巨匠ですもの。完全主義者で厳格この上ないけれど、常にエレガンスをまとっている人。『ミモザ館』では、私はほんの脇役でしかなかったのに、彼は何度も何度も同じ場面を繰り返させたわ。始める前には、私の隣にやってきて腰をおろし、三十分ばかり役柄について説明してくれたの。普通は、監督は役者を思う場所に置くだけで、後は役者が勝手に台詞をしゃべるだけなのに、フェデールはあらゆる細部を説明するのにたっぷり時間を費やしたわ。信じられないほど忍耐強くて注意深かった。
(フランソワーズ・ロゼーは)優しい人で、いつも役者たちの面倒を見ていたわ。彼女といると笑いころげてばかりで、もし歯につめた鉛でも落ちようものなら彼女のおかげだわ!でも時にはこんなこともあった。「そんなに離れちゃだめよ」と、彼女が私を見ながら言ったわ。カメラに対して私の顔の向きが良くなかったのですって。そういう注意ができる女性ってそう多くないのよ。適切な助言を貰ったことにとても感謝したわ」
 アルレッティは、このインタヴュー本で、彼女が出演した映画や付き合った映画人についていろいろなことを率直に語っているので、興味深い。(つづく)



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