現在私が参考にしている文献・資料は以下の通り。
ロバート・ジョージ・ライズナー編著「チャーリー・パーカーの伝説」(片岡義男訳、晶文社 1972年10月30日初版)
原書は、Robert George Reisner "Bird :The Legend of Charlie Parker" (1962)
日本語版の巻末に大和明が書いた「チャーリー・パーカーの生涯とその遺産」があり、パーカーのバイオグラフィと主要LPのリストが掲載されている。
ロバート・ジョージ・ワイズナー(白人)は、ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジ在住のジャズファンで美術史研究者だった。1953年にパーカー(晩年のバード)と初めて出会い、1954年にヴィレッジのクラブ「オープン・ドア」にバードを招き、出演させた。以後バードと付き合うが、厄介なことが多く苦労したという。ライズナーは、バードの死後、7年がかりで彼の旧友や関係者たちを歴訪し、バードの思い出をテープレコーダーとノートに採録した。同書にはライズナーの回想と、81人の思い出話が掲載してある。パーカーの文献としては最も重要な本。晶文社から日本語版が出たのはもう47年前で、ベスト・セラーになったと思う。この本を私が買って読んだのもその時で、私の持ってる本は1973年2月発行の三版。最近また、昔買ったこの本を熟読している。1998年3月に新装版が同じく晶文社から発行された。
ロス・ラッセル著「バードは生きている チャーリー・パーカーの栄光と苦難」(池央耿訳 草思社 1975年4月10日初版)
原書は、Ross Russel "Bird Lives! The High Life and Hard times of Charlie (Yardbid) Parker"(1973)
日本語版の巻末に諸岡敏行の「チャーリー・パーカー・ディスコグラフィ」を掲載。
ロス・ラッセル(白人)1909年ロサンジェルス生まれ。ジャズ好きが昂じて、ハリウッドのにレコード店を開き、さらにレコード会社ダイアル社を設立。チャーリー・パーカーと契約して、ハリウッドやニューヨークのスタジオでバードの最盛期の演奏を録音し、ダイアル盤を発売。バードが最悪のコンディションで演奏した「ラヴァ―・マン」も発売し、悪評を買う。以後、バードは、録音は続けるが、ラッセルとは事務的なこと以外、口を利かなくなったという。ダイアル社は1962年に倒産。ラッセルはその後、ジャズを題材に小説や評論を書き、ついにバードに関するこの力作を発行し、一躍注目を浴びる。日本版が発行された時、私はこの本を図書館で借りて読んだことはあるが、買ったのは最近。目下熟読中だが、どうも事実ではないフィクションが多いので、注意が必要だと思っている。ライズナーの「パーカーの伝説」を下敷きに、想像を膨らませて書いていて、読み物としては大変面白い。カンザス・シティや当時の社会背景を知る上でも役に立つ。
以上の2冊は翻訳本なので、どうしても意味が分かりにくい箇所が多々あり、また、訳語のもとの英語は何なのか知りたいこともあって、アマゾンで原書を注文した。米国から届くのを待っているところだ。
植草甚一著「バードとかれの仲間たち」<植草甚一スクラップ・ブック13>(晶文社 1976年4月初版)
植草甚一が主に「スイング・ジャーナル」誌に書いた記事を集めたもので、第1章と第2章にチャーリー・パーカーに関する記事、第3章にソニー・ロリンズに関する記事を収録してある。重要なのは、第1章の「チャーリー・パーカーのレコードから」(ダウン・ビート誌1961年7月号)に紹介されている「ディジー・ガレスピーの回想」The Years with Yardである。また、第2章の6回分の記事で、ロス・ラッセルの「ロータス・ランドのヤードバード」Yardbird in Lotus Land を紹介しているが、これも重要だ。ロス・ラッセルは著書「バードは生きている」を発表する前に、フランスの「ジャズ・オット」誌の1969年11月号から70年9月号にバードに関する記事を7回連載していた。この思い出話は当時アメリカでは未発表だった。植草は「スイング・ジャーナル」誌に1971年7月号から12月号まで6回にわたり、フランス語を和訳して紹介した。
