背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

小笠原明峰と小笠原プロ(その3)

2012年07月20日 18時49分36秒 | 日本映画
 小笠原プロは、第一回作品『愛の導き』に続き、以下の作品を製作、公開していく。

 『行けロスアンゼルス』 1923年5月公開 武蔵野館 小笠原プロ
 監督:三善英芳 原作:山野一郎 脚本:小笠原明峰 撮影:稲見興美
 出演:山野一郎

 ストーリーは、映画熱に浮かされた明峰の自伝的失敗談だという。


 楠英二郎時代の小笠原長英
 
 監督の三善英芳は、明峰の二歳年下の弟・小笠原長英(1902~1970)で、後年俳優になった楠英二郎、(改名して)小笠原章二郎である。彼は学習院幼稚舎時代から秩父宮殿下のご学友だった。普通部から陸軍幼年学校に進んだが病気で中退、また学習院に戻って高等部卒業の21年、大正活映の研究生となって監督栗原トーマスの教えを受けた。大正活映のスタッフや俳優が続々と小笠原プロに入るのは、彼とのつながりがあったからに違いない。御大の栗原トーマスまで連れて来て、『久遠の響』の監督までさせている。26年小笠原プロ解散後、日活時代劇部に入社、楠英二郎の名で俳優となる。1931年松竹下加茂に移り、小笠原章二郎と改名。戦後も各社で脇役として数多くの映画に出演した。
 
 原作・出演の山野一郎(1899~1958)は、この頃すでに活動写真の説明者(弁士)として活躍し、新宿武蔵野館の専任であった。その縁故でこの映画は武蔵野館で公開された。説明も山野自身が受け持ったと思われる。山野一郎は、本名山内幸一。新潟県に生まれ、東京・向島で育った。東京府立三中卒。26年、徳川夢声、古川緑波、大辻司郎らと「ナヤマシ会」を結成。弁士廃業後は俳優、漫談家として昭和30年代初めまで活躍した。息子は俳優の山内明、脚本家の山内久、作曲家の山内正、また娘は作曲家の小杉太一郎の妻。

 『三色すみれ Love in Idleness 』1923年公開 5巻 小笠原映画研究所
 監督・脚本:小笠原明峯 撮影:稲見興美
 出演:植木進(宮内幸一=富豪の息子)、北島貞子(夏川時子=その恋人)、島静二(富田信)、春日明子(その妻芳子)、古川緑波(泥棒クマソ)、花房綾夫(児分木鼠小僧)、鈴木すみ子、三枝鏡子、山内幸麿、古川彰之助、泉桂之助

 当時まだ20歳の若手歌舞伎俳優・片岡千恵蔵が植木進という名で映画初出演、現代劇のラブストリーで主役を演じた。古川緑波も泥棒役で出演している。花房綾夫というのは後の俳優・潮万太郎。また、後年ヴァンプ女優で活躍した鈴木すみ子(澄子)も出演している。
 5巻物で上映時間約1時間の中篇である。それ以前の2作品は恐らく短篇で、小笠原プロの本格的活動はこの作品よりスタートしたらしい。データでは、前の2本は小笠原プロダクション製作とあり、この『三色すみれ』だけ小笠原映画研究所となって、1924年以降の公開作品はまた小笠原プロダクションになっているが、どのように組織化していったかは不明である。

 1923年(大正12年)9月、関東大震災が襲う。東京府代々幡町の小笠原邸にあった小笠原プロがどれほどの被害を受けたのかは分らない。都心から離れた野畑の中にある大きなお屋敷だから、延焼もなく大した被害はなかったのだろう。が、いずれにせよ、小笠原プロが、映画製作を再開するのは1923年10月以降と思われる。

 『金色夜叉』(データなし)1924年初春製作
 二部構成で、A篇は小笠原明峰、B篇は三善英芳が監督。
 主役のお宮は、松井千枝、後のスター女優松井千枝子(1899~1929)である。これが彼女の映画デビュー作であった。その後国活巣鴨に入り松波美子の名で数本映画出演。国活解散に伴い、25年2月松竹蒲田へ入社。松井千枝子と改名し、一躍スター女優になる。が、1929年(昭和4年)29歳の若さで病死。佳人薄命だった。(妹の松井潤子も姉に付き添うように女優の道を歩み、松竹のスター女優だったが、35年、巨人軍の水原茂と結婚して引退した。松井潤子の方は小津安二郎の映画で今でもその可愛らしい姿を観ることができる。)


 松井千枝子

 小笠原プロの作品は、製作された順が不明であるが、「映画監督全集」(キネマ旬報社)の「小笠原明峰」(岸松雄・記)に準拠し、日本映画データベースのデータを挙げながら解説していきたい。データにある公開年月(月日のない作品も多い)は、製作年月とは食い違うので注意が必要である。

<参照資料>
「日本映画監督全集」(キネマ旬報社)
*小笠原明峰(岸松雄・記)と三善英芳(岡部龍・記)
 巻末の岡部龍・編「映画会社・プロダクションの興亡」
「日本映画俳優全集・男優編」(キネマ旬報社)
「日本映画俳優全集・女優編」(キネマ旬報社)
「映画俳優事典 戦前日本篇」(盛内政志著 未来社)ほか
*ウィキぺディアの「小笠原明峰」および「小笠原プロダクション」の記述は、誤りや重要事項の抜けが多く、信用できない。
*岸松雄が参照したと書いている岡部龍・編「日本映画史素稿9」の「資料・高松豊次郎と小笠原明峰の業績」は近いうちにフィルムセンターで探して読んでみたいと思っている。





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