背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

直木三十五の大衆文藝論(その二)

2009年01月02日 12時52分02秒 | 
 当時直木が新聞雑誌のあちこちに大衆文藝論を書いたその真意は、まだ生まれて数年に過ぎない「大衆文藝」「大衆文学」のレベルを上げ、文藝の一ジャンルとして地位を確立することだった。
 随筆集を読むと、直木の真意がよく理解できる。直木が真っ向から対抗したのは、仲間の大衆文藝作家たちではなく(彼らへの批判は愛の鞭に近い)、当時の「文壇」に巣食う傲慢な作家たちだった。直木は、「文学は芸術である」と主張する文壇小説家たち、評論家たちを認めながらも、大衆文藝に対する彼らの無理解な発言に腹を立て、その論拠のなさをこてんぱんにやっつけている。槍玉に上がったのは、まず正宗白鳥である。
 正宗白鳥といえば、小林秀雄が文壇に登場する以前に権威だった文藝評論家だが、直木は白鳥に幾分かの敬意を払いながらも、白鳥が書いた「南国太平記」の批評がどうも気に入らなかったらしい。正宗氏は史実に無知で大衆物を批評する資格が無い、と直木は言い切って、憤懣をぶちまける。
 青野季吉と相馬泰三の二人が大衆文藝は「読者に媚びている」と言ったことに対して、直木は怒り心頭に発し、口角沫を飛ばさんばかりに喧嘩を売っている。直木の言葉を二、三引用すると、彼らのことを相馬に青野と呼び捨てにした上で、「尋常一年生みたいな物の見方をする連中」とこき下ろし、「馬鹿も休み休みに云うがいい」「手前達の無理解とイージーゴーイングを示しただけ」で、「文句があるならいつでも来い」と締めくくっている。
 評論家というものはだいたい無責任な事を偉そうに言うもので、直木が怒るのも無理はない。ただ、自分に対して言われたことでもないのに、直木がこれだけ怒るのがいかにも義憤家の彼らしいところである。詳しい事情は知らないが、これはどう見ても直木の主張の方がもっともで、文壇評論家の二人は尻尾を巻いて逃げたに違いない。



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