ロバート・ジョージ・ライズナー編著「チャーリー・パーカーの伝説」(片岡義男訳、晶文社 1972年10月30日初版)
原書は、Robert George Reisner "Bird :The Legend of Charlie Parker" (1962)
日本語版の巻末に大和明が書いた「チャーリー・パーカーの生涯とその遺産」があり、パーカーのバイオグラフィと主要LPのリストが掲載されている。
ロバート・ジョージ・ワイズナー(白人)は、ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジ在住のジャズファンで美術史研究者だった。1953年にパーカー(晩年のバード)と初めて出会い、1954年にヴィレッジのクラブ「オープン・ドア」にバードを招き、出演させた。以後バードと付き合うが、厄介なことが多く苦労したという。ライズナーは、バードの死後、7年がかりで彼の旧友や関係者たちを歴訪し、バードの思い出をテープレコーダーとノートに採録した。同書にはライズナーの回想と、81人の思い出話が掲載してある。パーカーの文献としては最も重要な本。晶文社から日本語版が出たのはもう47年前で、ベスト・セラーになったと思う。この本を私が買って読んだのもその時で、私の持ってる本は1973年2月発行の三版。最近また、昔買ったこの本を熟読している。1998年3月に新装版が同じく晶文社から発行された。
ロス・ラッセル著「バードは生きている チャーリー・パーカーの栄光と苦難」(池央耿訳 草思社 1975年4月10日初版)
原書は、Ross Russel "Bird Lives! The High Life and Hard times of Charlie (Yardbid) Parker"(1973)
日本語版の巻末に諸岡敏行の「チャーリー・パーカー・ディスコグラフィ」を掲載。
ロス・ラッセル(白人)1909年ロサンジェルス生まれ。ジャズ好きが昂じて、ハリウッドのにレコード店を開き、さらにレコード会社ダイアル社を設立。チャーリー・パーカーと契約して、ハリウッドやニューヨークのスタジオでバードの最盛期の演奏を録音し、ダイアル盤を発売。バードが最悪のコンディションで演奏した「ラヴァ―・マン」も発売し、悪評を買う。以後、バードは、録音は続けるが、ラッセルとは事務的なこと以外、口を利かなくなったという。ダイアル社は1962年に倒産。ラッセルはその後、ジャズを題材に小説や評論を書き、ついにバードに関するこの力作を発行し、一躍注目を浴びる。日本版が発行された時、私はこの本を図書館で借りて読んだことはあるが、買ったのは最近。目下熟読中だが、どうも事実ではないフィクションが多いので、注意が必要だと思っている。ライズナーの「パーカーの伝説」を下敷きに、想像を膨らませて書いていて、読み物としては大変面白い。カンザス・シティや当時の社会背景を知る上でも役に立つ。
以上の2冊は翻訳本なので、どうしても意味が分かりにくい箇所が多々あり、また、訳語のもとの英語は何なのか知りたいこともあって、アマゾンで原書を注文した。米国から届くのを待っているところだ。
植草甚一著「バードとかれの仲間たち」<植草甚一スクラップ・ブック13>(晶文社 1976年4月初版)
植草甚一が主に「スイング・ジャーナル」誌に書いた記事を集めたもので、第1章と第2章にチャーリー・パーカーに関する記事、第3章にソニー・ロリンズに関する記事を収録してある。重要なのは、第1章の「チャーリー・パーカーのレコードから」(ダウン・ビート誌1961年7月号)に紹介されている「ディジー・ガレスピーの回想」The Years with Yardである。また、第2章の6回分の記事で、ロス・ラッセルの「ロータス・ランドのヤードバード」Yardbird in Lotus Land を紹介しているが、これも重要だ。ロス・ラッセルは著書「バードは生きている」を発表する前に、フランスの「ジャズ・オット」誌の1969年11月号から70年9月号にバードに関する記事を7回連載していた。この思い出話は当時アメリカでは未発表だった。植草は「スイング・ジャーナル」誌に1971年7月号から12月号まで6回にわたり、フランス語を和訳して紹介した。
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