1990年代からほぼ20年間、私は邦画も洋画も新しい作品をまったく見ないで過ごしてきた。その前までは、ビデオショップで話題作くらいはビデオを借りて見ていたのだが、ちょうどDVDに切り替わる頃からビデオショップへも行かなくなってしまった。最近(と言っても平成以降)の映画を見るようになったのは、ここ3年くらいで、ツタヤで毎週3本ほど準新作(平成以降の映画)を借りて、努めて見るように心がけている。
思い起こせば、私がいちばん映画を見ていたのは、小学6年から大学2年頃までで、多い時は月に15本くらいは見ていた。ほとんどが名画座だった。中学1年までは横浜の大倉山に住んでいたので、東横線の白楽にあった「白鳥座」という名画座に通っていた。ここは毎週、旧作の洋画を二本立てで上映していた。ここで観た映画で、最も衝撃を受け、今でも鮮烈な印象が残っている映画は、オードリー・ヘップバーン主演の『戦争と平和』である。私が初めて銀幕で見たオードリー・へップバーンだった。『戦争と平和』は1956年公開の映画で、『ローマの休日』より二年あとの作品だが、総天然色だった。私が見たのは1964年、小学6年の時だ。ファーストシーンで緑の牧場に颯爽と現れたナターシャ役のオードリーの美しかったこと! 私は一瞬にして銀幕の彼女に魂を奪われた。私の初恋の女優で、今も変わらぬ女優ナンバーワンはオードリー・ヘップバーンである。それからオードリーの映画は旧作も新作も逃さずに見てきた。新作は『マイ・フェア・レディ』からだが、やはり彼女は二十代の頃の映画の方が素晴らしい。『ローマの休日』から『緑の館』『尼僧物語』までは最高に美しく、『ティファニーで朝食を』も美しいが、『シャレード』(1963年)あたりから奥様とかマダムといった感じになり、若い頃の妖精的な美しさはなくなったと思う。
アメリカ映画の『戦争と平和』は、今思えば、登場人物のロシア人がみんな英語を話すという不自然な作品で、確かナポレオンも英語を話していたが、当時は変だとも思わず、吹き替え版と同じ感覚で見ていたのだろう。後年、ソ連映画の大作『戦争と平和』が作られ、これも見たが、なぜかアメリカ映画の方が好きなのは、ナターシャ役のオードリー・ヘップバーンとピエール役のヘンリー・フォンダのイメージが私の中で固定してしまったからなのだろう。
中学2年の時に中目黒に引っ越したので、それからはずっと渋谷の名画座で映画を観るようになった。全線座と東急名画座である。全線座は、明治通り沿いの渋谷東映の先にあった。私が大学を出た頃に無くなり、東急インというホテルのあるビルになってしまった。東急名画座は、東急文化会館の6階か7階にあった。どちらも洋画専門の名画座で、全線座は二本立てで当時確か120円、東急名画座は一本立てで比較的新しい洋画が多く、入場料は100円だった。目黒の権之助坂には目黒スカラ座という新作の洋画の二番館もあって、ここでもよく見た。映画は一人で見ることが多く、自分の小遣いを使って見ていたので、高い封切館で観た映画は数えるほどしかない。中学の頃は、洋画ではマカロニ・ウェスタンがヒットし始め、邦画ではやはり加山雄三の「若大将シリーズ」が人気を呼んでいた。
この頃、全線座で見て一番印象に残っている映画は、スティーブ・マックイーン主演の『大脱走』である。見終わってあれほど面白く感じた映画はその後あまりないような気がする。マックイーンがテレビ西部劇の『拳銃無宿』や映画『荒野の七人』に出演した頃から私は彼のファンだったが、中学の時に観た『大脱走』(1963年)によって、私の中では男優ナンバーワンの位置を占めるようになった。あの頃、日本の映画雑誌「スクリーン」などの人気投票で、多分10年間は、女優第一位がオードリー・ヘップバーン、男優第一位はスティーブ・マックイーンだった。二人とも、とくに日本人に好まれる映画スターで、私もまったく同じだった。私の場合、今でも外国人男優のナンバーワンはマックイーンなのだ。当時の新作『シンシナティ・キッド』は目黒スカラ座で観て感動したのを覚えている。その後、マックインーンの映画は逃さずに見てきた。『ネバダ・スミス』『砲艦サンパブロ』『ブリット』『華麗なる賭け』『栄光のル・マン』『ゲッタウェイ』『ジュニア・ボナー』『パピヨン』など。なかでも『ブリット』と『ゲッタウェイ』のマックイーンは最高にカッコいい。
私が小学高学年から中学にかけて抜群に人気があった洋画のシリーズは、「007」だった。ショーン・コネリーのジェームス・ボンドである。第二作の『007危機一発』(のちに『007ロシアより愛をこめて』と改題)を観たのが最初で、この映画ほどハラハラドキドキして観た作品はその後あまりない。それから第一作も含め、ショーン・コネリー主演の5本の「007」は全部観た。が、しかし、『007危機一発』が最高傑作で、スパイアクション映画のナンバーワンだと私は思っている。
私の中学時代は(1965年~67年)、邦画界が落ち目で、観たいと思う映画がなかった。東映は時代劇をやめて、仁侠映画とエロ映画を作り始め、これは中学生が観るにはまだ早く、大映は勝新太郎の「座頭市」と「悪名」シリーズが始まっていた。松竹は文芸映画と喜劇路線(『男はつらいよ』が始まる前)、東宝は青春映画が多かった。低調な邦画に比べ、洋画の方が圧倒的に面白かった。
私が、昭和30年代の名画も含め、邦画もたくさん観るようになったのは、高校2年以降で、銀座の並木座へ通うようになってからである。並木座で観た邦画の中で、最も衝撃を受けたのは今村昌平の『日本昆虫記』だった。それからしばらくは今村監督作品を好んで観ていた。大島渚、吉田喜重、篠田正浩などが独立プロを作って、活躍していた頃で、彼らの観念的な映画より、私は今村昌平のリアルで土俗的な映画の方が好きだった。並木座で観た映画のほとんどは後年ビデオで見直しているが、洋画のように思い出に残る作品はほとんどない。私は、映画を一人で観る主義で、友達や恋人と観るのは嫌いで、それは今でも変わらない。観た後に一人でロマンチックな気分に浸るのが好きなのだ。
高校時代に観た洋画は、やはり青春の思い出の中にいちばん残っている。十代後半が感受性もいちばん豊かで、感動の度合いも大きいのだと思う。スクリーンの主人公に自分を投影し、感情移入しながら見ることができるのは、将来性のある若い時である。
最後に、当時公開された洋画で、今でも私の思い出に残っている作品を思いつくままに20本ほど挙げておこう。フランス映画とアメリカン・ニューシネマが多い。
『男と女』『個人教授』『卒業』『サムライ』『さらば友よ』『気違いピエロ』『真夜中のカウボーイ』『明日に向かって撃て』『俺たちに明日はない』『冒険者たち』『あの胸にもう一度』『ジョンとメアリー』『グレートレース』『ナタリーの朝』『ボルサリーノ』『幸せはパリで』『おかしな二人』『イージー・ライダー』『欲望』『コレクター』。
思い起こせば、私がいちばん映画を見ていたのは、小学6年から大学2年頃までで、多い時は月に15本くらいは見ていた。ほとんどが名画座だった。中学1年までは横浜の大倉山に住んでいたので、東横線の白楽にあった「白鳥座」という名画座に通っていた。ここは毎週、旧作の洋画を二本立てで上映していた。ここで観た映画で、最も衝撃を受け、今でも鮮烈な印象が残っている映画は、オードリー・ヘップバーン主演の『戦争と平和』である。私が初めて銀幕で見たオードリー・へップバーンだった。『戦争と平和』は1956年公開の映画で、『ローマの休日』より二年あとの作品だが、総天然色だった。私が見たのは1964年、小学6年の時だ。ファーストシーンで緑の牧場に颯爽と現れたナターシャ役のオードリーの美しかったこと! 私は一瞬にして銀幕の彼女に魂を奪われた。私の初恋の女優で、今も変わらぬ女優ナンバーワンはオードリー・ヘップバーンである。それからオードリーの映画は旧作も新作も逃さずに見てきた。新作は『マイ・フェア・レディ』からだが、やはり彼女は二十代の頃の映画の方が素晴らしい。『ローマの休日』から『緑の館』『尼僧物語』までは最高に美しく、『ティファニーで朝食を』も美しいが、『シャレード』(1963年)あたりから奥様とかマダムといった感じになり、若い頃の妖精的な美しさはなくなったと思う。
アメリカ映画の『戦争と平和』は、今思えば、登場人物のロシア人がみんな英語を話すという不自然な作品で、確かナポレオンも英語を話していたが、当時は変だとも思わず、吹き替え版と同じ感覚で見ていたのだろう。後年、ソ連映画の大作『戦争と平和』が作られ、これも見たが、なぜかアメリカ映画の方が好きなのは、ナターシャ役のオードリー・ヘップバーンとピエール役のヘンリー・フォンダのイメージが私の中で固定してしまったからなのだろう。
中学2年の時に中目黒に引っ越したので、それからはずっと渋谷の名画座で映画を観るようになった。全線座と東急名画座である。全線座は、明治通り沿いの渋谷東映の先にあった。私が大学を出た頃に無くなり、東急インというホテルのあるビルになってしまった。東急名画座は、東急文化会館の6階か7階にあった。どちらも洋画専門の名画座で、全線座は二本立てで当時確か120円、東急名画座は一本立てで比較的新しい洋画が多く、入場料は100円だった。目黒の権之助坂には目黒スカラ座という新作の洋画の二番館もあって、ここでもよく見た。映画は一人で見ることが多く、自分の小遣いを使って見ていたので、高い封切館で観た映画は数えるほどしかない。中学の頃は、洋画ではマカロニ・ウェスタンがヒットし始め、邦画ではやはり加山雄三の「若大将シリーズ」が人気を呼んでいた。
この頃、全線座で見て一番印象に残っている映画は、スティーブ・マックイーン主演の『大脱走』である。見終わってあれほど面白く感じた映画はその後あまりないような気がする。マックイーンがテレビ西部劇の『拳銃無宿』や映画『荒野の七人』に出演した頃から私は彼のファンだったが、中学の時に観た『大脱走』(1963年)によって、私の中では男優ナンバーワンの位置を占めるようになった。あの頃、日本の映画雑誌「スクリーン」などの人気投票で、多分10年間は、女優第一位がオードリー・ヘップバーン、男優第一位はスティーブ・マックイーンだった。二人とも、とくに日本人に好まれる映画スターで、私もまったく同じだった。私の場合、今でも外国人男優のナンバーワンはマックイーンなのだ。当時の新作『シンシナティ・キッド』は目黒スカラ座で観て感動したのを覚えている。その後、マックインーンの映画は逃さずに見てきた。『ネバダ・スミス』『砲艦サンパブロ』『ブリット』『華麗なる賭け』『栄光のル・マン』『ゲッタウェイ』『ジュニア・ボナー』『パピヨン』など。なかでも『ブリット』と『ゲッタウェイ』のマックイーンは最高にカッコいい。
私が小学高学年から中学にかけて抜群に人気があった洋画のシリーズは、「007」だった。ショーン・コネリーのジェームス・ボンドである。第二作の『007危機一発』(のちに『007ロシアより愛をこめて』と改題)を観たのが最初で、この映画ほどハラハラドキドキして観た作品はその後あまりない。それから第一作も含め、ショーン・コネリー主演の5本の「007」は全部観た。が、しかし、『007危機一発』が最高傑作で、スパイアクション映画のナンバーワンだと私は思っている。
私の中学時代は(1965年~67年)、邦画界が落ち目で、観たいと思う映画がなかった。東映は時代劇をやめて、仁侠映画とエロ映画を作り始め、これは中学生が観るにはまだ早く、大映は勝新太郎の「座頭市」と「悪名」シリーズが始まっていた。松竹は文芸映画と喜劇路線(『男はつらいよ』が始まる前)、東宝は青春映画が多かった。低調な邦画に比べ、洋画の方が圧倒的に面白かった。
私が、昭和30年代の名画も含め、邦画もたくさん観るようになったのは、高校2年以降で、銀座の並木座へ通うようになってからである。並木座で観た邦画の中で、最も衝撃を受けたのは今村昌平の『日本昆虫記』だった。それからしばらくは今村監督作品を好んで観ていた。大島渚、吉田喜重、篠田正浩などが独立プロを作って、活躍していた頃で、彼らの観念的な映画より、私は今村昌平のリアルで土俗的な映画の方が好きだった。並木座で観た映画のほとんどは後年ビデオで見直しているが、洋画のように思い出に残る作品はほとんどない。私は、映画を一人で観る主義で、友達や恋人と観るのは嫌いで、それは今でも変わらない。観た後に一人でロマンチックな気分に浸るのが好きなのだ。
高校時代に観た洋画は、やはり青春の思い出の中にいちばん残っている。十代後半が感受性もいちばん豊かで、感動の度合いも大きいのだと思う。スクリーンの主人公に自分を投影し、感情移入しながら見ることができるのは、将来性のある若い時である。
最後に、当時公開された洋画で、今でも私の思い出に残っている作品を思いつくままに20本ほど挙げておこう。フランス映画とアメリカン・ニューシネマが多い。
『男と女』『個人教授』『卒業』『サムライ』『さらば友よ』『気違いピエロ』『真夜中のカウボーイ』『明日に向かって撃て』『俺たちに明日はない』『冒険者たち』『あの胸にもう一度』『ジョンとメアリー』『グレートレース』『ナタリーの朝』『ボルサリーノ』『幸せはパリで』『おかしな二人』『イージー・ライダー』『欲望』『コレクター』。
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